世界大百科事典(旧版)内の《王将》の言及
【伊藤大輔】より
…生涯に書いたシナリオはみずから監督した作品を含め200本以上に及ぶ。戦後は阪東妻三郎主演の《素浪人罷通る》(1947),《王将》(1948)からキャリアをスタートさせた。《反逆児》(1961)で中村錦之助(のち萬屋錦之介)を,〈錦ちゃん〉の愛称で親しまれたアイドルスターから演技力と格調をそなえた大スターに仕立て上げた功績もあり,晩年は(とくに1970年の《幕末》を最後に映画から遠ざかってからは)錦之介主演で舞台化した《反逆児》を中心に,もっぱら舞台劇の脚本と演出に力を注いだ。…
【坂田三吉】より
…のち和解したが,晩年は不遇。没後の55年に実力が認められて日本将棋連盟より〈名人位〉〈王将位〉が追贈された。その翌年大阪府豊中市の服部霊園に墓碑が建てられた。…
【阪東妻三郎】より
…稲垣浩監督),《素浪人罷通る》(1947。伊藤大輔監督)や老練の円熟した立回りが印象的な伊藤大輔監督《おぼろ駕籠》《大江戸五人男》(ともに1951)で阪妻ならではの風格と貫禄を見せるが,晩年に至る名優・阪妻の人間的な魅力とイメージを決定づけたのは,〈無知〉な庶民(車夫)の純粋無垢な魂を描いた稲垣浩監督《無法松の一生》(1943)から,これも〈無学文盲〉の徒(将棋一途の無知で気のいい男・坂田三吉)の気高い魂を描いた伊藤大輔監督《王将》(1948)をへて,うわべはいばり散らしているものの根は無邪気でお人よしの〈雷親父〉の喜劇を描いた木下恵介監督《破れ太鼓》(1949)に至る現代劇であろう。51歳で病死。…
※「《王将》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」