デジタル大辞泉
「ベールシェバ」の意味・読み・例文・類語
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ベール・シェバ
Beer-Sheba
イスラエル南部,ネゲブ地方の中心都市。エルサレムの南西72kmに位置し,人口18万4500(2004)。伝承によれば,アブラハムと近くのゲラルの王アビメレクの家来たちが,井戸(ベール)の使用をめぐって誓約(シュブア)を交わしたことからこの名で呼ばれたという(《創世記》21:31)。砂漠のオアシスの町として古くから栄え,イスラエル建国前はネゲブの遊牧民(ベドウィン)の交易市場であり,郊外の〈アブラハムの井戸〉では週1回市場が開かれて,羊,ラクダ,衣服その他の品物を持って集まった遊牧民でにぎわった。
1948-49年の第1次中東戦争の結果イスラエル国家が建設されると,アラブ住民のほとんどが追われ,その後ユダヤ人都市として急速な近代化と発展を遂げた。現在ではネゲブ地方の行政,商業,工業,交通の中心地で,砂漠の緑化研究で有名なベール・シェバ大学も総合大学となっている。
執筆者:池田 裕+木村 修三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ベールシェバ
Be'er Sheva'
イスラエル中南部,ネゲブ砂漠の北部,テルアビブヤフォから約 90km離れた内陸盆地にある行政上の中心都市。気候はきわめて乾燥している。旧約聖書に登場する古いオアシスが起源で,ユダヤ人の父アブラハムが,この地でペリシテ人の王ゲラルのアビメレクと契約を結んだとあり,ベールは泉,シェバは誓約または7を意味している。ビザンチン帝国時代,オスマン帝国時代に,ともに砂漠の遊牧民に対する城塞であった。 1900年,ドイツ人技師によって都市計画が施行され,イギリス保護地区になってからは,1925年エルサレムへの,1936年ガザへの舗装道路が開通し,パレスチナ南部の中心都市となった。 1948年イスラエル建国後はネゲブ地方の行政,文化,産業の中心。ネゲブ砂漠と結びついた化学,窯業,建材,セメント,織物などの工業が発展しつつある。ネゲブ大学,ネゲブ乾燥地帯研究所がある。 2005年聖書のテル群として,メギド,ハゾルとともに世界遺産の文化遺産に登録。人口 11万 3800 (1990推計) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ベールシェバ
べーるしぇば
Beersheba
イスラエル南部、ネゲブ砂漠北部の都市。人口17万7900(2001)、20万8277(2018推計)。ディモナと並ぶネゲブ地方の重要都市で、行政、産業、交通の中心地。聖書にも登場する古くからのオアシスで、オスマン帝国支配下において交易の中心地として発展した。1948年のイスラエルの成立時にアラブ住民が追放され、以来ユダヤ人都市として急激に成長した。砂漠の利用開発の研究では世界的水準にあるベールシェバ大学がある。
[高橋和夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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「ベールシェバ」の意味・わかりやすい解説
ベール・シェバ
イスラエル南部,ネゲブ地方の都市。耕作地帯と砂漠の境界線にある。工業には陶器,ガラス,化学,製粉等がある。リダと鉄道で,エイラトと道路で連絡している。聖書に関係深い土地で,聖地の南限とされる。第1次中東戦争でアラブ住民が追われ,ユダヤ人の都市として発展。19万4300人(2009)。
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