奈良屋市右衛門(読み)ならやいちえもん

改訂新版 世界大百科事典 「奈良屋市右衛門」の意味・わかりやすい解説

奈良屋市右衛門 (ならやいちえもん)

江戸町年寄世襲名。初代大和国奈良に居住していたが,1582年(天正10)に徳川家康忠節をつくし,三河に移住したという。日本橋本町一丁目に180坪の居宅を拝領し,樽屋喜多村とともに江戸の三町年寄として町支配を担当した。1834年(天保5)に館(たち)姓を名のることを許された。享保改革に際し,問屋仲間組合の結成に努力し,中心となって活躍したのは奈良屋であった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「奈良屋市右衛門」の解説

奈良屋市右衛門

生年生没年不詳
江戸初期の江戸町年寄の祖。由緒書によれば,先祖大館氏一族で大和の奈良に居住していたが,徳川家康の三河在住の時代に仕えたという。他の史料によれば,天正10(1582)年の本能寺の変に当たり,堺見物をしていた家康が伊賀を越え岡崎に帰城したとき,小笠原小太郎らが守護したが,市右衛門はその子孫であるという。家康の関東入国(1590)後は日本橋本町1丁目に屋敷地を与えられ,3人の町年寄の筆頭として江戸の町支配を担当した。以後12代にわたり市右衛門と称したが,天保5(1834)年に館の姓を名乗ることが許された。<参考文献>吉原健一郎「町年寄」(『江戸町人の研究』4巻)

(吉原健一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「奈良屋市右衛門」の解説

奈良屋市右衛門
ならやいちえもん

江戸町年寄奈良屋の世襲名。初代市右衛門は大和国の豪族大館氏の一族で奈良に居住したが,三河時代から徳川家康に仕えたと伝える。本能寺の変の際,家康の伊賀越の供をした小笠原小太郎が改名したとの説もある。家康の関東入国以来,樽屋・喜多村とともに12代にわたり江戸町年寄を世襲。本町1丁目の拝領屋敷に役宅をおいて市政の一端を担った。1834年(天保5)10代市右衛門のとき,先祖にちなむ館(たち)の苗字を名のることを許された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈良屋市右衛門」の解説

奈良屋市右衛門 ならや-いちえもん

?-? 江戸時代前期の江戸町年寄。
先祖は大館氏の一族で大和(やまと)(奈良県)にすんでいたが,天正(てんしょう)10年(1582)徳川家康につかえて三河(愛知県)にうつったという。家康の関東入国後は日本橋本町1丁目に町屋敷をあたえられ,樽屋,喜多村とともに江戸の町支配を担当した。以後,代々市右衛門を名のり12代までつづいた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android