クルチウス

化学辞典 第2版 「クルチウス」の解説

クルチウス
クルチウス
Curtius, Theodor

ドイツの有機化学者.ライプチヒ大学でA.W.H. Kolbe(コルベ)に,ミュンヘン大学でJ.F.W.A. von Baeyer(バイヤー)について化学を学んだ.Kolbeのもとで博士号を取得.1889年キール大学教授,1897年ボン大学教授,1898年ハイデルベルク大学教授を歴任.1883年Baeyerの示唆でアミノ酢酸エチルを合成し,はじめての脂肪族ジアゾ化合物であるジアゾ酢酸エステル(1883年)およびヒドラジンを合成した(1887年).そのほか,1890年ヒドラジンに亜硝酸の作用でアジ化水素を合成,1887年ピラゾリンを含む有機窒素化合物とアミノ酸誘導体を研究し,1890年酸アジドからアミンを得る反応(クルチウス転位)を発見した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クルチウス」の意味・わかりやすい解説

クルチウス
Curtius, Theodor

[生]1857.5.27. デュースブルク
[没]1928.2.8. ハイデルベルク
ドイツの化学者。ハイデルベルクで R.ブンゼンライプチヒで H.コルベに師事した。ミュンヘンエルランゲン,ボンなどで研究生活をおくり,1898年以来 V.マイアーの後継者として 28年間ハイデルベルク大学の化学教室を主宰し,同時に『応用化学雑誌』 Journal für praktische Chemieの編集にあたった。酸アジドのイソシアン酸エステルへの転位 (クルチウス転位) ,さらにこれを加水分解してアミンとする反応 (クルチウス反応 ) の発見,ヒドラジン (1887) ,アジ化水素酸 (90) の合成で知られている。

クルチウス
Curtius

古代ローマ市のフォールム (広場) にあったとされるクルチウス池の名の由来とされる3名の伝説的英雄。 (1) Mettius Curtius ロムルス (→ロムルスとレムス ) との戦闘中にこの池の中へ落馬したとされる人物。 (2) Gaius Curtius 前 445年の執政官 (コンスル ) 。在任中この池に雷が落ちたのでこれを聖所とした。 (3) Marcus Curtius 若い騎士で,伝承によれば,前 362年ローマのフォールムに突然裂け目ができ,ローマの最も大切なものが投込まれるまでは閉じないと予言された。彼は勇敢な市民ほど大切なものはないと言って,完全武装をして馬にまたがり,穴に飛込んだ。穴は閉じ,そこにできた池がクルチウス池となったとされる。

クルチウス
Curtius, Ernst Robert

[生]1886.4.14. アルザス,ターン
[没]1956.4.19. ローマ
ドイツの文学研究者,ラテン語学者。マールブルク,ハイデルベルク,ボンなどの大学の教壇に立ち,特に 19,20世紀のフランスの文学,思想,および中世ラテン文学を研究,新紀元を画した。ジッド,R.ロラン,ペギーバレリー,オルテガ・イ・ガセット,ウナムーノ,T.S.エリオット,ジョイスらをドイツに紹介した功績は大きい。主著『バルザック』 Balzac (1923) ,『ヨーロッパ文学とラテン中世』 Europäische Literatur und lateinisches Mittelalter (48) ,『20世紀のフランス精神』 Französischer Geist im20.Jh. (52) 。

クルチウス
Curtius, Georg

[生]1820.4.16. リューベック
[没]1885.8.12. ヘルムスドルフ
ドイツの言語学者。プラハ,キール,ライプチヒなどの大学の教授を歴任。『ギリシア語源学提要』 Grundzüge der griechischen Etymologie (1858~62) などの著者として,ギリシア語文献学の研究に貢献した。印欧語比較言語学の発達を推進した一人であるが,次代の青年文法学派の主張には最後まで反対した。

クルチウス
Curtius, Montanus

1世紀頃のローマの詩人,政治家。皇帝ネロ (在位 54~68) のとき風刺詩が原因で訴追され,財産を奪われ公職から追放された。しかし 70年には復帰,元老院で政敵の弾劾演説を行なった。のちにはドミチアヌス帝の顧問となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルチウス」の意味・わかりやすい解説

クルチウス
くるちうす
Ernst Robert Curtius
(1886―1956)

ドイツのフランス文学者。マールブルク、ハイデルベルク、ボン大学教授を歴任し、『現代フランスの文学開拓者たち』(1919)、『現代ヨーロッパにおけるフランス精神』(1925)、『フランス文化論』(1930)、『ヨーロッパ文芸批評』(1950)などの名著を残す。エルザス地方出身で、生涯「ヨーロッパ文学」の概念確立に努め、大著『ヨーロッパ文学とラテン中世』(1948)に結実させた。

[南大路振一]

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