アメリカの生化学者。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。1979年プリンストン大学卒業(機械、航空工学専攻)、1985年カリフォルニア大学バークレー校で化学工学の博士号取得。同年博士研究員として同校で働き、翌1986年カリフォルニア工科大学(CIT、Caltech(カルテック))で客員研究員、1987年助教授、1992年準教授を経て1996年教授。自身の成果を商業化するベンチャー企業「Gevo」を2005年に、「Provivi」を2013年に創設した。
もともと宇宙工学を専攻し、人類に役に立つ再生可能エネルギーなど新技術の研究をするためソーラー発電の研究に進んだが、1981年、生命の設計図であるDNAを操作し、新しい化学物質を開発できるのではないかとDNAの研究に方向を転換した。医薬品、プラスチック、肥料などの化学物質をつくるには、強い有機溶媒、重金属などの触媒が不可欠だったが、アーノルドはこうした反応を、酵素でつくりだすことを思いついた。当初、新しい酵素をつくるため、原料であるアミノ酸などを混ぜる従来の方法をとったが、化学反応を促進する触媒が不可欠で、その開発はコンピュータなどを駆使してもむずかしかった。そこで、自然界の「進化」に着目する新手法を思いついた。
アーノルドは、牛乳などに含まれるタンパク質カゼインなどを分解するサブチリシンという酵素を使って、酵素進化させる研究に取り組んだ。このタンパク質分解酵素をつくる遺伝子をわざと変異しやすいようにして、細菌に入れ、ランダムに突然変異を起こし大量の酵素をつくった。通常、この酵素は水の中で反応し、有機溶媒中では反応しにくいものだが、大量に作製した酵素の中から有機溶媒中でもタンパク質を分解できるものを選び出し、さらにその遺伝子に変異を導入した。こうした「変異を導入する」「選択する」という工程を3回ほど繰り返した結果、有機溶媒中でも分解する能力が256倍に達する酵素を手に入れることができた。こうした人工的な進化によって目的のタンパク質をつくる手法は「指向性進化法」とよばれ、アーノルドはそのパイオニアとなった。その後、DNAシャフリング(細胞の中でDNAをランダムに切断し再結合させる手法)などで、より安定した酵素の開発ができるようになった。
指向性進化で作成された酵素によって、医薬品や化学物質の合成が格段に速くなり、副産物が少なく、環境負荷の高い重金属が含まれない製品の開発につながった。さらに農作物からとれる糖やイソブタンをもとに、バイオエタノールや生分解性プラスチックの開発にも貢献した。これはアーノルドが当初目ざしていた再生可能エネルギーの開発でもあった。
2011年チャールズ・スターク・ドレイパー賞、2013年アメリカ国家技術賞、2016年ミレニアム技術賞、2017年アメリカ科学アカデミー(NAS)のレイモンド&ベバリー・サックラー賞などを受賞。2018年には、「指向性進化による酵素の合成」の業績でノーベル化学賞を受賞した。「ファージディスプレーによるタンパク質や抗体の開発」に貢献したアメリカのミズーリー大学特別栄誉教授のジョージ・P・スミスとイギリスMRC分子生物学研究所のグレゴリ・ウィンター名誉教授との同時受賞であった。アーノルドは、同賞を受賞した歴代5人目の女性である。
[玉村 治 2019年3月20日]
イギリスの詩人、批評家。名門ラグビー校の名物校長T・アーノルドの息子として生まれ、ラグビーからオックスフォード大学へ進学。『さまよえる宴客』(1849)、『エトナ山上のエンペドクレス』(1852)、『詩集』(1853)、『新詩集』(1867)は、ロマン主義への幻滅と憧憬(しょうけい)、科学の脅威と宗教の衰微などに悩まされる19世紀中葉の多感な知識人の内面を歌っている。「ドーバー海岸」「サーシス」などの詩はとくに有名。後半生は『批評論集』(1865、1888)、『教養と無秩序』(1869)、『文学と教義』(1873)、『アメリカ文明』(1888)などを発表、当代最重要な批評家として活躍。近代の文学、芸術における批評的知性の重要性を説いて、広い視野からイギリス文化の地方性を批判、T・S・エリオットなど後代の批評家に影響を与えた。オックスフォード大学詩学教授を務めながら、教育制度改善を進言する視学官でもあった。
[高橋康也]
『矢野峰人著『アーノルド論攷』(1947・全国書房)』
イギリスの牧師、教育者。詩人マシウ・アーノルドの父。ワイト島のカウズに生まれる。16歳のときオックスフォードのコルプス・クリスティ・カレッジに入学。4年後にオーリエル・カレッジの学術協会員Fellowに選ばれた。1818年に牧師の地位を得たのち、レイルハムに住んで結婚し、古典の研究、著述および大学入学を控えた少年たちの教育に専念。1828年、名門ラグビー校の校長となり、新風をもって学校の名声を高めた。1841年オックスフォードの歴史学教授となった。著作に『ローマ史』History of Rome(1838~1843、未完)、『説教集』Sermons Preached at Rugby School(1827~1841)などがある。
