アラン(英語表記)Alain

デジタル大辞泉 「アラン」の意味・読み・例文・類語

アラン(Alain)

[1868~1951]フランスの哲学者・モラリスト。本名、エミール=オーギュスト=シャルチエ(Émile Auguste Chartier)。合理主義の立場から、哲学のみならず道徳・芸術・教育・政治などの諸分野で人間性を称揚。著「精神と情熱に関する81章」「幸福論」「人間論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「アラン」の意味・読み・例文・類語

アラン

  1. ( Alain ) フランスの哲学者、批評家。本名エミール=オーギュスト=シャルチエ。デカルト的な合理主義者。著に「芸術論集」「スタンダール」「教育論」「幸福論」など。(一八六八‐一九五一

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改訂新版 世界大百科事典 「アラン」の意味・わかりやすい解説

アラン
Alain
生没年:1868-1951

フランスの哲学者,モラリスト。本名Émile-Auguste Chartier。20世紀の前半に活躍したフランスの代表的知性のひとりとして,ベルグソン,バレリーと並び称され,日本の読書人への影響も大きい。ノルマンディー地方のモルターニュの生れ。高校時代の師ジュール・ラニョーの実践的合理論に大きな影響を受け,スピノザにまず傾倒した。その後,デカルト,プラトン,カント,コントなどを詳しく読んで自己の立場を固めていった。パリのエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)を卒業後フランス各地の高校で教鞭をとるが,ルーアンで教えた生徒のなかには,アンドレモーロアがいた。その時期に地方紙《ルーアン通信》に週1回書いた短文が,彼の〈プロポ(語録)〉という形式のはじめであった。1910年以来,65歳で辞めるまでアンリ4世高校の教師でとおし,独特の人間教育を行った。シモーヌ・ベイユも生徒のひとりであった。途中で第1次大戦に従軍し,そのときの経験から《マルス》(1921),《大戦の思い出》(1937)が書かれた。また《諸芸術の体系》(1920)の草稿も戦場で書かれた。アランは歴史上の主要な哲学者たちの理論をわがものとしつつも,形式的な思弁や彼らの体系的な思想を排し,芸術,宗教,教育,文学,政治,経済など人間生活の広い領域にわたって,自由で柔軟な思考を展開した。彼は20世紀のカルテジアンのひとりとしてデカルト主義の〈意志〉と〈判断〉の重視を受け継ぎ,現代に生かしたのであった。その立場がいちばんよく現れていて,フランスでも日本でもいちばんよく読まれているのは《幸福論Propos sur le bonheur》(1928)であり,欲望,怖れ,悔恨などの情念からどうしたら自由になれるかが説かれている。活動する身体の在り様を早くからとりあげていて,〈身体〉論の領域でも多くのすぐれた洞察を残している。モーロアはアランを現代のソクラテスと呼んでいる。邦訳《アラン著作集》10巻(1982)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アラン」の意味・わかりやすい解説

アラン(哲学者、評論家)
あらん
Alain
(1868―1951)

フランスの哲学者、評論家。本名はエミール・オーギュスト・シャルチエEmile Auguste Chartierで、筆名は中世詩人アラン・シャルチエにちなむ。3月3日、ノルマンディーのモルターニュに生まれる。ミシュレ校時代、哲学に目を開かれ、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)ではサント・ブーブ、ルナン、テーヌ、ブリュンチエールらに熱中し、のちアリストテレス、プラトン、とくにカントに深い感銘を得た。ドレフュス事件ジャーナリズムに初めて執筆し、1900年ルーアンの高等中学校(リセ)で哲学教授となる。ルーアンでの生徒の一人アンドレ・モーロアの『アラン』(1949)によれば、教師としての彼は、抽象的な理論よりも身近な実例をあげ、それを分析することにほとんどの時間を割き、また「偉大な書物のなかにはかならず哲学がある」との信念に基づいて、ホメロスバルザックを読ませたという。ルーアン滞在中にアランの筆名で土地の新聞に、日々のできごとについての考察「語録」を掲載し、この短文形式が彼の思想を表現する最適なものとなった。パリのアンリ4世校在任中、第一次世界大戦が起こり、46歳の彼も志願兵として従軍し、その体験が『マルス、または裁かれた戦争』となり、愛国者の憤激を買った。『精神と情熱に関する81章』(1917)、『諸芸術の体系』(1920)もこの間に執筆された。1951年6月2日、パリ近郊ルベジネで83歳で没するまで多彩な著述活動を続け、主著に『幸福論』(1925)、『教育論』(1932)、『人間論』(1947)などがある。

