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ロシアの風刺作家、ジャーナリスト。貧しい貴族の出身で、モスクワ大学付属中学校を無断欠席のため放逐され、その後、軍人、役人として短期間勤務した。エカチェリーナ2世が設立した新法典委員会に一時籍を置いたが、この委員会の解散後官職を退き、1769年以降『雄蜂』『駄ぼら吹き』『画家』など社会風刺と啓蒙(けいもう)を目的とする雑誌を次々と刊行。自らさまざまな筆名を用いて農奴制社会の矛盾を摘発する記事を書きまくった。雑誌のなかには短期間に廃刊になったものもあるが、辛辣(しんらつ)な内容を含むノビコフの論説はロシアの読書社会に大きな反響をよぶとともに、その後のロシア評論の礎(いしずえ)を置くことになった。『雄蜂』誌上で、官吏の腐敗ぶりと風刺の態度をめぐって、エカチェリーナ女帝の雑誌『一切合切(いっさいがっさい)』と激しい論争を行ったこともある。雑誌編集者として活躍したほか、スマローコフ全集やシェークスピア、ルソーなどの作品のロシア語訳を刊行。1770年代にフリーメーソンに入会してからますます啓蒙活動に情熱を燃やし、学校、印刷所、病院などを設立し、社会運動にも乗り出した。しかし活動が盛んになるにつれて女帝の嫌疑を受け、逮捕ののち裁判にもかけられずに、1792年シュリッセリブルグの要塞(ようさい)監獄に投獄された。1796年女帝を継いだパーベル1世により釈放されたが、すでに往年のおもかげはなかった。
[中村喜和]
ロシアの啓蒙家,ジャーナリスト。近衛連隊に勤務したのちエカチェリナ2世の新法典委員会に書記として採用されるが,女帝の表面的な啓蒙主義に幻滅し,退職。《雄蜂》《駄ぼら吹き》《画家》などの雑誌を次々に創刊し,自らも啓蒙と社会風刺を内容とする評論を執筆する。出版活動にも力を注ぎ,ロシア史の大部の史料集や,シェークスピア,ルソーなどの作品のロシア語訳など,多くの書物を刊行した。1770年代にフリーメーソンに入会してから,学校,印刷所,病院などを設立したり,社会運動にも乗り出した。このため女帝の嫌疑を受けて,92年逮捕され,裁判も受けずに投獄された。96年,エカチェリナ2世の死後に出獄したが,社会活動への復帰は許されなかった。啓蒙主義の実践家として高い評価を与えられている。
執筆者:中村 喜和
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…18世紀最大の詩人デルジャービンは古典主義の規則を無視し,バロック的な荘重な文体を好む一方で,イギリス〈墓地派Churchyard school〉(T.グレー,ヤングなど)の影響下にロマン派に接近する。この時代の活発な文化活動は,啓蒙思想の運動に反映し,ラジーシチェフ(《ペテルブルグからモスクワへの旅》1790),ロシア・ジャーナリズムの創始者でフリーメーソンであったノビコフらを生むことになる。文学史的により重要なのは,西欧で通例プレ・ロマンティシズムと呼ばれている流派に対応するセンチメンタリズム(主情主義)という文学潮流である。…
※「ノビコフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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