フランスの哲学者,モラリスト。本名Émile-Auguste Chartier。20世紀の前半に活躍したフランスの代表的知性のひとりとして,ベルグソン,バレリーと並び称され,日本の読書人への影響も大きい。ノルマンディー地方のモルターニュの生れ。高校時代の師ジュール・ラニョーの実践的合理論に大きな影響を受け,スピノザにまず傾倒した。その後,デカルト,プラトン,カント,コントなどを詳しく読んで自己の立場を固めていった。パリのエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)を卒業後フランス各地の高校で教鞭をとるが,ルーアンで教えた生徒のなかには,アンドレ・モーロアがいた。その時期に地方紙《ルーアン通信》に週1回書いた短文が,彼の〈プロポ(語録)〉という形式のはじめであった。1910年以来,65歳で辞めるまでアンリ4世高校の教師でとおし,独特の人間教育を行った。シモーヌ・ベイユも生徒のひとりであった。途中で第1次大戦に従軍し,そのときの経験から《マルス》(1921),《大戦の思い出》(1937)が書かれた。また《諸芸術の体系》(1920)の草稿も戦場で書かれた。アランは歴史上の主要な哲学者たちの理論をわがものとしつつも,形式的な思弁や彼らの体系的な思想を排し,芸術,宗教,教育,文学,政治,経済など人間生活の広い領域にわたって,自由で柔軟な思考を展開した。彼は20世紀のカルテジアンのひとりとしてデカルト主義の〈意志〉と〈判断〉の重視を受け継ぎ,現代に生かしたのであった。その立場がいちばんよく現れていて,フランスでも日本でもいちばんよく読まれているのは《幸福論Propos sur le bonheur》(1928)であり,欲望,怖れ,悔恨などの情念からどうしたら自由になれるかが説かれている。活動する身体の在り様を早くからとりあげていて,〈身体〉論の領域でも多くのすぐれた洞察を残している。モーロアはアランを現代のソクラテスと呼んでいる。邦訳《アラン著作集》10巻(1982)がある。
執筆者:中村 雄二郎
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フランスの哲学者、評論家。本名はエミール・オーギュスト・シャルチエEmile Auguste Chartierで、筆名は中世詩人アラン・シャルチエにちなむ。3月3日、ノルマンディーのモルターニュに生まれる。ミシュレ校時代、哲学に目を開かれ、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)ではサント・ブーブ、ルナン、テーヌ、ブリュンチエールらに熱中し、のちアリストテレス、プラトン、とくにカントに深い感銘を得た。ドレフュス事件でジャーナリズムに初めて執筆し、1900年ルーアンの高等中学校(リセ)で哲学教授となる。ルーアンでの生徒の一人アンドレ・モーロアの『アラン』(1949)によれば、教師としての彼は、抽象的な理論よりも身近な実例をあげ、それを分析することにほとんどの時間を割き、また「偉大な書物のなかにはかならず哲学がある」との信念に基づいて、ホメロスやバルザックを読ませたという。ルーアン滞在中にアランの筆名で土地の新聞に、日々のできごとについての考察「語録」を掲載し、この短文形式が彼の思想を表現する最適なものとなった。パリのアンリ4世校在任中、第一次世界大戦が起こり、46歳の彼も志願兵として従軍し、その体験が『マルス、または裁かれた戦争』となり、愛国者の憤激を買った。『精神と情熱に関する81章』(1917)、『諸芸術の体系』(1920)もこの間に執筆された。1951年6月2日、パリ近郊ルベジネで83歳で没するまで多彩な著述活動を続け、主著に『幸福論』(1925)、『教育論』(1932)、『人間論』(1947)などがある。
[谷長 茂 2015年5月19日]
『中村雄二郎・串田孫一訳『アラン著作集』全10巻(1980~1983/新装復刊・1997・白水社)』▽『モーロワ著、佐貫健訳『アラン』(1964・みすず書房)』
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1868.3.3 - 1951.6.3
フランスの哲学者,教師,評論家。
モルターニュ(ノルマンディー地方)生まれ。
本名エミール・オギュスト・シャルティエ。
リセ・ミシュレ校でJ.ラニョーの実践的合理論に影響を受け、スピノザに傾倒し、ついでデカルト、カントらから多くを学ぶ。1906年アランの筆名で雑誌に「プロポ」形式で短文の評論を発表する。’10年アンリ4世高校の教師となり、独特の人間教育を行い優れた弟子を育成し、晩年には家を解放し、国民的教育者として活躍する。デカルト的な人間主義を現代に生かしたモラリストである。’51年国民文学大賞を受賞する。
