② 受身。他から動作を受ける意を表わす。動作の受け手(「ゆ」が付いた動詞に対する
主語)は、人間・動物など有情のものであるのがふつうで、また、その動作を受けることによって、被害や迷惑、または
恩恵などを受ける意味をも含むことが多い。動作の行ない手は、「…に」の形で
表現される例が多い。
[語誌](1)「らゆ」とともに、中古以降の「る」━「らる」に対応する。ただし、上代にも「る」の例は
少数ある。命令形は現われない。
(2)
語源上、「見ゆ」「燃ゆ」「消ゆ」「絶ゆ」など、いわゆる
他動詞を対応形にもつヤ行下二段動詞の
語尾と同じもので、作用を自然に発動する変化またはその状態としてとらえるのが
原義と考えられる。それが、「見ゆ」にも「人に見ゆ」(見られる意)などの
用法のあるように、受身の意味を明らかにするために用いられ、
一方、否定を伴うと、不可能の意を示すことになった。
(3)四段活用動詞の未然形に付くものを助動詞として取り扱うが、「思ふ」「聞く」に付いた場合のように、早く「思ほゆ」(さらに「おぼゆ」)「聞こゆ」となって、一動詞の語尾として扱われるものがある。
(4)上一段活用動詞「射る」について、「射ゆ」の受身用法の例があり、これを普通に助動詞の「ゆ」と説く。「書紀‐斉明四年五月・歌謡」の「射喩
(ユ)獣
(しし)を認
(つな)ぐ川上
(かはへ)の若草の若くありきと我が思
(も)はなくに」や「万葉‐三八七四」の「所射
(いゆ)鹿を認ぐ川辺のにこ草の身の若かへにさ寝し子らはも」など。そのほか枕詞に用いた「所射
(いゆ)ししの」もある。これらはすべて「ゆ」の形を連体法に用いており、しかも「しし」につづく固定的な表現であるが、「見ゆ」に合わせて、古くは上一段動詞にも「ゆ」が付いたとすることができよう。
(5)中古には、漢文訓読に「地蔵十輪経元慶七年点‐七」の「当来に有ら所
(エ)む罪咎を防護すべし」のように、多少引き継がれ、また、「あらゆる」「いはゆる」のように連体詞として固定したものが後世まで用いられたほかは、一般に「る」に代わった。なお、ラ変動詞「あり」に付くのは、漢文の「所有」の訓読のために生じた語法か。