室町・戦国期の武将。持富(もちとみ)の子。尾張守(おわりのかみ)、左衛門督(さえもんのかみ)。持富の兄畠山持国(もちくに)には嫡出の実子がなく、そのため1448年(文安5)にいったんは持富を家督後継者としたが、直後に庶出の子義就(よしなり)に改めた。しかし、義就の継承に反対する被官衆は持富の子弥三郎を擁立しようとし、それが54年(享徳3)に発覚すると、畠山家を二分する抗争に発展した。弥三郎は59年(長禄3)に病死したため、かわって擁立されたのが弟の次郎政長である。政長は60年9月に細川勝元(ほそかわかつもと)らの援助により家督を相続して、河内(かわち)・紀伊(きい)・越中(えっちゅう)守護となり、河内嶽山(だけやま)城に籠城(ろうじょう)した義就を63年(寛正4)に攻め落として大和(やまと)の吉野に追い、翌年9月に管領(かんれい)に就任した。しかし、細川勝元と対抗する山名宗全(やまなそうぜん)の画策により、66年(文正1)12月河内より上洛(じょうらく)した義就が赦免され、67年正月に管領を罷免された政長は、自邸を焼き上御霊社(かみごりょうしゃ)に陣し、義就と戦闘となり、ここに応仁(おうにん)の乱が始まった。南山城(みなみやましろ)を掌握していた義就は77年(文明9)に河内に下向し、河内の実質的支配権を奪った。政長は翌年山城守護となり、84、85年に南山城で対陣したが、山城国一揆(いっき)の成立により撤兵を余儀なくされた。93年(明応2)、将軍足利義材(あしかがよしき)(義稙(よしたね))とともに政長は、死去した義就の嫡子基家(もといえ)の征伐に河内に出陣したが、細川政元(まさもと)による香厳院清晃(こうごんいんせいこう)(義遐(よしとお)・義高(よしたか)・義澄(よしずみ)と改名)の将軍嗣立(しりつ)の政変にあい、ために基家赦免、政長征伐となり、政元軍に攻められ、嫡子尚順(ひさのぶ)を紀伊に逃した後、閏(うるう)4月25日に河内正覚寺(しょうがくじ)城でおもだった被官衆とともに自害した。勝仙院(しょうせんいん)と号す。
[石田晴男]
『『大阪府史 第4巻』(1981・大阪府)』▽『『富山県史 通史篇Ⅱ』(1984・富山県)』
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(石田晴男)
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室町中期の武将。持富の子。畠山義就と惣領職を争い応仁・文明の乱の一大原因となる。乱では東軍に属し奮戦した。1460年(寛正1),67年(応仁1)惣領となり河内・越中・紀伊守護に補任される。64年以来数度管領に任ぜられ,77年(文明9)よりほぼ10年間この任にあり,山城守護も兼任する。93年将軍足利義稙を擁して河内に出陣中,細川政元に攻められ河内正覚寺城で自刃した。
執筆者:鳥居 和之
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1442~93.閏4.25
室町中期~戦国期の武将。持国の弟持富の子。弥二郎。尾張守・左衛門督。1459年(長禄3)持国の子義就(よしなり)と家督を争っていた兄弥三郎の死後,かわって家臣に擁立された。翌年細川勝元などの後援で家督をつぎ,64年(寛正5)管領に就任。66年(文正元)義就が山名宗全を頼り入京すると,管領を罷免され,翌年上御霊社で義就に敗北。これを契機に応仁・文明の乱が勃発し,東軍方の政長は将軍足利義政から家督を認められる。乱後管領となるが,河内を義就に奪われ,山城の国一揆で山城を退却。このため義就の子基家の討伐を将軍足利義稙(よしたね)に要請,93年(明応2)義稙とともに河内へ出陣するが,細川政元に同国正覚寺城を攻囲されて自害。
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【経過】
[乱の勃発]
室町幕府は,このような混乱の中で,67年(応仁1)の年頭を迎えた。正月2日には将軍が管領邸を訪問することが恒例となっていたが,この年中行事が突如として中止されただけでなく,管領畠山政長の幕府出仕が禁じられた。これは管領の解任を意味するものであった。…
…室町時代の記録で,長禄・寛正年間(1457‐66)を中心に畠山氏の家督継承問題を主題とする。作者,成立年代ともに不明。畠山持国の養子政長と実子義就が家督を争い,1460年(寛正1)より河内で交戦し,勝利を得た政長が64年管領に任命される模様を中心に,室町幕府の行事や諸大名の動向を記している。ただし畠山弥三郎を政長と同一人物とするのは誤り。《群書類従》所収。【鳥居 和之】…
※「畠山政長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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