[村井 実 2018年1月19日]
イギリスの詩人,文芸評論家,社会批評家。ラグビー校校長トマス・アーノルドの長男。ウィンチェスター・カレッジ,ラグビー校を経てオックスフォード大学ベーリオル・カレッジ入学(1841),オーリエル・カレッジのフェロー(1845)。ランズダウン卿秘書(1847)となり,その縁で教育視学官(1851-86)に就任,詩人ならびに批評家として活躍する。詩人としては,《さ迷える夢想家その他の詩》(1849),《エトナ山上のエンペドクレスその他の詩》(1852)を匿名出版したあと,《詩集》(1853)を初めて実名で出版,《メロウピー》(1858),《新詩集》(1867)と続く。アーノルドの詩の特徴のひとつは個人的感情の表白にある。〈ドーバーの岸辺〉(1867)では海辺の風景に託して信仰の退潮を憂い,〈さ迷える学者〉(1853)ではジプシーの仲間に加わったオックスフォードの学者の姿を通して近代的知性の危機を歌い,〈サーシス〉(1867)では親友A.H.クラフの死を切々と哀悼する。批評家としては《ホメロスの翻訳について》(1861)でホメロスの素朴さと高貴さを現代と対比したが,オックスフォード大学詩学教授(1857-67)時代の講義《ケルト文学研究について》(1867)では,ケルト文化を功利主義的通俗性の対極として称揚する。《批評集(1)》(1865)は,巻頭の〈現代における批評の役割〉で,批評とは文学,歴史,芸術,科学,社会,政治などの全分野にわたって〈対象をそれ自体としてあるがままに見る〉ことだとする。イギリスの地方性を危惧し大陸に目を向け,ゲラン,ハイネ,スピノザなどを論ずる。《批評集(2)》(1888)は,巻頭の〈詩の研究〉で,宗教に代わる〈高度の真摯さ〉を詩に求め,批評の基準を〈人生批評〉に置く。《教養と無秩序》(1869)で,貴族=蛮人,中産階級=俗物,下層階級=大衆とからなるビクトリア朝イングランドの健全化のために,〈甘美と光〉を欠く中産階級の教化の必要性を力説した。
執筆者:山内 久明
イギリスの教育家。名門ラグビー校の校長として荒廃の極にあった同校の校風を刷新し,パブリック・スクールの改革を促した。南部海岸ワイト島のカウズに生まれ,ウィンチェスター校からオックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジを卒業。オーリエル・カレッジのフェロー,寒村レールハムでの牧師補や私立予備校の教師を務めた後,1828年から42年に急死するまでラグビー校の校長として在職。その間ロンドン大学の評議員(1836-38),オックスフォード大学近世史教授(1841-42)を務めた。長い伝統と因習のゆえに,産業革命後の新しい時代の要請に対応できずに荒廃していたラグビー校で,その優れた学識と崇高な人格的感化をもって改革にあたり,〈キリスト教徒紳士〉の育成をめざした。伝統的な古典語中心の教育を歴史,哲学,現代語,数学などの科目を加えて近代化し,学校生活での組織的競技を奨励するとともに,学校,学寮の経営に信頼と責任を基調とするチューター制などを採用,自ら学校礼拝堂での説教を行うなどして校風を刷新し,パブリック・スクールの近代的形態を組織づけた。
執筆者:深山 正光
金属組織学開拓期のイギリスの冶金学者。はじめシェフィールド工業学校の,ついで大学となった同校の教授。元来は鉄鋼分析化学が専門で,合金鋼中の炭化物(Fe,Ni)3Cや(Fe,Co)3Cの組成を決定した。金属の顕微鏡組織観察法を創始したH.C.ソルビーの晩年の弟子で,鉄鋼の顕微鏡組織をとくに研究した。有名になったのは,ロバーツ・オーステンWilliam Chandler Roberts-Austenの合金理論,F.オスモンの鋼焼入硬化理論にそれぞれ敵対する鋭い論陣を張ったことによる。前者では金Auに鉛PbやビスマスBiを添加しても結晶粒界にもろい薄層を作って強化に役立たないこと,後者ではオスモンのいうβ鉄は軟らかくて硬化の原因物質となりえないことを実証した。
執筆者:原 善四郎