[谷長 茂 2015年5月19日]

『中村雄二郎・串田孫一訳『アラン著作集』全10巻(1980~1983/新装復刊・1997・白水社)』『モーロワ著、佐貫健訳『アラン』(1964・みすず書房)』


アラン(Marie-Claire Alain)
あらん
Marie-Claire Alain
(1926―2013)

フランスの女流オルガン奏者。パリ音楽院で名手マルセル・デュプレに学ぶ。1950年ジュネーブ、1951年パリの両国際コンクールで第1位を得、女流としては例外的に若くして活躍の場を確保、バッハのオルガン曲の全曲録音で世界的に名を知られた。明快さを尊ぶラテン的気質は、バッハよりフランスのオルガン曲にいっそう適している。1972年(昭和47)初来日したのがきっかけで1970年代に三度来日、日本にオルガン音楽を普及させるのに貢献した。

[岩井宏之]


アラン(アラマン)
あらん

アラマン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アラン」の意味・わかりやすい解説

アラン
Alain

[生]1868.3.3. モルターニュ
[没]1951.6.2. パリ近郊ルベジネ
フランスの哲学者。本名 Émile-auguste Chartier。各地の高校教授を歴任し,ルーアンでプロポ proposと題する短文を新聞に毎日寄稿し,これがやがて著作の様式の柱となった。のちにパリのアンリ4世高校教授となり,第1次世界大戦を予告し,開戦とともに一兵卒として従軍,戦場で『精神と情熱とに関する八十一章』Quatre-vingt-un chapitres sur l'esprit et les passions(1917),『芸術の体系』Système des beaux-arts(1920)を書いた。ジュール・ラニョーの影響を受け,ルネ・デカルトやベネディクトゥス・デ・スピノザに傾倒する合理主義者であるが,独断的体系を拒み,短文をもって人々の思索を促すモラリストであった。アランのいう理性は単に哲学の原理にとどまらず,生全体の根底となる良識であった。著作は広い領域にわたり,哲学者のみならず文学者にも深い影響を残している。ほかの著作に『幸福論』Propos sur le bonheur(1928),『イデー』Idées(1932),『わが思索のあと』Histoire de mes pensées(1936)など。

アラン(伯家)[スコットランド]
アラン[はくけスコットランド]
Arran, Earls of

おもにハミルトン家によって継承されたスコットランド貴族の家柄。 1467年トマス・ボイドが叙せられたのに始るが,彼の未亡人がハミルトン家に再婚したため,以後称号は同家に移り,彼女の子ジェームズ (1477?~1529) がハミルトン系の初代伯になった。彼はジェームズ5世の幼少時代には摂政に準じる地位にあった。その長男の2代伯ジェームズ (75没) もメアリー・スチュアートの在フランス時代に摂政となり,ジェームズ6世 (イングランド王としては1世) 治世初期にも摂政会議の一員に選ばれた。その子の3代伯ジェームズ (30~1609) はメアリー・スチュアートの花婿候補の一人であったが,晩年は精神の健康を害したため,いとこのジェームズ・スチュアートがアラン (伯)を称したが,1609年3代伯の死後,甥の2代ハミルトン侯ジェームズ (1589~1625) が継承し,ハミルトン (侯・公家)に吸収された。

アラン[リール]
Alain de Lille; Alanus de Insulis

[生]1128頃.リール?
[没]1202. シトー
全科博士の名をもつ博学の神学者,詩人。パリで学び教壇に立ち,晩年をシトー修道院でおくった。学院の枠をこえた説教法を考え,道徳の腐敗を憤り,圧力を増してきたカタリ派,ワルド派の異端とユダヤ教,イスラム教を論駁した。シャルトル学派からプラトン的影響を受け,特にボエチウスに依りつつ,理性的根拠によって異教徒を論駁しようとした。『異端反駁公教信仰論』 De fide catholica contra haereticosの試みは『神学公理』 Maximae theologiaeでさらに徹底され,数学的方法を導入して,一者であり原理である神に絶対確実な論証を与えようとした。この態度はニコラ・ダミアンとともに,デカルトやなかんずくスピノザの先駆として注目に値する。また詩人としては『反クラウディアヌス詩集』 Anticlaudianusと,道徳的退廃を否定し自然を賛美する『自然嘆詠集』 De planctu naturaeを残している。

