「アウグスティヌス」の検索結果

10,000件以上


トマス・ア・ケンピス Thomas a Kempis 生没年:1380ころ-1471

改訂新版 世界大百科事典
ドイツの修道者,宗教思想家。ライン川下流地方ケンペンに生まれ,デーフェンターの共同生活兄弟会の学校で学び,1399年,15歳年長の兄ヨハネスが院…

ウルダネータ Andrés de Urdaneta 生没年:1498-1568

改訂新版 世界大百科事典
スペインの航海士。貴族の家庭に生まれ,初め軍隊に入った。マゼラン遠征隊成功ののちカルロス1世が1525年に東洋へ派遣したロアイサ遠征隊に参加して…

修道会 しゅうどうかい religious order

日本大百科全書(ニッポニカ)
ローマ・カトリック教会によって認可された共同生活による修道団体。その生活の場を修道院monasteryという。各修道会にはそれぞれの活動目的に応じた…

ぷらとんあうぐすてぃぬしゅぎ【プラトン=アウグスティヌス主義】

改訂新版 世界大百科事典

アウグスチノ会 アウグスチノかい Augustinians

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アウグスチノ共同生活規則をとる修道会の総称。3つの規則が伝わっているが,『神の下僕のための規則』 Regula ad servos Deiのみが教父アウグスチヌ…

グラナダ(Fray Luis de Granada) ぐらなだ Fray Luis de Granada (1504―1588)

日本大百科全書(ニッポニカ)
スペインの宗教作家。俗名はルイス・デ・サリアLuis de Sarriaで、ガリシア地方出の貧しい家庭の子としてグラナダに生まれる。21歳のとき、母が洗濯…

ファン・デル・フース Hugo van der Goes 生没年:1440ころ-82

改訂新版 世界大百科事典
フランドルの画家。1467年ヘントで自由親方に登録。68年ブリュージュでブルゴーニュ公シャルルの結婚式の装飾を担当する。75年アウグスティヌス会の…

celestino1

伊和中辞典 2版
[名](男)〘カト〙ケレスティヌス派修道僧.

ローマ理念 (ローマりねん)

改訂新版 世界大百科事典
目次  ローマ理念の形成  古代末期における高揚  西ローマ滅亡以後のローマ理念ローマ帝国の母体である都市ローマを抽象化し,ローマの名に普…

あうぐすてぃぬすしゅうどうさんじかい【アウグスティヌス修道参事会】

改訂新版 世界大百科事典

主意主義 (しゅいしゅぎ) voluntarism

改訂新版 世界大百科事典
一般に知性よりも意志・意欲--必ずしも人間の意志には限られない--を重視する神学,哲学,心理学上の立場。意志を精神活動の中心に据えるアウグ…

ルター Martin Luther

旺文社世界史事典 三訂版
1483〜1546ドイツの宗教改革者北ドイツの鉱山業者の子。初め法律を学んだが,回心してアウグスティヌス修道院にはいり神学を深め,ヴィッテンベルク…

パウロ

百科事典マイペディア
初代キリスト教の伝道者,聖人。ギリシア名パウロス,ヘブライ名サウロ(サウル)。小アジア,タルソスのユダヤ人の家に生まれ,熱心なパリサイ派で…

教父 きょうふ church fathers 英語 Kirchenväter ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ)
「教会の父」の意。教父とは一般的には古代教会における代表的神学者をさす。ただしカトリック教会では、そのなかでもとくに正統信仰をもち、聖なる…

アウグステンブルク公フリードリヒ8世 アウグステンブルクこうフリードリヒはっせい Augustenburg, Friedrich VIII, Herzog von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1829.7.6. アウグステンブルク[没]1880.1.14. ウィースバーデンシュレースウィヒ=ホルシュタイン公 (在位 1863~70) 。アウグステンブルク公ク…

プレモントレ修道会 ぷれもんとれしゅうどうかい

日本大百科全書(ニッポニカ)
1120年聖ノルベルトSt. Norbert(1080ころ―1134)が、フランスのプレモントレに創立した修道参事会員の修道会。厳格な観想修道生活と13世紀の托鉢(た…

アエギディウス・ロマヌス Aegidius Romanus 生没年:1247ころ-1316

改訂新版 世界大百科事典
神学者,政治理論家。ローマで生まれ,アウグスティヌス修道会に入り,パリ大学ではトマス・アクイナスの講義に出席。その学説の一部にトマスの影響…

