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オホーツク文化 オホーツクぶんか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オホーツク文化
オホーツクぶんか

北はサハリン島南部,北海道北部およびオホーツク海沿岸,釧路付近以東の太平洋沿岸地方から千島にかけて分布していた狩猟,漁労文化。独特のオホーツク式土器と金属器,石器,骨製品をもつ。ことに骨製品は豊富で,骨篦,骨斧,釣針,装飾品などがあり,金属製品には太刀などがある。

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デジタル大辞泉の解説

オホーツク‐ぶんか〔‐ブンクワ〕【オホーツク文化】

奈良平安時代から鎌倉時代にかけて、北海道北東部、樺太(サハリン)南部、千島(クリル)列島など、オホーツク海沿岸に発達した狩猟・漁労文化。代表的な遺跡は、網走市のモヨロ貝塚

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百科事典マイペディアの解説

オホーツク文化【オホーツクぶんか】

7,8世紀−13世紀ころサハリン南部,北海道北東岸,千島列島などオホーツク海沿岸に発達した狩猟・漁労文化。北海道の続縄文時代末期〜擦文(さつもん)時代後期にあたる。
→関連項目北見国

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世界大百科事典 第2版の解説

オホーツクぶんか【オホーツク文化】

奈良・平安時代にかけて,北海道オホーツク海沿岸に広がった金属器をもつ石器文化。南サハリンから北海道北東岸,知床・根室半島そして南千島に認められる。この文化を代表する土器は,オホーツク式土器と呼ばれ,地域と時期により詳細な編年ができている。概していえば壺形・甕形の器形に,前半期には刻み目を連続した文様を主にし,後半期では細い粘土紐を貼りつけた文様を主にしている。住居址は通常六角形の大型のもので,粘土の貼床をもち,住居の一角に熊や狐の獣骨を積み上げる習俗をもっている。

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大辞林 第三版の解説

オホーツクぶんか【オホーツク文化】

本州の平安時代に並行する時期に、北海道のオホーツク海沿岸・サハリン・千島に発達した金属器を伴う石器文化。海岸部で狩猟・漁労生活を営んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オホーツク文化
おほーつくぶんか

南樺太(からふと)(サハリン)、北海道のオホーツク海沿岸・根室(ねむろ)水道沿岸、千島列島にみられる、海を生活の舞台にした人々の残した文化。時代は、平安・鎌倉時代に並行するころと考えられる。網走(あばしり)市のモヨロ貝塚がもっとも著名な遺跡。第二次世界大戦後、北海道大学、東京大学などにより調査が進められた結果、特異な面を数多くもつこの文化の内容が明らかになりつつある。
 生活は、海獣狩猟および漁労に基礎を置いていたものと考えられ、住居址(し)や墓などから出土する石器、骨角器あるいは貝層や魚骨層から出土する獣魚骨がこれを裏づける。住居は平面が五角形もしくは六角形で、長軸が10メートルを超えるものもしばしばみられるほど大形で、その平均的な床面積は70~80平方メートルにも及ぶ。核家族というよりも、核家族をいくつか集めた大家族が単位となって居住していたことを示すものであり、彼らの生業の形と密接に結び付いたものであろう。住居の奥にはクマの頭骨が置かれ、またクマの彫刻もしばしばみられる。これらはアイヌの熊祭の源流を示すものではないかと考えられ、注目される。クマのほかシャチあるいはエイなどの彫刻もみられる。これらは単に彫刻としての意味をもつだけではなく、彼らのもっていた信仰、祭祀(さいし)を示すものとして興味深いものがある。墓はモヨロ貝塚などで知られているが、長軸1~1.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに遺体を多くは北西に頭を置く形で屈葬にする。遺体の頭もしくは胸の所に土器を逆さにして置くことがしばしばみられる。
 このほか石器、骨角器も副葬される。アジア大陸と関係深い遺物も多い。オホーツク文化をもっていた人々については種々のことがいわれているが、今日では、ウルチ、ギリヤーク、樺太アイヌというようなアムール川(黒竜江)流域から樺太にかけてみられる人々との近縁関係が有力になってきている。北海道にみられるもっとも新しい外来の要素として、また近世アイヌ文化の精神面の源流として注目される文化である。[藤本 強]

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世界大百科事典内のオホーツク文化の言及

【擦文文化】より

…住居は方形の竪穴式で,1辺が4~5mから7~8mのものが多く,屋内の中央部の炉のほかに,東側の壁に,煙道が戸外に通ずる竈が付設されているのが多く,海岸や内陸部の河川や湖沼に近い段丘上に大住居群を残している。この文化が盛行していたころ,道東北部では,オホーツク海岸を中心にしたオホーツク文化が,一部は根室半島を越えて北海道太平洋岸の東部や,宗谷岬を越えて日本海岸の北部の利尻・礼文の島々にまで広がっており,両文化は互いに影響し合っていた。道東のいくつかの遺跡では,擦文土器と,オホーツク式土器の融合した,いわゆるトビニタイ式土器が発見されて,北海道の土器文化の終末期の様相を考えるうえで注目されている。…

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