きわめて低い温度をいうが,具体的に何度以下を指すかは時代によって異なり,現在ではおおむね液体ヘリウム4の液化によって得られる約4K以下の温度域を指すのが一般的である。さらに低い1mK以下の領域を超低温と呼ぶこともある。
現在,実験室では10⁻6Kというような低温が純粋に学術的な興味から実現されているが,このような極低温への挑戦は,より現実的な目的をもって,産業革命のきっかけとなった蒸気機関の発明と同時に始まった。その効率をいかに上げるかという実用上の必要から,熱の本質が解明されていき,その結果,低温をうる原理と技術が完成されていった。低い温度そのものも,食品保存の手段としての実用性をもっていた。
低温の探究の第1段階は,沸点が低いいろいろな気体を液化することと結びついていた。すなわち,気体を液化することによってその気体の沸点の温度が得られる。1823年にM.ファラデーが,室温で高い圧力をかけることで塩素ガス(沸点-34℃)を液化したのを最初として,室温で気体である物質が次々と液化され,70年ごろには酸素,窒素,水素,ヘリウムを残すのみとなった。これらは,室温ではいくら加圧しても液化せず,永久気体と呼ばれた。しかし,それまでに蓄積された知識に基づいてより巧妙な方法が考案され,77年,L.P.カイユテとR.P.ピクテが,それぞれ独立に酸素(沸点-183℃)と窒素(沸点-196℃),98年にJ.デュワーが水素(沸点-253℃)を液化した。そして,1908年に最後のヘリウム(ヘリウム4)がカメルリン・オンネスによって液化され,液化の歴史が終わるとともに極低温の世界への幕が開かれたのである。ヘリウムの沸点は1気圧において-268.9℃,絶対温度で4.2Kである。
室温よりも高い温度を作るには,石油を燃やしたり,ものをこすり合わせたりして,化学的エネルギーや力学的エネルギーを熱エネルギーに変換すればよい。これらの過程は熱力学の第2法則に逆らわない,自然界で自然に起こりうる過程である。一方,室温よりも低い温度を作ることは,冷却される物体から熱エネルギーをより高温の物体へくみだすことであり,放置しておいて決して起こることのない現象である。その意味で,低温を作ることは,高温を作るよりもはるかに困難である。熱力学の第2法則は,エントロピー増大の法則である。したがって,ある物体を冷却することは,その物体を含む大きな系での全エントロピーの増大の犠牲のうえに,その物体のところだけ局所的にエントロピーを下げることである。1Kと1mKの差はごくわずかであっても,1Kから1mKまで温度を下げることには非常に多くの困難を克服しなければならなかった理由はここにある。
→エントロピー
気体の液化には次のような方法がある。第1は等温加圧である。もし気体を,その気体の臨界温度以下に保てれば,圧力を上げていくことで飽和蒸気圧に到達することができ,それより先は体積を小さくしても圧力は変化せず液体ができ始める。こうして十分な量を液化したのち,容器を外界と断熱し圧力を下げると液体は蒸発するが,その際の気化熱によって液体と気体の温度は下がり,最終的な圧力に対応した沸点の温度をもつ液体が得られる。この方法は臨界温度の制限があるために,分子間の相互作用の強い気体でしか使えない。
第2の方法は断熱膨張である。気体を等温で加圧したのち,例えばピストンを後退させるように,気体になんらかの方法で外界に力学的仕事をさせると,気体分子の運動エネルギーが減少し温度が下がる。これは後退している壁にボールをぶつけるとき,ボールの速さと運動エネルギーは衝突後のほうが小さくなることと同じである。このとき,圧力と温度がその気体の飽和蒸気圧曲線の液体の側にくれば,気体の一部は液体となる。液化するかどうかを問わなければ,この方法はすべての気体の温度を下げるのに使うことができる。