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…19世紀に入るとベリマンの成果はドイツのカルステンKarl Johann Bernhard Karsten(1782‐1853),ランパディウスWilhelm August Lampadius(1772‐1842)らによって引き継がれ,高炉では吸炭が,精錬炉では脱炭が,浸炭法では吸炭が生じることなどが明らかにされた。また合金鋼に関するM.ファラデーの研究,鉄鋼の変態点に関するロシアのチェルノフDmitrii K.Chernov(1839‐1921)の研究,鉄鋼の顕微鏡組織に関するイギリスのソルビーHenry Clifton Sorby(1826‐1908)やドイツのマルテンスAdolf Martens(1850‐1914)の研究,鉄鋼の変態に関するフランスのF.オスモンの研究,鋼中の炭素の役割に関するイギリスのJ.O.アーノルドの研究,鉄鋼の状態図に関するイギリスのオーステンWilliam Roberts Austen(1843‐1902)やオランダのローゼボームHendrik Willem Bakhuis Roozeboom(1854‐1907)らの研究が相次ぎ,鋼の硬化と熱処理,組織,状態図との関係など,今日の鋼の物理冶金学の基礎が築かれた。鋼の組織の名前であるソルバイト,マルテンサイト,オーステナイト,トルースタイト,レーデブライトなどは,それらの先人の業績にちなんで命名された。…
…イギリスの詩人,批評家M.アーノルドの社会・文化論。1869年刊。…
…おもな作品は六歩格形式で書いたロマンス《トベル・ナ・ボリッチの小屋》(1848),《アンバルバリア》(1849),主人公をファウストに擬し良心と世間との衝突をうたった《ディプサイカス》(死後出版)など。42歳の若さでフィレンツェに客死し,友人M.アーノルドは挽歌《サーシス》でその死を悼んだ。六歩格の詩形に才を示したが,詩人としてアーノルドに及ばない。…
…ヘレニズムという語は一般に2通りの意味で用いられている。一つは19世紀イギリスの詩人・文明批評家M.アーノルドが《教養と無秩序》において,ヨーロッパ文化の根底を成した精神的伝統の一つとして,ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教思想の源泉)と対置させた場合のヘレニズムで,以来広く〈ギリシア文化一般の本質にかかわる精神的基盤〉の意味に用いられる。いま一つは同じく19世紀ドイツの歴史家J.G.ドロイゼンが《ヘレニズム史》において創唱した歴史学上の時代概念としての〈ヘレニズム〉で,従来ギリシア史の長い衰亡期,ギリシア文化の質的劣悪化の時期,ローマ帝国成立までのつなぎの時代とみられてきたアレクサンドロス大王以後約300年の時代と文化は,彼以後ヘレニズム(ギリシア風文化)の名によってその固有の世界史的位置づけが確立した。…
…作品をきめ細かく読み抜き,そこに作家全体の技巧的成熟,道徳的な健全さ,感受性の均衡を読みとり,イギリス文化全体の健康状態を診断するという姿勢が彼の批評上の信念になっていた。こうした厳格な批評態度は,19世紀のM.アーノルドから受けついだものであるとともに,20世紀という大衆文化の時代にこそ,その平均化に抗して生まれる必然性があった。リービスは自分の信念を批評誌《スクルーティニー》(1932‐53)に盛りこみ,また《現代詩における新方位》(1932),《再評価》(1936)などの単行本により結晶させた。…
…オックスフォード運動により激化した英国国教会の高教会派と低教会派の抗争を嫌悪し,双方の立場を退け,〈三十九ヵ条の信仰告白〉を含む教会の教義的立場をできるだけ広義に,また自由に解釈することを提唱したT.アーノルドやハンプデンRenn Dickson Hampdenらの立場を言う。その主張は《小論と評論》(1860)によって打ち出されたが,今日では常識的と判断されうる見解が10年にもおよぶ大論争を引き起こした。…
… このような状況から,鉄道に対する一般人の反応は相矛盾するものとならざるをえなかった。封建制を葬り新しい時代を招く力とスピードの象徴として鉄道を礼賛する人(例えばラグビー校校長T.アーノルド)もいたが,反対に〈鉄道狂〉の波に乗って美しい自然環境を破壊する侵入者に抗議する詩を,1844年に書いた桂冠詩人ワーズワースや,経済パニックをまのあたりに見て機関車を恐ろしい怪獣〈死〉として,小説《ドンビー父子》(1848)の中で描いたディケンズもいた。ちょうど20世紀人が原子力に対して抱いたと同じような,希望と不安,魅惑と恐怖,賛美と憎悪が相半ばする複雑な感情が,これらの文学者によって示されているが,それはまさに19世紀人の感情を代弁したものだった。…
…この種の学校は200校あまりあるが,そのうち九つがとくに著名である(ウィンチェスター校,イートン校,ハロー校,ラグビー校など)。これらはルネサンス,宗教改革期に設立されたが,19世紀半ばラグビー校のT.アーノルド校長の改革を契機に,以後イギリス的紳士育成の拠点となった。その教育の特徴はキリスト教的人文主義の教育内容,寮自治制と級長制による集団規律の重視,団体スポーツを通してのフェア・プレーと闘争心の涵養にある。…
※「アーノルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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