ローガン(読み)ろーがん(その他表記)Sir William Logan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローガン」の意味・わかりやすい解説

ローガン
ろーがん
Sir William Logan
(1798―1875)

カナダ地質学者。モントリオールに生まれ、イギリスウェールズの叔父の炭鉱で石炭調査をしながら地質学を学ぶ。カナダの地質調査所設立に尽力し、初代所長(1842~1870)となる。カナダ楯(たて)状地南東部の先カンブリア時代層の地質調査を行い、カナダにおいて地質図を初めてつくった。ローレンシアン系、ヒューロニアン系は彼の命名による。北部アパラチア地域は断層、褶曲(しゅうきょく)が多いのに対して、西側の地域では地質構造がきわめて単純であり、かつ両地域の層序に大きな違いがあるのをみいだした。この2地域の境界は、彼の名をとってローガン線とよばれている。

[木村敏雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローガン」の意味・わかりやすい解説

ローガン
Logan, James John; Tah-gah-jute

[生]1725頃.ペンシルバニア?
[没]1780. エリー湖付近
アメリカインディアンの指導者。インディアン名はター・ガー・ジュートというが,父の友人の J.ローガンの名をもらった。父は族長であったが,幼児の頃オネーダ族に拉致されたフランス人であると伝えられている。ケイユーガ族の有力者として白人と友好関係をもった。フレンチ・アンド・インディアン戦争後オハイオ渓谷に移り,ショーニー族の婦人と結婚した。 1774年バージニア勅任総督ダンモア (伯)の発動したショーニー族領への侵攻 (ダンモア卿戦争) にあたって,白人によって家族を皆殺しにされ,その復讐を誓った。エリー湖畔の彼のテントには 30以上の白人の頭皮が集められていたという。アメリカ人を憎み,独立戦争ではイギリス軍とともに戦った。

ローガン
Logan, James

[生]1674.10.20. アイルランドアルマ
[没]1751.10.31. ペンシルバニア,ジャーマンタウン近郊
アメリカ,ペンシルバニア植民地の政治家,学者。 1699年 W.ペン秘書となり,同年ペンシルバニアに渡り,ペンがイギリスに戻ってからは忠実にその留守を預り,ペンの子孫の相談役を 50年以上つとめた。 1703~47年ペンシルバニア植民地参議会メンバー,その間 31~39年同植民地最高裁判所長官。土地投機とインディアンとの交易で財をなし,引退後は学問,特に植物学に関心を示した。

ローガン
Logan, Joshua

[生]1908.10.5. テキサス,テクサルカナ
[没]1988.7.12. ニューヨーク
アメリカの演出家,劇作家,映画監督。プリンストン大学卒業。『ミスター・ロバーツ』 (1948) ,J.ミッチェナー原作のミュージカル南太平洋』 (49) などを脚色,演出するとともに,『アニーよ銃をとれ』 (46) ,W.インジの『ピクニック』 (53) および『バス・ストップ』 (55) など多くのヒット作の演出を担当した。またこれらの作品の映画化には映画監督としても活躍。

ローガン
Logan

アメリカ合衆国,ユタ州北部の都市。ソルトレークシティーの北 128km,ローガン川に面する標高 1350mの高地に位置する。 1856年モルモン教徒が入植,酪農,缶詰製造が行われ,コンデンスミルク,メリヤス類,砂糖などを産出する。ユタ州立大学 (1890創立) ,モルモン教の教会などがある。人口3万 2762 (1990) 。

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百科事典マイペディア 「ローガン」の意味・わかりやすい解説

ローガン[山]【ローガン】

カナダのユーコン・テリトリー南西端,米国のアラスカ州との国境付近にあるカナダの最高峰。標高5959m。セント・エライアス山脈に属し,巨大な氷河がある。1925年初登頂。
→関連項目カナダセント・エライアス[山脈]

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