アメリカで1930年代以後、進歩主義教育の立場から地域に根ざした教育を推進した学校で、地域社会学校と訳される。当初は、新教育への学校活動改革運動により、諸種の圧力団体が勢力をもつ地域社会での初等学校からカレッジに及ぶ学校体系の確立を目ざすものであった。1940年代には社会科をカリキュラムの核にして、地域社会を生徒・学生の拡大された学習の場とすることに力点が置かれるようになった。そのため、学校を開放し、カリキュラムも地域生活の問題をめぐって編成された。そこには一般社会人をも参加させ、地域の諸機関・団体との調整を図りつつ、民主主義を促進することが標榜(ひょうぼう)された。イギリスでも、中等教育と成人教育の両部門をもつ学校がコミュニティ・カレッジやコミュニティ・スクールとよばれている。
日本でも、第二次世界大戦後、この考えに基づく教育が広がったが、1958年(昭和33)以後、学習指導要領が法的拘束力をもつとの国の解釈もあり、地域独自の教育課程を組むことは少なくなった。しかし、21世紀に入るころから、「総合的学習の時間」などで地域の課題をとりあげる授業も多くなり、2004年(平成16)には、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の改正により、地域住民等が参加する学校運営協議会の設置も認められて、このような学校をコミュニティ・スクールとよぶなどの動きがみられる。
[藤原英夫・上杉孝實]
地域社会学校,社会中心学校とも呼ばれる学校教育改造運動のひとつである。1920年代以降,とくに30年代のアメリカで理論化され積極的に展開されたが,歴史的には,伝統的な教科中心学校に対する児童中心学校が子どもの興味・関心を重視するあまり,生活とくに地域社会の生活から遊離する傾向をもたらしたことに対する反省にもとづいている。そこでは地域社会の教育文化センターとして学校がとらえられ,地域教育調査・計画の立案,その結果にもとづく学校教育カリキュラムの作成など地域社会と学校との結びつきが重視された。これには,1929年の大恐慌後のニューディール政策その他の影響も無視できない。コミュニティ・スクールの思想と運動は,戦後日本の新教育にも大きな影響を与え,とくに占領期に全国各地で試みられた。神奈川県福沢村小学校,埼玉県川口市および広島県本郷町・舟木村(現,三原市)のプランなどが有名であるが,それらの遺産の継承が今日いわゆる生涯教育構想のもとに再評価されつつある。
→コミュニティ・カレッジ
執筆者:小川 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(新井郁男 上越教育大学名誉教授 / 2007年)
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