第3にはジュール=トムソン効果を利用する方法がある。高圧の気体を細い孔を通じて低圧の容器中に噴出させると,気体の温度が変化する。高圧側の温度がジュール=トムソン反転温度と呼ばれる値よりも高ければ加熱,その逆のとき冷却が起こる。反転温度は,例えば窒素ガスで650K,ヘリウムで40Kである。この場合は,断熱膨張とは異なり,気体は外界に対して仕事をしていないが,分子間に相互作用があるために,分子間の距離を増加させることで,分子の運動エネルギーが分子間のポテンシャルエネルギーに転換され,温度が下がると理解される。すなわち,一つ一つの分子が他の分子に対して断熱膨張の場合のピストンの役割をしている。
ヘリウムのように沸点が低く,またジュール=トムソン反転温度の低い気体は,これらの方法を巧みに組み合わせて液化する。まず液体窒素などで冷却した気体を,その温度を保ったまま加圧したのち断熱膨張させると,気体の温度が低下する。こうして得られた低温を使って高圧の気体をジュール=トムソン反転温度以下まで冷却し,それを低圧の容器に噴出させてさらに温度を下げると気体の一部は液体となってたまる。
ひとたび低温の液体が作られると,次にはそれを減圧して気化熱を奪うことによってさらに低い温度が作れるが,温度が下がると蒸気圧は急速に低下し,蒸発速度が遅くなるために,もっとも沸点が低い物質であるヘリウム3の液体を減圧して得られる実用的な温度は約0.3Kに制約される。
→液化 →気体
液体ヘリウムの減圧で得られる0.3Kよりも低い温度は,まったく別の原理に基づいた断熱消磁による冷却,ヘリウム3-ヘリウム4希釈冷却,ポメランチュク冷却などによって実現される。
断熱消磁の方法は,物質の中の電子,あるいは原子核がもつ磁気モーメントを,一定の温度に保ちながら外部から強い磁場をかけて磁場の方向にそろえて磁化し,次に物質を外界と断熱してから磁場を減少させるというものである。これは,気体の分子の空間運動の自由度と,磁気モーメントの方向の自由度とを同等に考えれば,気体の断熱膨張と本質的にまったく等価な操作であり,磁気モーメントの系の温度は低くなる。この方法によって作られる温度の下限は,磁気モーメント間の相互作用によって磁気的な秩序が生ずる温度で制限される。電子の磁気モーメントを使う場合には約1mK,原子核の磁気モーメントを利用する場合には10⁻8K程度が実現できる。後者は現在考えられる中でもっとも低い温度を作る方法である。ただし,10⁻8Kは磁気モーメントだけからなる系の中の温度であって,物質の全自由度についてこの温度が実現されるわけではないことに注意が必要である。
ヘリウム3-ヘリウム4希釈冷却は,ヘリウム4の液体の中にヘリウム3が約6.4%溶け込めることを利用している。純粋なヘリウム3の液体と,ヘリウム3が6.4%溶け込んだヘリウム4の液体を二相共存させ,ヘリウム3原子を濃い相から薄い相へ移動させると,潜熱の吸収が起こって温度が下がる。ヘリウム3原子の移動は,液体ヘリウム3から気相への蒸発と類似であるが,蒸発の場合は温度とともに気相の密度が対数的に急激に減少するのに対して,この方法では絶対0度まで有限な溶解度があるため,数mKの低温まで十分な吸熱力を維持することが可能である。さらに,断熱消磁の場合とは異なり,ヘリウム3を循環させて連続的に運転できるという大きな利点ももつため,この方法は極低温の実験室の標準的な装置になってきている。
ポメランチュク冷却は,ソ連のポメランチュクI.Pomeranchukが考案した方法で,0.3K以下で固体ヘリウム3が負の融解熱をもつことを利用して,液体を加圧し固体を作り出し,吸熱させるものである。ヘリウム3のこの奇妙な性質は,その原子がスピン1/2をもつフェルミ粒子であることから生じている。原子が自由に動ける液体では,一つの状態に一つの粒子しか入れないとするパウリの原理のために約0.3K以下でフェルミ縮退が起こり,ヘリウム3の集団としての液体のとりうる状態の数が急速に減少し,エントロピーが低下する。一方,固体ではヘリウム3原子はおのおの格子点に固定されているために,スピンの向きの自由度に付随する乱雑さは低温まで残り,エントロピーは減少しにくい。0.3Kあたりを境にヘリウム3原子1個あたりのエントロピーは固体の相のほうが大きくなり,エントロピーの差に比例する潜熱はこれ以下の温度で符号が逆になる。したがって,加圧によって固体を作ると吸熱が起こる。ポメランチュク冷却によって作られる低温の限界は,固体中のヘリウム3原子核の間に働く磁気的な相互作用のためにスピンの向きに秩序が生じ始め,エントロピーが低下する温度で決まり,約1mKである。この冷却方法は,連続運転ができないことや,装置がやや複雑であるなどの欠点をもつが,一方,吸熱力がきわめて大きいという利点もある。
