ストロベリー(読み)すとろべりー(英語表記)Darryl Eugene Strawberry

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストロベリー」の意味・わかりやすい解説

ストロベリー
すとろべりー
Darryl Eugene Strawberry
(1962― )

アメリカのプロ野球選手(左投左打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のニューヨーク・メッツロサンゼルス・ドジャースサンフランシスコ・ジャイアンツニューヨーク・ヤンキースで外野手としてプレー。抜群のスイングスピードでホームランを連発した強打者であるが、私生活でのトラブルが絶えなかったことでも知られる。

 3月12日、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。クレンシャウ高から1980年、ドラフト1巡目(全体1番目)指名を受けてメッツ入団。1983年に大リーグ昇格を果たすとすぐにレギュラーに定着し、122試合に出場してホームラン26本を打ち、新人王に選ばれた。1984年からは3年連続してホームラン25本以上と盗塁25以上を記録し、86年ワールド・シリーズ優勝に貢献した。1987年はホームラン39本と盗塁36で「30本30盗塁」を達成し、88年にはホームラン39本で本塁打王を獲得。1990年を最後にメッツを去るまでに、87年、88年、90年と打点100以上も3回マークした。1991年FA(フリーエージェント)でドジャースに移籍。しかし、コカイン使用やチームメイトとの喧嘩沙汰(けんかざた)といったメッツ時代からのトラブル癖は解消されず、1992年以降は成績が急落した。薬物ドラッグ中毒のリハビリセンターに入院となり、1994年には解雇された。同年のシーズン途中からジャイアンツに昇格するチャンスを得たが、その後、ドラッグのリハビリプログラム違反が判明して解雇となった。1995年は、シーズン途中からヤンキースでプレーしたものの、シーズンオフに再契約の提示はなされなかった。1996年は独立リーグでプレーしながらチャンスを待ち、シーズン途中で再度ヤンキースに入り、ホームラン11本と復活した。アトランタ・ブレーブスとのワールド・シリーズにも出場し、優勝に貢献した。1997年は膝(ひざ)の故障で11試合にしか出場できなかったが、98年はホームラン24本を打ってまたも復活。しかし、結腸癌(がん)のため戦線離脱を余儀なくされ、チームはワールド・シリーズを制したが試合には出場できなかった。1999年はコカイン所持と買春容疑で逮捕された。この年の24試合を最後に球界からは姿を消した。

 17年間の通算成績は、出場試合1583、安打1401、打率2割5分9厘、本塁打335、打点1000。獲得したおもなタイトルは、新人王、本塁打王1回。

[山下 健]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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