アラン
Arun

イギリスイングランド南東部,ウェストサセックス県南部の地区。アラン川流域,イギリス海峡に臨む。北部に白亜サウスダウンズ丘陵があり,海岸平野にはボグナーリージス,リトルハンプトンなどの海浜保養地がある。歴史の古い町アランドル近郊には,1066年のノルマン・コンクェスト直後に建設されたアランドル城がある。面積 221km2。人口 14万787(2001)。

アラン(伯)
アラン[はく]
Arran, James Stewart, Earl of

[生]?
[没]1596
スコットランドの貴族。2代オーヒルトリー男爵の次男。青年時代ネーデルラントで対スペイン戦に従軍。 1580年ジェームズ6世 (イングランド王としては1世) に仕え,レノックス公 (初代) に協力して摂政モートン伯 (4代) の失脚をはかり,81年枢密顧問官。いとこにあたる3代伯ジェームズ・ハミルトンが精神に異常をきたしたのを口実に,アラン伯を名のったが,同年ルースベン事件で失脚。 83年王がルースベン派から脱出すると形勢を逆転して実権を握り,84年大法官に就任。尊大な性格も手伝ってハミルトン一族その他貴族の反感を買い,イングランドとの関係調整にも失敗して,86年追放された。ほどなく帰国したが,モートン伯の甥 J.ダグラスに暗殺された。

アラン(伯家)[アイルランド]
アラン[はくけアイルランド]
Arran, Earls of

アイルランドの貴族の家柄。スコットランドの家系とは無関係。バトラー家の一員で,オーモンド (公)の孫オソリー伯の次男であるチャールズ・バトラーが,1693年アラン伯に叙せられたが,彼一代で終った。次に,1758年アーサー・ゴアに授けられ,以後その子孫に継承された。

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百科事典マイペディア 「アラン」の意味・わかりやすい解説

アラン

フランスの哲学者,批評家。〈現代のソクラテス〉(A.モーロア)。本名エミール・シャルティエ。長くパリのアンリ4世高等学校の教師を務め(1910年−1933年),その間第1次大戦に志願参加した。著作は《諸芸術の体系(芸術論集)》(1920年),《マルス》(1921年)などがあるが,なかでもルーアンの新聞や《NRF》誌に連載した短いエッセーを集めた《語録(プロポ)》(1908年−1929年)には,人間理性を信頼したモラリスト的な著者の立場がよくうかがわれる。
→関連項目桑原武夫ベイユモラリストモーロア

アラン[諸島]【アラン】

アイルランドの大西洋岸,ゴールウェー湾口に位置する3島。漁業が中心で,劇作家シングの紀行文やフラハティ記録映画《アラン》(1934年)などで知られる。先史遺跡が多い。46.2km2。約1600人。

アラン[島]【アラン】

英国,スコットランド,クライド湾にあり,花コウ岩からなる。氷河地形,巨石遺跡で観光地として有名。427km2。約4000人。

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20世紀西洋人名事典 「アラン」の解説

アラン
Alain


1868.3.3 - 1951.6.3
フランスの哲学者,教師,評論家。
モルターニュ(ノルマンディー地方)生まれ。
本名エミール・オギュスト・シャルティエ。
リセ・ミシュレ校でJ.ラニョーの実践的合理論に影響を受け、スピノザに傾倒し、ついでデカルト、カントらから多くを学ぶ。1906年アランの筆名で雑誌に「プロポ」形式で短文の評論を発表する。’10年アンリ4世高校の教師となり、独特の人間教育を行い優れた弟子を育成し、晩年には家を解放し、国民的教育者として活躍する。デカルト的な人間主義を現代に生かしたモラリストである。’51年国民文学大賞を受賞する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アラン」の解説

アラン
Alain (本名 Émile Auguste Chartier)

1868~1951

フランスの哲学者。1906年からルーアンの地方新聞に,第一次世界大戦後はNRF誌に毎号寄せた小論評は,文学,芸術を中心に教育,政治に及ぶ。選挙と議会を通じて,民衆の力で政治権力の制限を主張するその政治思想は,フランス急進主義の政治意識を代表するものとみなされている。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「アラン」の解説

