ドイツ中部,ヘッセン州北部の地方中心都市。人口19万6211(1999)。ウェーザー川の支流フルダFulda川に臨み,歴史的にはヘッセン・カッセル方伯国(1803以降選帝侯国)の主都として,また都市史上は中世以来の都市計画で知られる。旧市(12世紀),新市(13世紀),自由市(14世紀),そして近世にフランスからの亡命ユグノーの居住地として建設された上部新市(17~18世紀)の新・旧市街が一つの都市に合成されたものだが,この町の名を高からしめたのは,18世紀初頭以後ほぼ1世紀間に,市街の外側に広大な自然を利用して築かれた公園施設である。すなわち,フルダ川の川中島につくられた温室庭園と,市の西方にひろがるハビヒト森を利用した森林公園ウィルヘルムスヘーエ(山上の離宮と階段滝を中心とする)で,これはヘッセンの君主たちのバロック趣味が残した一大遺産といえよう。ただしその費用が,君主による自国の兵士の外国(特にイギリス)への賃貸し(〈兵士貿易〉)によって得られたものであることも,またよく知られる。1866年にプロイセン領となり,その後は機関車製造(ヘンシェルHenschel社)等の輸送機械を中心とする工業都市として発展したが,第2次大戦中,工場・市街ともにほとんど完全に破壊され,すべては戦後の再建にゆだねられねばならなかった。国際的現代美術展〈ドクメンタ〉(1955から3年おき)の開かれる町としても知られている。
執筆者:坂井 栄八郎
スウェーデンの経済学者。ストックホルムに生まれ,1895年にウプサラ大学から数学で博士号を取得。のちに経済学に関心をもつに至り,ドイツで経済学を研究した。1904-33年ストックホルム大学教授。主著《社会経済の理論》(1918)における理論的枠組みはL.ワルラスの一般均衡理論であるが,彼は価値・分配論における限界原理を排し,〈希少性の原理〉によって相対価格を説いた。《利子の本質と必要性》(1903)では,ベーム・バウェルクの資本理論を批判し,N.W.シーニアーの節欲説(制欲説)を支持した。第1次大戦後の経済的混乱期には国際会議で活躍し,外国為替,貨幣政策など国際金融問題の専門家として貢献した。著書としては《世界の貨幣問題》(1921)などがある。また外国為替相場の決定に関して購買力平価説を提唱したことは有名。
執筆者:田中 敏弘
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スウェーデンの経済学者。ストックホルム大学、ウプサラ大学に学び、最初は技術者となったが、30代になってから経済学の研究に転じた。ウィクセルのよき競争相手であり、ルンド大学教授の地位をめぐってウィクセルと競ったこともあるが、急進的な思想のウィクセルに対する保守派の人々の学問外の面からの反対に抗議して、カッセルは自らその願いを取り下げたというエピソードもある。1904年にストックホルム大学教授に就任し、1933年までその地位にあった。カッセルは、価値理論の面では、限界効用という測定不可能な概念を排して、経験的に確認できる需要関数から分析を始めるべきであると主張した。また、景気変動理論では、その原因を経済成長過程における固定資本投資の変動に求め、消費財の需要の変化に対してそれよりも大きく資本財生産が反応し、景気の上昇過程では強制貯蓄によって利潤が賃金を侵食し過剰投資がおこるという、過剰投資説を展開した。しかし彼のもっとも著名な業績は、第一次世界大戦後の国際通貨の混乱期に、外国為替(かわせ)相場は究極的には各国における貨幣の購買力の比によって決まるとする購買力平価説を提唱したことである。おもな著書には、『社会経済学原論』Theoretische Sozialökonomie(1918)、『貨幣および外国為替論』Money and Foreign Exchange after 1914(1922)などがある。
[志田 明]
ドイツ中部、ヘッセン州の都市。人口19万4800(2000)。ウェーザー川の支流フルダ川の流れる盆地にある。1198年ごろ都市権を獲得、1277年にヘッセン公の居地になり、近世には要塞(ようさい)都市になった。19世紀にはヘッセン選帝侯領の首都になるなど王宮所在地としての伝統が長く、市街中心部にはバロック時代の城館(1786~1801建築)と森林公園が残る。第二次世界大戦後の戦災復興過程で近代的都市に生まれかわり、自動車、機械、化学、電気機器などの工業が立地する。ヘッセン州北部の中心都市で、連邦労働裁判所、連邦社会保障裁判所のほか、州・地方レベルの行政・経済・文化の諸施設、商業、金融業も集中する。
[朝野洋一]
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…ドイツ中西部の州(ラント)。歴史的には旧ドイツの領邦国家ヘッセン・カッセルHessen‐Kasselとヘッセン・ダルムシュタットHessen‐Darmstadtを母体としている。面積2万1112km2,人口598万(1995)。…
…ドイツのカッセルで,原則として4年ごとに開かれる国際美術展。同地の美術学校教授A.ボーデらの提唱で1955年創設。…
…ドイツ中西部の州(ラント)。歴史的には旧ドイツの領邦国家ヘッセン・カッセルHessen‐Kasselとヘッセン・ダルムシュタットHessen‐Darmstadtを母体としている。面積2万1112km2,人口598万(1995)。…
…そこで,きわめて簡便に均衡為替相場を推定できる方法として購買力平価説がある。これはK.G.カッセルによって主張されたもので,外国為替市場を均衡させる為替相場は両国の物価水準の比によって定まるというものである。これを購買力平価という。…
…経済学において希少性とは,生産資源やそれから生産される財やサービスの利用可能量が,人間の欲望をみたすためには不足している状態をいう。すべての資源や財およびサービスの経済的価値はそれらの希少性に依存している,という考え方がかなり古くから述べられていたが,それをG.カッセルは希少性の原理と名づけた。生産資源そして財やサービスが希少であるかぎり,選択と排除という問題が生じる。…
…自由変動為替相場制のもとで,日々変動する外国為替相場(以下,為替相場と略称する)に中心ないし基準となる均衡為替相場があり,それは自国と外国の物価水準の比によって定まるとするG.カッセルの説。この均衡為替相場を購買力平価という。…
…19世紀末から20世紀前半にかけてのスウェーデンの経済学者たちの考え方を一括してスウェーデン学派と呼ぶことが多い。J.G.K.ウィクセル,G.カッセルなどストックホルムを中心として活躍した経済学者たちの流れをくむ人々が多く,ストックホルム学派Stockholm school,あるいは北欧学派と呼ばれることもある。 ウィクセルは,ワルラスの一般均衡理論に対して,ベーム・バウェルクなどのいわゆるオーストリア学派の経済学者の考え方を取り入れて,資本主義経済における経済循環の動学的な分析を展開した。…
※「カッセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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