ベーダ(歴史家、神学者) べーだ Beda Baeda (673ころ―735)

日本大百科全書(ニッポニカ)
イギリスの歴史家、神学者。ビードBedeともいわれ、その学識、人格のために「尊敬すべきベーダ」Beda Venerabilisと通称される。ヘプターキー(七王…

アサム(兄弟) あさむ

日本大百科全書(ニッポニカ)
ドイツ・バロックの美術家。兄コスマス・ダミアンCosmas Damian Asam(1686―1739)、弟エギト・クウィリンEgid Quirin Asam(1692―1750)。アサム家…

リウィア Livia Drusilla 生没年:前58-後29

改訂新版 世界大百科事典
ローマ皇帝アウグストゥスの后。最初の結婚でティベリウス(のちの皇帝)をもうけ,離婚ののち,前38年オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス帝)…

摂理 せつり providentia ラテン語 prónoia ギリシア語 providence 英語 Vorsehung ドイツ語 providence フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ)
世界のすべてを神の意志が配慮し、管理して終局の完成に導くとする思想。『旧約聖書』においては「創世記」(22章8)で、アブラハムがその子イサクに…

フーバー

百科事典マイペディア
スイスの作曲家。ベルンに生まれ,チューリヒ音楽院で作曲とバイオリンを学んだのち1955年−1956年ベルリンでブラッハーに師事。オラトリオ《聖アウレ…

バロック様式聖堂群[フィリピン] バロックようしきせいどうぐん[フィリピン] Baroque Churches of the Philippines

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
フィリピンがスペインの支配下にあった 16~18世紀につくられたバロック様式の聖堂群。ルソン島マニラのラ・インマクラーダ・コンセプシオン・デ・サ…

リウィア りうぃあ Livia Drusilla (前58―後29)

日本大百科全書(ニッポニカ)
古代ローマの貴婦人。アウグストゥスの妻。夫の死後ユリア・アウグスタIulia Augustaと改名した。最初ティベリウス・クラウディウス・ネロと結婚、2…

ボナベントゥラ ぼなべんとぅら Bonaventura (1221―1274)

日本大百科全書(ニッポニカ)
中世イタリアの神学者、哲学者。トスカナ地方バクノリア生まれ。1257年トマス・アクィナスとともに、托鉢(たくはつ)修道会士として初めてパリ大学神…

ボナベントゥラ Bonaventura 生没年:1217ころ-74

改訂新版 世界大百科事典
イタリアのスコラ神学者,哲学者,神秘思想家。幼名ジョバンニ・ディ・フィダンツァGiovanni di Fidanza。トスカナ地方の出身で,1234年からパリ大学…

マエケナス まえけなす Gaius Maecenas (?―前8)

日本大百科全書(ニッポニカ)
古代ローマの政治家。エトルリア出身のローマ騎士で、第2回三頭政治・内乱時代のオクタウィアヌス(後の皇帝アウグストゥス)の腹心の部下となる。オ…

セント・オーガスティン修道院 セント・オーガスティンしゅうどういん St.Augustine's Abbey

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イギリス南東端,ケント県カンタベリーにある修道院。 597年,教皇グレゴリウス1世の命によりケント王国にキリスト教布教のためカンタベリーを訪れた…

あうぐすてぃぬすはせいどうさんじかい【アウグスティヌス派聖堂参事会】

改訂新版 世界大百科事典

新プラトン主義【しんプラトンしゅぎ】

百科事典マイペディア
3世紀以降,プラトン哲学と新ピュタゴラス主義,アリストテレス主義,ストア主義等を折衷総合して成立した,形而上学・神秘的色彩の濃いギリシア哲…

ゾシモス ぞしもす Zosimos

日本大百科全書(ニッポニカ)
生没年不詳。ギリシア系の歴史家。彼の経歴については、ビザンティン帝国の役人であったこと以外ほとんど知られていない。おそらく500年ごろに、アウ…

マビヨン まびよん Jean Mabillon (1632―1707)

日本大百科全書(ニッポニカ)
フランスの聖職者、歴史家。フランス北東部の山村サン・ピエルモンに生まれる。ランスの教区神学校で学んだのち、1653年同市のサン・ルミ修道院に入…

