フランスの数学者。イゼール県の寒村ドロミューに生まれ、生地の小学校を卒業後、ビエンヌ中学校の給費生となり、さらに日本の高等学校に相当する学校を経て、19歳でエコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)に入学した。1891年同校を卒業すると同時にアグレジェ(教授資格試験)に合格し、研究生活に入った。1894年、学位論文「有限次元連続変換群の構造について」で学位を取得したが、この論文は連続変換群論への大きな貢献で、今日でも若い数学者たちが話題にする内容を含んでいる。モンペリエおよびリヨンの大学の講師、ナンシー大学教授を経て、1912年パリ大学教授に就任。いわゆる動座標系の方法を用いて、連続群論、積分不変式論、ファッフ形式論、接続の幾何学、位相幾何学、相対性理論などに多くの業績を残した。長男アンリHenri(1904―2008)は数学者でパリ大学教授となった。次男ジャンJean(1906―1932)は作曲家、三男ルイLouis(1909―1943)は理論物理学者であったが、二人とも夭折(ようせつ)した。
[矢野健太郎]
フランスの数学者。フランス・アルプスの寒村で出生,父は鍛冶(かじ)屋であった。小学生のころより聡明(そうめい)で,視学官の助力で奨学金を得,高等教育をうけることができた。1891年にエコール・ノルマル・シュペリウールを卒業し,94年には〈単純リー環〉の構造を決定した有名な論文によって学位を得た。モンペリエ,リヨン,ナンシーの各大学教授を経て,1912年にパリ大学教授に就任し,40年まで在任した。彼は神秘的とさえいえる洞察力によって,連続群論,偏微分方程式,微分幾何学,理論物理学などの多方面にわたって画期的な業績をあげ,今日の数学の中心課題である多様体上の解析学の形成と発展に先駆的役割を果たした。量子力学で重要なスピノルの概念も13年に彼が導入したものであり,現代数学のいろいろの分野で不可欠の概念とされているファイバーバンドルも彼の導入した接続の概念に負うものである。現今では,カルタンはH.ポアンカレ,D.ヒルベルトとともに最近100年間における最高の数学者とみなされているが,彼の数学の異常な独創性と斬新性のため,彼が第一級の数学者と認められるようになったのは30年以後である。なお,長男アンリHenri C.(1904- )もパリ大学の数学教授。ニコラ・ブールバキのメンバーの一人で,多変数関数論,位相幾何学などの研究で優れた業績をあげている。
執筆者:中岡 稔
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…一般に,幾何学とは図形に関する数学であると説明されているが,幾何学の対象,内容,方法は時代とともに著しく変遷し,その範囲も非常に拡大され,現在ではこれらをすべて含むように幾何学を定義することはできない。しかしながら,幾何学と名のつく数学では,図形の直観,またはその類似に依存して研究される度合が強い。なお,geometryはギリシア語の〈土地を測る〉を意味するgeōmetriaに由来し,幾何は中国語で量的な問いを意味する疑問詞で,中国からの伝来語である。…
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