現在,もっとも低い温度に達するための装置は,例外なしに,希釈冷却器を予冷用とし,核断熱消磁装置を2段につないだものが使われている。
→断熱消磁
一般に,構成要素の間に相互作用をもつ多体系では,相互作用のエネルギーと熱エネルギー(絶対温度にボルツマン定数を掛けたもの)が同程度になる温度よりも低温になると秩序状態が生ずる。秩序には,例えば,電子や原子核の磁気モーメントの磁気的な秩序や,超伝導や超流動などの運動量空間での秩序などがある。これらの秩序には極低温で出現するものが少なくなく,また,極低温で起こる場合には現象がきわめて量子力学的性質を帯びるために,物性研究の対象として極低温域は非常に興味深い。とくに,1911年カメルリン・オンネスによって発見された電気抵抗が0になる超伝導や,液体ヘリウムにおいてみられる粘性0で流れる超流動現象が,室温での知識からはまったく予想できなかった現象であったように,より低い温度の探究はまさに未知の世界の探検でもある。一方,超伝導の発見と,その後の技術的な進歩は,極低温を純粋に学問的興味の対象に止めず,超伝導発電機,磁気浮上式鉄道,エネルギー貯蔵など,超伝導磁石を使った大規模応用から,超伝導のジョセフソン効果を利用したジョセフソン計算機や高感度磁束計などのエレクトロニクスへの応用など,きわめて重要な実用化が進み始めている。
→超伝導 →超流動
執筆者:小林 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
きわめて低い温度領域。すなわち物理学において、室温から比べると十分に低い、いわゆる絶対零度に比較的近い温度領域をさす。しかし、この温度領域は、物理学の進歩とともに、最低到達温度が飛躍的に低下し、1981年には核断熱消磁の成功によって、絶対温度で20マイクロK(1マイクロKは100万分の1K)付近に到達できるようになった。さらに1995年、アルカリ金属であるルビジウム87(87Rb)のレーザー冷却により20ナノK(1ナノKは10億分の1K)が、アメリカのコロラド大学と国立標準技術研究所が共同運営する宇宙物理学複合研究所(JILA=Joint Institute for Laboratory Astrophysics)によって実現された。そこで、新たに「超低温」なることばも低温物理学のなかで用いられるようになった。
[渡辺 昂]
現在の物理学においては、極低温領域とは、0.1K(絶対温度)以下の温度領域をさすと理解するのが適当である。なぜならば、この温度を境として、より低温の領域では低温の生成法も異なり、物理測定を高い精度で行うことについても、熱の流入などを考慮するとき一定の困難があったからである。
しかし、この領域における物理測定は、100分の1Kまでは、1K以上におけるのと同様に、かなり高い精度で行われるようになり、現在では、1ミリK(1000分の1K)前後の温度領域の物理測定が比較的容易に行われている。それは、一つは同位元素(アイソトープ)であるヘリウム3(3He)とヘリウム4(4He)の量子効果を利用した希釈冷凍器の冷凍能力の大きな装置が商品化されたこと、もう一つは、量子干渉効果を用いた測定素子SQUIDの開発を中心としたエレクトロニクスの発達による。
核断熱消磁法によって10マイクロK付近への到達が可能となり、低温物理学のこの分野の発展によって1ミリK以下における物質の物理学的性質が解明されてきた。その結果1ミリK付近からさらに低温の領域を「超低温」とよぶようになった。磁気浮上式鉄道、超伝導発電機および電動機の開発、超伝導電力送電の開発、高エネルギー加速器用・MHD発電(磁気流体発電)用・または未来の核融合反応用の超大型の超伝導電磁石などの開発が、現在も進められている。