けれすてぃぬす【ケレスティヌス[3世]】

改訂新版 世界大百科事典

ウルバヌス[8世] Urbanus Ⅷ 生没年:1568-1644

改訂新版 世界大百科事典
ローマ教皇。在位1623-44年。フィレンツェの名門バルベリニ家の出身で学芸・美術に造詣が深く,1606年枢機卿,08年スポレト司教,17年ボローニャの教…

ローマ七丘 (ローマしちきゅう)

改訂新版 世界大百科事典
古代ローマ市内の七つの丘。ふつうパラティヌス,カピトリヌス,アウェンティヌス,カエリウス,エスクイリヌス,ウィミナリス,クイリナリスの七丘…

けれすてぃぬす【ケレスティヌス[1世]】

改訂新版 世界大百科事典

グレゴリウス[リミニ] Gregorius de Rimini

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]1358スコラ哲学者。アウグスチヌス隠修士会士で,1357年同総会長。 41年頃よりパリで教えた。神学では予定説で著名であるが,哲学では A.ア…

キリスト教 キリストきょう Christianity (イギリス) Christentum (ドイツ) Christianisme (フランス)

旺文社世界史事典 三訂版
イエスが開いた宗教人類の原罪を深く意識し,神の福音を説いた。アウグストゥス時代のローマの属州パレスチナに起こり,いくたの迫害を受けながら,…

ベルナルディーノ モリナーリ Bernardino Molinari

20世紀西洋人名事典
1880.4.11 - 1952.12.25 イタリアの指揮者。 元・アウグステオ管弦楽団音楽監督,元・サンタ・チェチリア音楽院教授。 ローマ生まれ。 ローマの音楽…

神の国 (かみのくに) De civitate Dei

改訂新版 世界大百科事典
アウグスティヌスの代表作の一つで,22巻の大著。西ゴート族のローマ侵入を契機に,かねて考えていたキリスト教の歴史的弁証を行ったもの。執筆は413…

パトリキ patricii

改訂新版 世界大百科事典
古代ローマの市民中の血統貴族。元老院の成員を意味するパテルpaterに結びつく表現で,〈パテルの子孫〉の意。特別な身分的指標を有し,地主貴族とし…

スコトゥス・エリウゲナ すことぅすえりうげな Johannes Scotus Eriugena (810ころ―877ころ)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ヨーロッパ中世初期の神学者、哲学者。アイルランドに生まれ、当時その地で培われていた古典文化の教養を身につけ、847年以前にカール2世に招かれて…

アルカディウス あるかでぃうす Flavius Arcadius (377ころ―408)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ビザンティン帝国皇帝(在位395~408)。383年父帝テオドシウス1世によりアウグストゥス(正帝)の称号を受け、394年にローマ帝国の東部を委託された…

シニフィアン/シニフィエ

百科事典マイペディア
ソシュールの言語学・記号論の用語。〈能記/所記〉とも,また〈意味作用/意味〉とも訳される。シニフィアンを〈形式媒体〉,シニフィエを〈意味内…

弁神論 べんしんろん théodicée フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ)
神義論ともいう。ライプニッツの造語で、狭義には無神論や善悪二元論を論駁(ろんばく)して、この世界に存在するあらゆる害悪にもかかわらず、神の善…

修道会 (しゅうどうかい)

改訂新版 世界大百科事典
キリスト教世界において,合法的な教会の権威によって認可され,会員が共通の会憲(インスティトゥトゥムinstitutum)のもとで修道生活を営む組織を…

オクタウィアヌス

山川 世界史小辞典 改訂新版
⇒アウグストゥス(オクタウィアヌス)

アザム兄弟 (アザムきょうだい)

改訂新版 世界大百科事典
バロック期ドイツの芸術家兄弟。天井画家だった父ハンス・ゲオルクに教育され,さらにローマのアカデミーでイタリア・バロック芸術を習得後,兄コス…

神秘主義【しんぴしゅぎ】

百科事典マイペディア
英語ミスティシズムmysticismなどの訳。宗教や哲学において絶対者(神,最高実在,宇宙の根本原理など)を自らのうちで直接体験し,自己との合一を求…

ユスティヌス ゆすてぃぬす

日本大百科全書(ニッポニカ)
→ユスティノス

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