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アクロポリス acropolis

翻訳|acropolis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アクロポリス
acropolis

古代ギリシアにおいてポリスの中核となった岩山。高い都市の意。岩のの周囲は城壁で囲まれ,その中は多くはヒエロン (聖域) として,神殿や公共建築物が設置され,市政にかかわる重要な祭儀が行なわれ,危急の際の庇護所ともなった。アテネのアクロポリスは最も有名で,東西 270m,南北 156m,高さ 150mの岩の丘の上にある。アテネの主神アテナ女神をまつるパルテノンを中心に,西側に入口となるプロピラエ城門,内域にはエレクテイオンその他いくつかの小神殿と付属建築物が配置されている。アテネのアクロポリス建造は,ペルシア戦争で荒廃したアテネを復興し,民主政治の全盛を築いたペリクレスの計画によるところが大きいが,19世期末に行なわれた発掘によってミケーネ時代 (前 13世紀後半) にさかのぼる宮殿址も見出されている。したがってアテネの伝承が始祖と伝えるケクロプス王の時代からアクロポリスは造営されていたとみることができる。アテネ以外では,テーベティリンス,小アジアのペルガモンなどのアクロポリスが有名である。アテネのアクロポリスは 1987年世界遺産の文化遺産に登録。

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百科事典マイペディアの解説

アクロポリス

古代ギリシア都市の中にある丘で,〈高所のポリス〉の意。都市守護神の神殿があり,都市の宗教的・政治的中心になる場所。非常時には要塞ともなる。アテナイのほか,アルゴス,コリントステーバイなどが有名。
→関連項目アテネカリクラテスネセバル

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世界大百科事典 第2版の解説

アクロポリス【akropolis】

古代ギリシア都市(ポリス)の中核の丘。自然の丘を防壁で固め,その中に都市の守護神などの神殿を建ててある。非常時には最後の根拠地となるが,全市民を収容するため町全体にも城壁が巡らされるにつれて,軍事的よりも宗教的・精神的な中心となった。代表的なのはアテナイのもので,周囲から60m余の高さの石灰岩の急こう配の丘。西側だけに登り道があり,頂上の台地(南北150m,東西300mほど)が防壁で囲まれ,守護神アテナの聖地となっていた(図)。

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大辞林 第三版の解説

アクロポリス【akropolis】

古代ギリシャの諸ポリスにおいて、市民結合の中心をなした丘。ポリス守護神の神殿が築かれ、戦時には市民の最後の砦とりでの役をも果たした。アテネのものが最も有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アクロポリス
あくろぽりす
akropolisギリシア語

古代ギリシアのポリス(都市国家)において、アゴラとともに中心市の主要部を構成した小高い丘。市街を見下ろす要害の地が選ばれ、ポリスの守護神をはじめとする神々の神殿が建てられていた。アクロポリスは緊急の際の避難所や要塞(ようさい)としての役割も有しており、またその神殿の内部はポリスの国庫として利用された。アテネのアクロポリス、コリントのアクロコリント、テーベのカドメイアなどが有名である。なお、アテネのアクロポリスは1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[前沢伸行]

アテネのアクロポリス

古代ギリシアを代表するアテネのアクロポリスは、東西約300メートル、南北約150メートルの細長い丘である。すでにミケーネ時代(紀元前13世紀)には巨石を積み重ねた城壁が周囲に構築され、王宮が建造されていた。アクロポリスとして大規模な神殿建設が開始されたのは、紀元前6世紀後半の僭主(せんしゅ)ペイシストラトスの時代以後のことである。しかし、建設中のものも含めて、これらの神殿は前480年にアッティカに侵入したペルシア軍によって徹底的に破壊された。前450年代には、ペルシア戦争の勝利を記念して、フェイディアスの手になる女神アテナの巨大な青銅製の像が制作、設置された。この後ペリクレスの政策に基づいて、デロス同盟の貢租を流用した神殿の本格的な再建が開始される。ペロポネソス戦争中も建設は続けられ、前5世紀後半から前4世紀初頭にかけてパルテノン、プロピライア(前門)、エレクテイオン、アテナ・ニケ神殿などが完成した。これ以後の建築活動はわずかである。アクロポリスの周辺地域では、南麓(なんろく)のディオニソス劇場(前500年ごろ。前320年代に改築)、ペリクレス音楽堂(前443年ごろ)、ヘロデス・アッティクス音楽堂(後160年ごろ)などが名高い。
 ローマの支配下では、帝政後期のキリスト教国教化とともに後6世紀以降、アクロポリスの神殿はキリスト教会として用いられた。[前沢伸行]

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世界大百科事典内のアクロポリスの言及

【アテネ】より

…今日でも,半島南端スーニオン岬近傍におよぶこの地区一帯に,おびただしく残された鉱坑・選鉱場・溶鉱炉の遺跡が,古代における銀鉱採掘の実状を伝えている。 アテネ市は,北をパルネス山(1412m),北東をペンテリコン山(1109m),南東をヒュメットス山(1027m),北西をアイガレオス山(453m)に囲まれ,南西部をサロニコス湾に向かって開くアテネ平野のほぼ中央に位し,市の中心にけわしい石灰岩の岩山アクロポリス(156m)が,また北東部には同じく急峻なリュカベットス山(277m)がそびえて,この町の景観に著しい特徴を与えている。アクロポリスは古代アテナイ国家の城砦であると同時に,宗教的中心としての役割をも果たし,この丘の北西麓にある広場すなわちアゴラとともに市民生活の中心であった。…

【ギリシア美術】より

…この時代は一般には前5世紀後半の盛期クラシック(〈崇高な様式〉)と前4世紀の後期クラシック(〈優美な様式〉)とに区別される(この区別と命名はウィンケルマンによる)。盛期クラシックには,ペリクレスのアクロポリス復興計画に基づき,パルテノン,プロピュライア,エレクテイオンなどの壮麗な建物が完成し,彫刻では,フェイディアス,ミュロン,ポリュクレイトスらの巨匠が活躍した。前5世紀末のペロポネソス戦争,前4世紀の絶えまないポリス間の対立・抗争を通じて,人びとの感情・思想はより現実的・人間的になり,宗教的関心もしだいに弱まった。…

【石造建築】より

…しかしアテナイとその近傍では,前5世紀の中ごろから採掘されるようになった良質の白色大理石を用いて,総大理石造の神殿を建てるようになった。著名なアテナイのアクロポリスの建築群(前5世紀後半)は,そのような特例である。 古代ローマでは,共和政時代にはほぼギリシアと同様な建て方をしていたが,前1世紀ごろから,石,煉瓦,コンクリートなどを複合して建てるようになり,煉瓦壁に大理石を張る工法が普及し,神殿以外の建築はおおむねこの方法で建てられ,ときには神殿建築の一部分にも応用された。…

※「アクロポリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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