日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピグミー」の意味・わかりやすい解説
ピグミー
ぴぐみー
Pygmy
人類学用語としては、成人男子の平均身長が150センチメートル以下の民族の総称で、アフリカと東南アジアの熱帯森林地帯に分布する。人種としてはアフリカのピグミーをネグリロ、東南アジアのピグミーをネグリトとよんで区別する。
形質的特徴として、ネグリロの皮膚の色は黒人より淡く黄褐色がかっており、きわめて毛深く、毛髪は縮毛で、目は丸く大きく、鼻は著しく広い。身長に比して頭が大きく胴が長く上肢が長いなど、下肢が比較的きゃしゃなずんぐりした体型をしている。ネグリロでは、コンゴ民主共和国(旧ザイール)北東部のイトゥリ地方に住むムブティ(人口約4万)、その南のエドワード湖やキブ湖周辺のトゥワ(約9000)、カメルーン南部から中央アフリカ南部にかけて分布するアカ、バカなど(約10万)の諸集団が有名である。
ネグリトも低身長の集団であるが、ネグリロとは身体諸形質に顕著な違いがある。皮膚の色は濃褐色でネグリロより濃く、体毛は少なく、鼻もそれほど広くない。全体として均整のとれた体型をしており、ネグリロのようにずんぐりしていない。ネグリトの集団としては、ベンガル湾のアンダマン島民(人口は約数百)、マレー半島のセマン(1000~2000)、フィリピンのアエタ(約3万)などがあげられる。
ネグリロもネグリトも、ともに熱帯森林の狩猟採集民である。しかし、今日では純粋な狩猟採集生活を営むものは少なく、近隣の農耕民と接触を保ち、狩猟によって得た獲物と農作物との交換経済に依存しているものが多い。
[丹野 正]
アフリカのピグミー
アフリカの奥地の森林地帯に背丈の著しく低い人種が住んでいるということは、4000年以上も昔のエジプト古代王朝に知られていたし、その知識は古代ギリシアにも伝えられた。しかし、後の時代になるほどピグミーは伝説化され、19世紀に至っても空想上の存在と考えられていた。ピグミーの実在が再確認されたのは1870年以降のことである。
アフリカのピグミーではイトゥリの森のムブティがもっとも有名で、男子の平均身長は144センチメートル、女子は137センチメートルともっとも背が低く、ネグリロの形質特徴をより純粋に保持している。彼らは10家族前後、数十人ないし100人ほどで一つのバンド(居住集団)を構成し、各バンドは150平方キロメートル前後の森をテリトリー(領域)として、その中のいくつものキャンプ地を数週間ごとに移動しながら、弓矢、網や槍(やり)を用いて狩猟を行っている。約10万平方キロメートルのイトゥリの森は、レセやビラなどネグロイド系諸集団のテリトリーでもあり、彼らは小集落をつくって焼畑農耕を営んでいる。ムブティの各バンドは近隣の集落の農耕民と交換経済を通じた共生関係を結んでおり、このような関係は農耕民のイトゥリへの侵入以降数百年の間に形成されたものである。その結果今日では、ムブティは彼ら自身の言語を失い、同じ地域に住む農耕部族の言語を母語として話している。バンドは一般に父系の血縁のつながる男たちとその家族で構成されるが、妻方居住の家族や母方バンドに属しているものもいる。大部分は一夫一妻であるが、2人以上の妻をもつ男も少数みられる。社会的階層の分化はなく、バンドの生活にかかわる事柄は、キャンプ中央のたき火を囲んで集まる男たちの話し合いで決められる。バンドを超えて機能する政治組織はなく、平等と互恵が重んじられる素朴で単純な社会である。男女とも歌と踊りを好み、楽天的な人生観をもっている。
[丹野 正]
『市川光雄著『森の狩猟民――ムブティ・ピグミーの生活』(1982・人文書院)』▽『コリン・M・ターンブル著、田中二郎訳『異文化への適応 アフリカの変革期とムブティ・ピグミー』(1985・CBS出版)』▽『河津千代著『中部アフリカのピグミー』先住民シリーズ8(1989・リブリオ出版)』