ノビコフ(読み)のびこふ(英語表記)Николай Иванович Новиков/Nikolay Ivanovich Novikov

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノビコフ」の意味・わかりやすい解説

ノビコフ
Novikov, Sergey Petrovich

[生]1938.3.20. ゴーリキー
ロシアの数学者。1960年にモスクワ大学を卒業後,V.A.ステクロフ数学研究所で 1964年に博士号,1965年に理学博士号を取得。1964年にモスクワ大学の学部教授に就任,1975年ランダウ理論物理学研究所で数学部長となる。1983年 V.A.ステクロフ数学研究所の数学部長に就任した。1970年,フランスのニースで開催された国際数学者会議位相幾何学(→トポロジー)に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。ノビコフの位相幾何学における業績の一つは葉層構造に関する研究である。葉層構造とは,多様体をある余次元をもった部分多様体の共通部分をもたない和に分割することであり,ノビコフは閉じた葉層の存在についての重要な結果を得た。1965年に可微分多様体の有理ポントリャーギン類(→ポントリャーギン)の位相不変性を証明。多様体のトム空間のコホモロジーとホモトピー(→ホモトピー論)についての研究でも顕著な貢献をした。後年の研究は,理論物理学数学の連携に向けられ,特にソリトン理論とテータ関数やスペクトル理論代数幾何学との関連などについて業績を上げている。

ノビコフ
Novikov, Nikolai Ivanovich

[生]1744.5.8. モスクワ,チフビンスコエ
[没]1818.8.12. モスクワ,チフビンスコエ
ロシアの啓蒙思想家。貴族の家庭に生まれ,モスクワ大学付属中学校で学んだ。新法案設定委員会で働いたのち,1769年以来『雄蜂』 Truten'をはじめとする風刺雑誌を編集発行して,農奴制地主の専横ぶりを暴露哲学経済学教育学に関する著作を書いたが,エカテリーナ2世によって逮捕,流刑に処せられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノビコフ」の意味・わかりやすい解説

ノビコフ
のびこふ
Николай Иванович Новиков/Nikolay Ivanovich Novikov
(1744―1818)

ロシアの風刺作家、ジャーナリスト。貧しい貴族の出身で、モスクワ大学付属中学校を無断欠席のため放逐され、その後、軍人役人として短期間勤務した。エカチェリーナ2世が設立した新法典委員会に一時籍を置いたが、この委員会の解散後官職を退き、1769年以降『雄蜂』『駄ぼら吹き』『画家』など社会風刺と啓蒙(けいもう)を目的とする雑誌を次々と刊行。自らさまざまな筆名を用いて農奴制社会の矛盾を摘発する記事を書きまくった。雑誌のなかには短期間に廃刊になったものもあるが、辛辣(しんらつ)な内容を含むノビコフの論説はロシアの読書社会に大きな反響をよぶとともに、その後のロシア評論の礎(いしずえ)を置くことになった。『雄蜂』誌上で、官吏の腐敗ぶりと風刺の態度をめぐって、エカチェリーナ女帝の雑誌『一切合切(いっさいがっさい)』と激しい論争を行ったこともある。雑誌編集者として活躍したほか、スマローコフ全集やシェークスピア、ルソーなどの作品のロシア語訳を刊行。1770年代にフリーメーソンに入会してからますます啓蒙活動に情熱を燃やし、学校、印刷所、病院などを設立し、社会運動にも乗り出した。しかし活動が盛んになるにつれて女帝の嫌疑を受け、逮捕ののち裁判にもかけられずに、1792年シュリッセリブルグの要塞(ようさい)監獄に投獄された。1796年女帝を継いだパーベル1世により釈放されたが、すでに往年のおもかげはなかった。

[中村喜和]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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