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1854年,ボーア人が現在の南アフリカ共和国内に建てた国。1814年のイギリスのケープ植民地支配に反対したボーア人は,36年A.H.ポトヒーターに率いられ,北方への移動を開始し(グレート・トレック),途中ヌデベレ族と戦いながら,バール川とオレンジ川の北方に定着した。当時イギリスは財政的負担のかかる植民地外の支配をあきらめ,54年ブルームフォンテーン協定によって,ボーア人の自治国オレンジ自由国の建国を許した。自由国はアメリカおよびオランダの制度にならい,行政府として大統領および行政審議会,立法府としてフォルクスラート,それに司法府の三権分立制を導入し,首都はブルームフォンテーンに置いた。初代大統領J.H.ホフマン(在任1854-55)から第4代J.H.ブランド(在任1864-88)にかけ,隣接するバストランドの併合を画策したが失敗し,84年バストランドは正式にイギリス保護領となった。
1867年西グリカランドでダイヤモンドが発見されたが,グリカ族のウォーターボーア首長はその所有権を主張し,イギリスに保護を求めたため,71年イギリスは同地域を占領した。ついでM.T.スタイン大統領期(1896-1900)にはボーア戦争が起こり,トランスバール共和国と軍事同盟を結んでイギリス軍と戦ったが敗れ,1900年5月から10年5月までオレンジ・リバー植民地としてイギリスに併合された。10年5月の南アフリカ連邦の成立とともに,この地域はオレンジ自由州として連邦の一州に組み入れられた。
執筆者:林 晃史
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1854~1900
南アフリカのオレンジ,ヴァール両川間に,ブール人が,イギリスに抵抗して建てた国。南アフリカ戦争で,同じくオランダ系の姉妹国トランスヴァール共和国とともにイギリスと戦って敗北し,1910年南アフリカ連邦発足の際にオレンジ自由州となった。95年自由州と改名された。
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