アラン

フランスのオルガニスト、作曲家。パリ音楽院ではG.コサード、P.デュカス続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル大辞泉プラス 「アラン」の解説

アラン

1934年製作のイギリス映画。原題《Man of Aran》。アイルランドの孤島アラン島での厳しい自然と闘い生きる人々を描く。監督:ロバート・フラハティ。

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367日誕生日大事典 「アラン」の解説

アラン

生年月日:1868年3月3日
フランスの哲学者
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアランの言及

【アゼルバイジャン】より


[歴史]
 この地方は近代に至るまでアゼルバイジャンと呼ばれたことはなく,古代にはアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)がクラ川より北の地域にあった。中世には,クラ川以北のシルバン,クラ,アラス両川に挟まれたアラン,カスピ海岸のムガンがそれぞれ別個の地方と考えられていた。3~7世紀のササン朝,7~10世紀のウマイヤ朝,アッバース朝,11~13世紀のセルジューク朝系諸政権等,イラン中央政権や外来強国の支配下にあったが,カフカス・アルバニア王国,シルバン・シャー朝等の土着政権も存続し,カバラ,シャマハ,ガンジャ,バイラカン等の商業都市が繁栄した。…

【イギリス映画】より

…(1)F.ジュディーチェ主宰の〈トゥー・シティーズTwo Cities Films〉では,L.オリビエ監督・主演の《ヘンリー5世》(1945),《ハムレット》(1948),C.リード監督《最後の突撃》(1944),《邪魔者は殺せ》(1946)等々。(2)43年,A.ハブロック・アラン,D.リーン,R.ニームにより創立された〈シネ・ギルド〉では,ノエル・カワードが重役の地位についてカワード自身の原作による《幸福なる種族》(1944),《陽気な幽霊》(1945),《逢びき》(1945)をはじめ,《大いなる遺産》(1946),《オリバー・トウィスト》(1948),《情熱の友》等々のリーン監督作品。(3)46年から脚本家でもあるS.ボックスが主宰した〈ゲーンズバラGainsborough〉では,A.アスキス監督《激情》(1944),S.ギリアット監督《ウォタールー街》(1945),K.アナキン監督《恋の人魚》(1948),B.ノウルズ監督《三十六時間》(1949),マーガレット・ロックウッド主演の《妖婦》(1946),《赤い百合》(1947),S.モーム原作によるオムニバス映画《四重奏》(1948),ハリウッドから招いたフレドリック・マーチ主演《コロンブスの探険》(1949)等々。…

【建築】より

…テクスチャーtexture(材質感)は,材料の貴重さによって支配され,すぐれた自然材料のテクスチャーは,建築の価値を一段と高めるし,劣悪な材料も扱い方によっては,それなりの魅力をもたらすことができる。フランスの哲学者アランは,鉄やコンクリートのような鋳造材料は,材料としての個性に乏しく,どんな形にも自由につくれるため,天然材料のような魅力をもち得ない,としているが,これは煉瓦や瓦やタイルを除くすべての人工材料に共通する性質で,そのためデザイン上の特別の配慮が必要となる。建築の色彩は,材料そのものの色のほかに,塗料,鍍金,モザイク,壁画,文様などによって付加することができるが,風化や古びによっても独特の彩色を帯び,きわめて複雑な効果をもたらす。…

【反ファシズム】より

…フランスでは33年以来のスタビスキー事件を通じて政界の腐敗が危機感を煽りたてていたが,ナチスによるドイツ制覇に連動して,2月6日極右派が民衆を扇動し共和制打倒の一大騒擾事件をパリで引き起こしたのである。これに対して労働組合をはじめとする左翼勢力は共和制擁護のためゼネストをもって応え危機を一応脱しはしたが,この事実は多くの知識人に危機意識を抱かせ,人類学者ポール・リベ,物理学者ランジュバン,哲学者アランの提唱により3月に〈反ファシスト知識人監視委員会〉が組織され,ジッド,マルローはじめ,アラゴン,ニザン,ブルトン,ゲーノ,R.マルタン・デュ・ガール,バンダら,1200名の知識人が参加したのであった。この委員会はなお対立を続けていた社共両党の協力を説き,事実上人民戦線結成の触媒の役割を果たした。…

※「アラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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