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1868~1951
フランスの哲学者。1906年からルーアンの地方新聞に,第一次世界大戦後はNRF誌に毎号寄せた小論評は,文学,芸術を中心に教育,政治に及ぶ。選挙と議会を通じて,民衆の力で政治権力の制限を主張するその政治思想は,フランス急進主義の政治意識を代表するものとみなされている。
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[歴史]
この地方は近代に至るまでアゼルバイジャンと呼ばれたことはなく,古代にはアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)がクラ川より北の地域にあった。中世には,クラ川以北のシルバン,クラ,アラス両川に挟まれたアラン,カスピ海岸のムガンがそれぞれ別個の地方と考えられていた。3~7世紀のササン朝,7~10世紀のウマイヤ朝,アッバース朝,11~13世紀のセルジューク朝系諸政権等,イラン中央政権や外来強国の支配下にあったが,カフカス・アルバニア王国,シルバン・シャー朝等の土着政権も存続し,カバラ,シャマハ,ガンジャ,バイラカン等の商業都市が繁栄した。…
…(1)F.ジュディーチェ主宰の〈トゥー・シティーズTwo Cities Films〉では,L.オリビエ監督・主演の《ヘンリー5世》(1945),《ハムレット》(1948),C.リード監督《最後の突撃》(1944),《邪魔者は殺せ》(1946)等々。(2)43年,A.ハブロック・アラン,D.リーン,R.ニームにより創立された〈シネ・ギルド〉では,ノエル・カワードが重役の地位についてカワード自身の原作による《幸福なる種族》(1944),《陽気な幽霊》(1945),《逢びき》(1945)をはじめ,《大いなる遺産》(1946),《オリバー・トウィスト》(1948),《情熱の友》等々のリーン監督作品。(3)46年から脚本家でもあるS.ボックスが主宰した〈ゲーンズバラGainsborough〉では,A.アスキス監督《激情》(1944),S.ギリアット監督《ウォタールー街》(1945),K.アナキン監督《恋の人魚》(1948),B.ノウルズ監督《三十六時間》(1949),マーガレット・ロックウッド主演の《妖婦》(1946),《赤い百合》(1947),S.モーム原作によるオムニバス映画《四重奏》(1948),ハリウッドから招いたフレドリック・マーチ主演《コロンブスの探険》(1949)等々。…
…テクスチャーtexture(材質感)は,材料の貴重さによって支配され,すぐれた自然材料のテクスチャーは,建築の価値を一段と高めるし,劣悪な材料も扱い方によっては,それなりの魅力をもたらすことができる。フランスの哲学者アランは,鉄やコンクリートのような鋳造材料は,材料としての個性に乏しく,どんな形にも自由につくれるため,天然材料のような魅力をもち得ない,としているが,これは煉瓦や瓦やタイルを除くすべての人工材料に共通する性質で,そのためデザイン上の特別の配慮が必要となる。建築の色彩は,材料そのものの色のほかに,塗料,鍍金,モザイク,壁画,文様などによって付加することができるが,風化や古びによっても独特の彩色を帯び,きわめて複雑な効果をもたらす。…
…フランスでは33年以来のスタビスキー事件を通じて政界の腐敗が危機感を煽りたてていたが,ナチスによるドイツ制覇に連動して,2月6日極右派が民衆を扇動し共和制打倒の一大騒擾事件をパリで引き起こしたのである。これに対して労働組合をはじめとする左翼勢力は共和制擁護のためゼネストをもって応え危機を一応脱しはしたが,この事実は多くの知識人に危機意識を抱かせ,人類学者ポール・リベ,物理学者ランジュバン,哲学者アランの提唱により3月に〈反ファシスト知識人監視委員会〉が組織され,ジッド,マルローはじめ,アラゴン,ニザン,ブルトン,ゲーノ,R.マルタン・デュ・ガール,バンダら,1200名の知識人が参加したのであった。この委員会はなお対立を続けていた社共両党の協力を説き,事実上人民戦線結成の触媒の役割を果たした。…
※「アラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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