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鎌倉時代の僧。法然(ほうねん)(源空)の高弟の一人。浄土宗西山(せいざん)派の開祖。善慧房(ぜんねぼう)ともいう。源親季(みなもとのちかすえ)の長男として生まれ、9歳の春、久我通親(こがみちちか)(源通親)の養子となる。14歳のとき法然の弟子となり、以後23年間師の浄土教学を学んだ。弟子たちへの手紙の代筆をするなどその門弟中における地位はきわめて高かったが、1212年(建暦2)師の入滅にあい、以後、京都西山の三鈷寺(さんこじ)(旧称、往生院)を根拠地として今日の西山派の基礎を築いた。その教えは天台学を援用して、師法然の浄土教の再組織化を目ざしたもので、きわめて哲学的であり、かつまったく独特の解釈を展開している。その教化はとりわけ当時の貴族階級に多くの支持者を獲得した。おもな高弟に法興浄音(ほっこうじょうおん)(1201―1271)、円空立信(えんくうりゅうしん)(1213―1284)、観鏡証入(かんきょうしょうにゅう)(1196―1245)、道観証慧(どうかんしょうえ)(1195―1264)らがおり、その流れを西山四流という。著述に『自筆鈔(しょう)』『他筆鈔』『観経疏(かんぎょうしょ)大意』などがある。
[廣川尭敏 2017年8月21日]
『杉紫朗著『西鎮教義概論』(1924・龍谷大学出版部/復刻版・1975・百華苑)』▽『森英純著『白木の聖者――西山上人の生涯』(1948・西山専門学校)』▽『森英純著『西山証空上人』(1973・光明寺)』▽『森英純編『西山上人短篇鈔物集』(1980・西山短期大学)』
(林淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鎌倉時代の浄土宗西山(せいざん)派の派祖。西山上人と称する。加賀権守源親季の子に生まれ,内大臣久我通親の養子となった。1190年(建久1)に法然房源空の弟子となり,浄土宗の教義を学び,円頓菩薩戒も相伝した。98年法然が《選択(せんちやく)本願念仏集》を著したとき勘文役をつとめ,法然門下で高い地位を占め,99年(正治1)師に代わって関白九条兼実に同書を講じた。また日野の願蓮と弁阿闍梨政春に天台宗を学び,1207年(承元1)の法難のときには,兼実の弟で青蓮院(しようれんいん)門跡の慈円に預けられ,遠流を免れた。法然の滅後慈円の譲りを受けて西山善峰寺の別所往生院(のちの参鈷(さんこ)寺)に住み,洛中洛外で《観無量寿経疏》をはじめ善導の著を講じ,《観門要義鈔》41巻として残した。27年(安貞1)の法難のときも流罪を免れたのは,このような背景があり,説くところ安心領解の説などが天台宗の教義もとり込んでいたからでもあろう。門下の西山派は,西谷,深草,東山,嵯峨の4流に分かれた。
執筆者:菊地 勇次郎
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…教団としての成長をみるのは後鳥羽天皇のころからである。初期浄土宗諸派の始祖となった証空(西山(せいざん)派),弁長(鎮西(ちんぜい)派),幸西(一念義派),長西(諸行本願義派),隆寛(多念義派)らがあいついで門弟となり,1201年(建仁1)親鸞が入門した。九条兼実,熊谷直実ら貴族や武士の帰依者も増えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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