ウィーン学団(読み)ウィーンガクダン

デジタル大辞泉 「ウィーン学団」の意味・読み・例文・類語

ウィーン‐がくだん【ウィーン学団】

1920年代後半に哲学シュリック中心としてウィーンで結成された、主に社会科学者・自然科学者などの一団形而上学解消や哲学の科学化を目ざし、実証主義記号論理学を結びつけ論理実証主義進展寄与、また分析哲学が生じるきっかけをつくった。

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百科事典マイペディア 「ウィーン学団」の意味・わかりやすい解説

ウィーン学団【ウィーンがくだん】

1929年―1938年にウィーン大学にあってシュリックカルナップ,ノイラートらを中心に,論理実証主義に依拠して統一科学を提唱した学者群。Wiener Kreis。マッハ,B.ラッセル,ウィトゲンシュタインらの影響もと個別科学専門家よりなり,個人的哲学ではなく協同作業としての科学的哲学の建設を目ざす。のちライヘンバハが指導するベルリン学派も合流

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィーン学団」の意味・わかりやすい解説

ウィーン学団 (ウィーンがくだん)

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世界大百科事典(旧版)内のウィーン学団の言及

【科学哲学】より

…他方,哲学の領域においては,とくに,20世紀初頭以来,過去の思弁的形而上学に対する反感と批判がさまざまな形の言語分析の哲学を生み,すでに,一種の科学批判の学として成立していた現象学とも間接的に相たずさえて,科学内部における問題意識にこたえて科学哲学を生み出すのである。かくして現れた最初の科学哲学が,マッハ,ポアンカレ,デュエムらの科学者による科学論であり,そして,1930年前後のウィーン学団の新しい活躍の中で,〈科学哲学〉という名称が現代的な意味において徐々に定着していくことになるのである。
[科学哲学の課題]
 (1)科学的世界観の確立 現代の科学哲学は1930年代の論理実証主義の勃興を機に始まったと考えられるが,そこでまず急務とされたのは,過去の形而上学的世界観を排して,科学に基づく新しい世界観を確立することであった。…

【カルナップ】より

…ドイツに生まれ,最初は物理学を専攻した。後にフレーゲとB.A.W.ラッセルの影響の下に哲学に関心をもち,1926年ウィーン大学の私講師となり,シュリックらとともにウィーン学団を結成し,その中心人物となる。当時ベルリンにいたライヘンバハとともに雑誌《エルケントニス(認識)》を刊行し,論理実証主義の思想を世界に広めた。…

【シュリック】より

…ドイツの哲学者。ベルリン大学でM.プランクの下で物理学を学んだのち,ウィーン大学に移り,カルナップを呼びよせて〈ウィーン学団〉を創設,みずからその中心人物として活躍した。その思想は〈論理実証主義〉と呼ばれ,マッハの実証主義とB.A.W.ラッセルの論理主義をウィトゲンシュタインの哲学の下で結合したものである。…

【ノイラート】より

…オーストリアの経済学者。また,論理実証主義の哲学者として,ウィーン学団の創設にあずかった。はじめ,マルクス主義的経済学を唱えたが,やがて,社会科学全体を物理学と同一方法による時空的経験科学とする物理主義へとおもむき,〈統一科学〉という運動を推進した。…

【論理実証主義】より

…〈ウィーン学団Wiener Kreis〉およびその共鳴者の哲学に与えられた名称。
[成立と展開]
 1895年ウィーン大学に〈帰納科学の哲学〉という講座が新設され,物理学者のマッハがその初代教授となり,その後この講座はボルツマンへと引き継がれていく。…

※「ウィーン学団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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