日本大百科全書(ニッポニカ) 「願掛け」の意味・わかりやすい解説
願掛け
がんかけ
神仏に祈願するための方法。祈願の形式には、地域社会の生活を円滑に営むために行う共同祈願と、個人の事情によって行う個人祈願とがある。昔にさかのぼればさかのぼるほど、共同祈願のほうが盛んであったとされているのは、個人祈願は、個人の願いを神仏が聞き届けるという意識が生じて初めて成り立つと考えられているからであろう。いずれにしても、病気や厄払いから、商売繁盛や学業成就を念願して願掛けをする。願掛けには多種にわたる様式があるが、祈願の内容が困難なものほど、そしてその心情が痛切になればなるほど複雑な方式となりやすい。広い意味では参拝もその一種とみなすことができる。しかし、一度では充足した気になれないと、21日間などと期限を決めて日参することになる。あるいは百度、千度と参詣(さんけい)する。お百度を踏むとか千度参りというのはこのことである。水垢離(みずごり)といって水をかぶって心身を清める方式もある。神仏にお参りする前に身を清めたものであったのであろうが、これが独立して願掛けの方式となっている。これもまた千垢離、万垢離と発展する。日常生活から離れて、一定期間神社や特定の場所に閉じ籠(こも)る、お籠りも代表的なものといえる。家族とは別火の生活をするわけで、その間に垢離をとって、清浄な状態を保持し祈願を続ける。また、絵馬(えま)などを奉納することもある。目の悪い人が「め」という文字を年齢の数だけ記したものや、耳の悪い人が錐(きり)を奉納しているのをみかける。願いがかなったら何かを奉納するという方式とは逆に、願いがかなうまで好物を食べないということがある。茶断ち、酒断ち、塩断ちなど、断ちものというのがこれである。もっと積極的なものになると、神仏を縄で縛り上げ、願いをかなえれば縄を解いてやろうという、通称「しばられ地蔵」のようなものまで出てくる。死者が生前に願掛けをしていた場合に、立願(りゅうがん)を解く「願もどし」が行われる。扇の要(かなめ)を外して屋根に投げたり、穀物を棺や屋根に撒(ま)いたり、生前に着用していた着物を逆さに振ったりする。死者が願掛けのために成仏できなくなることを気遣った、周囲の心遣いによるものである。
[佐々木勝]