改訂新版 世界大百科事典 「帝国教会政策」の意味・わかりやすい解説
帝国教会政策 (ていこくきょうかいせいさく)
Reichskirchenpolitik
ザクセン朝,ザリエル朝初期のドイツ国王・神聖ローマ皇帝が採った政策で,国王の守護権の下にある教会を統治機構に組み込み,大司教,司教,帝国修道院長等の高位聖職者に大幅に国内行政をゆだねる点が特徴である。諸部族の連合体として出発した中世ドイツ国家は,最初から部族勢力の自立化の危険に悩まされた。これに対抗するため,オットー1世(在位936-973)は部族超越的組織である教会勢力と結んで,国内統一を確保する政策を採り,以後歴代国王によって継承された。国王の側近に高位聖職者を用いて政策決定にあたらせるとともに,政策の忠実な実行者を各地の大司教,司教,帝国修道院長に配置し,教会領にインムニテートを与えて世俗権力から保護するとともに,高級裁判権,貨幣鋳造権,市場開設権,関税徴収権等の特権を賦与し,王領地の管理や,ときには地方行政のかなめであるグラーフシャフトの管理をさえ,これにゆだねた。
この政策を遂行するためには,国王が聖職者の叙任権を握っていることが前提であり,司祭の任命権は教会設立者の手に留保されるという,ゲルマン的私有教会の観念がこれを支えていたのである。しかし,クリュニー修道院にはじまる修道院改革運動が,聖職売買(シモニア)の禁止を強調し,教皇グレゴリウス7世が,国王による聖職者叙任も聖職売買にほかならないという立場をとるに及んで,皇帝ハインリヒ4世との間に叙任権闘争を惹起し,帝国教会政策は根底からゆるがされるにいたった。
執筆者:平城 照介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報