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帝国教会政策 ていこくきょうかいせいさく Reichskirchenpolitik

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

帝国教会政策
ていこくきょうかいせいさく
Reichskirchenpolitik

オットー1世 (大帝) に始る中世ドイツ皇帝の教会掌握政策。ザクセン朝ザリエル朝の諸皇帝は各地の豪族に対抗して帝権を維持するため,司教や修道院に領土,裁判権,関税権などを与えてこれを皇帝権の有力な支柱にしようとした。

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百科事典マイペディアの解説

帝国教会政策【ていこくきょうかいせいさく】

神聖ローマ帝国の当初から1122年のウォルムス協約締結まで約200年続いた国家運営政策。皇帝権力の下で帝国直属教会の聖職者を官僚化し,教会・修道院領を支配下においた。
→関連項目オットー[1世]ザクセン朝ザリエル朝ハインリヒ[2世]

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世界大百科事典 第2版の解説

ていこくきょうかいせいさく【帝国教会政策 Reichskirchenpolitik】

ザクセン朝ザリエル朝初期のドイツ国王・神聖ローマ皇帝が採った政策で,国王の守護権の下にある教会を統治機構に組み込み,大司教,司教,帝国修道院長等の高位聖職者に大幅に国内行政をゆだねる点が特徴である。諸部族の連合体として出発した中世ドイツ国家は,最初から部族勢力の自立化の危険に悩まされた。これに対抗するため,オットー1世(在位936‐973)は部族超越的組織である教会勢力と結んで,国内統一を確保する政策を採り,以後歴代国王によって継承された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

帝国教会政策
ていこくきょうかいせいさく
Reichskirchenpolitikドイツ語

オットー1世に始まり、ザクセン朝、初期ザリエル朝の諸国王によって継承された政策で、国内の教会勢力を支柱として、ドイツ王権の強化、国家的統一の確保を目的とする。
 911年のコンラート1世の即位に始まる中世ドイツ王国は、ザクセン、フランケン、バイエルン、シュワーベン等の諸部族の集合体であり、それぞれの部族大公のもとに自立的傾向が強く、国王はいかにして国家的統一を維持してゆくかに苦労せねばならなかった。ザクセン朝第2代の国王オットー1世は、最初、近親者を部族大公に任命し、人的つながりによって統一を確保しようと試みたが、息子のシュワーベン大公リウドルフ、女婿のロートリンゲン大公コンラートを中心に国内有力者の反乱が起こるに及び、人的関係というような不安定なものでなく、制度的により安定した支配基盤の必要に迫られ、教会勢力と結んで国内統治を行うという政策に転換した。すなわち、国内の司教、大司教、帝国修道院長など教会の主要役職に側近の聖職者を配置し、広大な所領を寄進して、それにインムニテート(不輸不入)の特権を与えて保護し、貨幣鋳造権、市場開設権、関税徴収権等を賦与し、さらに王領地の管理権から、ときによるとグラーフシャフト(伯領)そのものの管理までゆだねて、教会組織を国家統治機構のなかに完全に組み込むというものであった。
 この政策は大きな成功を収めたが、他方聖職者が政治権力と癒着した結果、修道院改革運動が起こるとこれが攻撃の対象とされ、帝国教会政策の前提である国王の聖職者叙任権そのものが叙任権闘争によって根底から動揺させられることになった。[平城照介]

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世界大百科事典内の帝国教会政策の言及

【ドイツ】より

…オットー1世は東から侵入しつつあったマジャール人に対して辺境伯領Markを設置し,レヒフェルトの戦(955)でその進出をはばみ,帝国の統一に努力を傾けた。しかしながら部族が割拠するドイツ国内の統治に当たってオットー1世がとった帝国教会政策は後のドイツの命運をも定める大きな意味をもっていた。すなわちオットー1世は,高位聖職者に土地や特権を与えて帝国行政の重要な担い手とし,いわば聖職者を官僚とする行政組織によって封建諸侯の台頭を抑え,一大帝国を築いたが,まさにこの政策のためにローマ教皇権と衝突するにいたった。…

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