[渡辺 昂]
物理学でいう極低温とは異なり、人間が生活する室温である約20℃に比較してかなり低いと考えられる温度、たとえば液体窒素の温度付近を極低温ないしは超低温ということがある。これは工学における冷凍技術からみた極限温度と考えられてきたからである。
フロンガスを冷媒とした電気冷蔵庫のフリーザー(冷凍庫)内の温度は、おおよそ零下15~25℃である。1960年ころまでの冷凍保存とはこの温度領域であった。さらに低い温度といっても、特殊な目的のためにドライアイスを用いて零下77℃に到達するのが限度であった。ところが1960年以降の経済の高度成長期を通じて、冷媒として液体窒素の大量使用が可能になってきた。液体窒素の沸点は1気圧の下で78K(零下195℃)である。
液体窒素を用いた冷凍保存は、冷凍食品の酸化による品質の低下を防ぐために有効である。このために、1960年以降急速に普及し、冷凍食品の流通経路として現在のコールド・チェーンを形成するに至った。このほかに、医薬品の保存、血液・血漿(けっしょう)・血清(けっせい)の保存にも液体窒素は広く使用されている。また外科医学の分野においても、癌(がん)、ポリープなどの手術に、液体窒素を用いた冷凍麻酔による超低温外科手術も行われている。このようにこれまでにない低温の領域を開発したときに、技術、工学の分野でもその新たな低温領域に極低温、超低温の名を冠してよばれることがある。なお、コールド・チェーンの急速な発達を促したのは、1950年代後半より普及した酸素製鋼法による製鉄所における酸素の大量消費であった。
[渡辺 昂]
『中嶋貞雄著『量子の世界――極低温の物理』(1975・東京大学出版会)』▽『長谷田泰一郎・目片守著『低温――絶対零度への道』(1975・NHKブックス)』▽『永野弘著『極低温と超電導――気体液化のプロセスと応用技術』(1986・啓学出版)』▽『渡辺昂著『超流動から超伝導へ』(1991・大月書店)』▽『守屋潤一郎著『極限科学のなかの極低温技術』(1992・東京電機大学出版局)』▽『荻原宏康・中込秀樹著『極低温のはなし』(1994・オーム社)』▽『小林勝著『極低温金属加工』(1998・日刊工業新聞社)』▽『関信弘編『低温環境利用技術ハンドブック――低温・超低温・極低温を活かす技術』(2001・森北出版)』▽『渡辺昂著『極低温の世界――目に見える量子現象』(新日本出版社・新日本新書)』
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きわめて低い温度領域をさすが,はっきりした限界は決まっていない.10 K 以下の温度をいうこともあれば,液体ヘリウム温度(約5 K 以下)をさすこともある.20 K 以下の温度はヘリウムガスを用いた冷凍機によって得られる.4.2 K 以下の温度は液体ヘリウムの蒸気圧を減圧することによって得られる.4He では0.7 K,3He では0.3 K までの温度が得られる.それ以下の温度は断熱消磁法(電子断熱消磁法(3×10-3 K まで)と核断熱消磁法(5×10-6 K まで)),あるいは液体 4He 中へ液体 3He を希釈する方法で得られる.最近,10 m K 以下の温度を超低温とよぶようになった.100 K から約0.3 K までの温度測定には,カーボン抵抗体(ラジオ用)あるいはヒ素をドープしたゲルマニウム抵抗体が用いられる.これらの抵抗体の抵抗値に温度の目盛をつけるには,液体 4He および液体 3He の飽和蒸気圧-温度の関係(1954年 4He 目盛,1962年 3He 目盛)が用いられる.1 K 以下の温度測定は常磁性塩の磁化率が温度に反比例してかわることを利用する.[別用語参照]キュリー温度,磁化率温度測定
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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