改訂新版 世界大百科事典 「ウラル語系諸族」の意味・わかりやすい解説
ウラル語系諸族 (ウラルごけいしょぞく)
ウラル語族に属する諸言語を使用する民族群の総称。ウラル諸語は共通の祖語にさかのぼることが言語学的に証明されており,この同系性を基礎にウラル語系諸族の歴史を再構成する試みが言語学,民俗学,民族学,考古学,自然人類学,歴史学などの領域(これらをまとめてウラル学と称する)で行われている。
分布
ウラル山脈の西側(山脈の東側も含むとの説もある)が原郷とされているウラル語系諸族は現在,スカンジナビアからタイミル半島に至る北方ユーラシア西部(東経56°~70°)に広く分布するが,スラブ,ゲルマン,バルト,チュルク,ツングース系諸族と交錯しあっており,分布は連続性を欠くところが多い。なかでも最有力民族の一つであるマジャール人は9世紀に東ヨーロッパへ移住して以降,上記の分布域から遠く隔たった離れ島をなしている。総人口は約2400万。
歴史的概説
ウラル学の最近の知見を総合すると,ウラル語系諸族の歴史は次のように想定することができる。ウラル祖語の担い手である原ウラル文化は前5千年紀以前の中石器時代の成立と考えられるが,当時すでにその形質的特徴はコーカソイド(エウロポイド)とモンゴロイドの中間型であるウラル型を示していたらしい。原ウラル文化は前4千年紀ころまでに原フィン・ウゴル文化と原サモエード文化に分岐し,前者は前3千年紀末まで存続し,新石器時代の櫛目文土器文化に比定されている。他方,後者の消息は研究の立遅れもあって判然としないが,西シベリアにあって後1世紀初頭に南群と北群に分かれる。南群のうちサヤン地方に残留した部分はその後チュルク化されて消滅し,セリクープ族のみが現存である。北群は北上を続け,先住民を同化して現存のネネツ族(ユラク・サモエード),エネツ族(エニセイ・サモエード),ガナサン族(タウギ・サモエード)の各族となる。原フィン・ウゴル文化は青銅器時代になると原フィン文化と原ウゴル文化に分裂する。両者はそれぞれボルガ・カマ流域のボロソボ文化および南シベリアのアンドロノボ文化に比定されるが,とくに前者は従来までの狩猟・漁労に加えて牧畜・農耕を開始,生産経済に到達したのである。原ウゴル文化は前1千年紀中葉に原オビ・ウゴルと原マジャールに二分,前者が鉄器時代のウスチ・ポルイ文化を経て現存のハンティ族と,マンシ族に連なるのに対し,後者はその後遊牧化し,南ロシアを経由してパンノニアへ移住したマジャール人となる。原フィン文化は前2千年紀中葉に分裂,一方のペルミ・フィンは鉄器時代に栄えたアナニノ文化を経たのちさらに分かれて現存のコミ(ジリャン)族,ウドムルト(ボチャーク)族となり,もう一方の原ボルガ・フィンも前1世紀初頭には,のちのモルドバ(モルドビン)族,マリ(チェレミス)族の先祖に当たるボルガ・フィンと,バルト海東岸方面へ移住した原バルト・フィンとに分化する。後1世紀末以降原バルト・フィンはさらに拡散を重ね,バルト海東岸のエスティ(エストニア),ボート,リーブ(リボニア),北ロシアのベプス,インケリ(イングリア),カレル(カレリア),スカンジナビアのスオミの諸族となる。ところで,ラップランドの原住民サーミ(ラップ)族はバルト・フィン諸族の一員だが,言語的に最も近い隣族スオミ族とは形質を大きく異にするところから,ウラル語の古い段階を代表するある言語(プロト・ラップ)を使用していたサーミ族の祖先が,ボルガ・フィン,バルト・フィンの強い影響下に古い言語を捨ててバルト・フィン語を採用したとする所論(プロト・ラップ論)が有力である。
研究体制としては,フィンランド,ハンガリー,エストニアを中心に国際ウラル学会が組織されており,4年おきに国際会議を開催している。日本でも1973年に日本ウラル学会が発足し,学会誌《ウラリカUralica》を刊行している。
→ウラル語族
執筆者:井上 紘一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報