松囃子(読み)マツバヤシ

デジタル大辞泉 「松囃子」の意味・読み・例文・類語

まつ‐ばやし【松×囃子/松拍子】

室町時代に盛行した初春の祝福芸唱門師しょうもんじなどの専業芸人のほか、村人・町人・侍などが、幕府や諸邸を回って種々の芸能を演じ、祝い言を述べたもの。現在も民俗芸能として九州に残る。
江戸時代正月2日(のち3日)の夜、幕府で諸侯を殿中に召して行った謡初うたいぞめの儀式。町家もこれに倣った。 新年》「音曲や声のはつはな―/重頼

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改訂新版 世界大百科事典 「松囃子」の意味・わかりやすい解説

松囃子 (まつばやし)

中世に行われた芸能。室町時代,年頭に禁裏や室町御所など上層者のもとに声聞師(しようもじ)や地下(じげ)の村人などが推参して演じた祝儀の囃し物で,松囃,松拍(子)とも書かれる。演者は声聞師や地下の村人のほかに廷臣,大名家の若党(あるいは大名自身),町女房,そして観世大夫と広範多岐にわたり,松囃子が演ぜられる場としては禁裏,御所のほかに,貴族や大名の邸宅などがあった。その芸態は羯鼓(かつこ),大鼓,鉦(かね),笛等を用いたこと以外はよくわかっていない。松囃子という名義からは松に関するめでたい詞章があったと想像されるが,《申楽談儀(さるがくだんぎ)》に1430年(永享2)室町御所で演ぜられたと思われる松囃子の詞章が伝えられ,《わらんべ草》には〈松はやしの事〉として,やはり室町御所で観世大夫が演じた際の詞章が一部記載されているのがわずかに残っている例である。

 その他の大名家の若党や声聞師,地下の村人たちが演じた松囃子の詞章については現存の資料は皆無である。時日は正月2日,11日,13日,15日,18日と一定していないが,扇子短冊を焼く左義長(さぎちよう)(15日,18日)とともに催される場合も多かった。また,室町幕府での観世の松囃子は永享(1429-41)年末から正月14日に定着していた。

 松囃子にはたいてい風流(ふりゆう)と呼ばれる華麗な作り物や仮装,舞,あるいは曲舞(くせまい),田楽(でんがく),獅子舞,そして能が付随して演ぜられているが,人々の関心はむしろこの付随する芸能のほうにあったのであり,風流としては〈九郎判官奥州下向の躰〉〈五条立傾城の躰〉〈清涼山の橋,文殊,師子等〉〈鶴亀舞〉などが資料に見えている。能が演ぜられたのは室町御所での観世大夫の松囃子と,禁裏,室町御所などに推参した声聞師の松囃子であった。松囃子の初出資料は《満済准后日記》の応永18年(1411)1月15日条で,その後,応永(1394-1428)~永享期の貴顕の日記などにおびただしい資料が残されているが,応仁の乱(1467-77)後に衰微した。ただ,御所での大名による松囃子は以前から赤松家で催されていたものを,1429年に将軍足利義教の命で御所でも行いはじめ,41年(嘉吉1)義教の死とともに取りやめたものであり,町女房の松囃子もまた義教の命によって一,二度催されたもので,いずれも一時的な催しであった。後年江戸幕府の正月2日(1654年からは3日)の謡初(うたいぞめ)を松囃子と呼んでいるが,これは室町幕府での松囃子と謡初がともに正月の観世大夫所演の儀式であり,室町末期には両者とも退転していたために混同されたものである。松囃子の遺風としては狂言に《松脂(まつやに)》や《松囃子》(和泉流)があり,民俗芸能に熊本県菊池市隈府(わいふ)および福岡市博多の松囃子がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松囃子」の意味・わかりやすい解説

松囃子
まつばやし

正月の祝言に行われた芸能。下位者が上位者の家に参って行うもので、遅くとも室町時代中期に始まり江戸時代まで行われたが、今日では狂言(和泉(いずみ)流)の演目に残るほか、民俗芸能や年中行事に痕跡(こんせき)をとどめているにすぎない。松囃子はもと年の暮れに年神を迎えるための松を伐(き)ってくる松迎えに起源するものらしく、魂の分割、増殖、鎮魂を意味する「はやし」の語が用いられたようだが、歌舞音曲用語の「囃子」に転用され、松拍、松奏とも書かれた。室町時代のものは風流(ふりゅう)的色彩の濃いもので、宮中、幕府、上流諸家に参って行われた。公卿(くぎょう)や大名が演じた例もあるが、多くは地下(じげ)(領民)の松囃子、殿原(とのばら)(公卿侍)の松囃子、郎党(武家)の松囃子、町女房の松囃子、声聞師(しょうもんじ)(神人(じにん))の松囃子などで、それぞれに飾り、仮装、舞踊、能、舞々(まいまい)などを競った。江戸時代は正月3日の将軍家で行われる能楽各流による演能の儀を松囃子と称した。今日の民間行事として、日取りこそ正月でなくなったが、風流系の松囃子の博多(はかた)どんたく(5月3~4日、福岡市)と、能楽系の松囃子の菊池神社御松囃子能(10月13日、熊本県菊池市)などがある。左義長(さぎちょう)を松囃子とよぶ例もあるが(新潟県佐渡(さど)市)、宮中でも左義長のおりに松囃子が催されたことがあった。

[西角井正大]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松囃子」の意味・わかりやすい解説

松囃子
まつばやし

室町時代以降盛んに行われた初春の祝儀芸能。「松拍」「松奏」などとも書く。村人,町衆,侍衆などがそれぞれ集団をつくり,諸邸に参入して行なった風流 (ふりゅう) を伴う祝賀の歌舞で,将軍邸には唱門師が訪れた。のちにはこれらを観世太夫に代えて行わせ,松囃子のあとに能を演じる習慣となった。さらにこれが年中行事化して1月 14日に行われるのが恒例になっていたが,応仁の乱頃から衰亡し,江戸時代に入ると謡初めを松囃子とも称するようになった。民俗芸能として現存するもののうち,風流の松囃子は福岡県博多に,能を行う松囃子は熊本県菊池市隈府や熊本市内の藤崎宮と北岡神社などで行われている。また長野市の善光寺や,長野県や三重県の一部では,正月の門松を山に取りに行って門口に迎え入れることを松囃子と称している。

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世界大百科事典(旧版)内の松囃子の言及

【祝福芸】より

…古代には〈ほかいびと〉(ほかい)と呼ばれ,家々の門(かど)に立って祝言を述べ,その代償として物を乞う存在があった。中世になると千秋万歳(せんずまんざい),物吉(ものよし),松囃子などといった祝言職が現れ,年の初めに禁中や諸寺,諸家に伺候して祝福の芸を演じ,また村々をめぐり歩いた。江戸時代になると祝言職の種類がさらに増え,万歳節季候(せきぞろ),うばら,つるそめ,えびす舞,大黒舞太神楽春駒鳥追などと多種多様になり,年末から年始にかけて諸国をめぐり歩き,訪問先で祝福芸を演じて生活の糧を得た。…

【どんたく】より

…例年5月3,4日に行われる〈博多どんたく祭り〉で,オランダ語のZontag(休息日)から出たとも,〈松どのや松どのや〉と囃したことからつけられたともいう。古くは1月15日に行われ,松囃子と称した。室町時代の松囃子を習い伝えたものといわれ,今も豪華な傘鉾(かさぼこ)とともに伝統の福神,恵比須,大黒,稚児に扮した仮装風流(ふりゆう)の練りが祭りの中心となっている。…

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