ポルトガルの大航海者、喜望峰(きぼうほう)回りのインド航路開拓者。インド副王。ポルトガル中央部の港町シネスの大判事エステバン・ダ・ガマの三男。熟達した航海術と、持ち前の卓越した外交手腕を買われて、1497年、国王マヌエル1世の大使として自ら船隊(船4隻および約170人の乗組員)を率いてインドへ向かう。一行は同年7月8日エル・ミナへ向かうバルトロメウ・ディアスの船とともにリスボンを出港、ベルデ岬諸島でディアスと別れたあと喜望峰を周回(11月22日)、その後アフリカ大陸東海岸を北上してマリンディに着いた(1498年4月14日)。この地からはアラブ人の水先案内人の協力を得てインド洋を航海し、マラバル海岸のコジコーデ(カリカット)に到着(5月21日)。3か月にわたる滞在中、土侯サモリンと会見し、ポルトガルとの友好関係樹立のため交渉を試みたが、ポルトガル人の来訪により香料取引の独占体制が脅かされることを恐れたムスリム商人の横やりのため、交渉は不首尾に終わった。が、香料については、見本程度ながら現地商人から直接買い付けることに成功し、帰国の途についた(8月29日)。無風や逆風のほか、壊血病に襲われ、死者が続出する(帰還者は55人)苦しい航海のすえ、まず1499年7月10日ニコラス・コエリョの指揮する僚船が、ついで8月29日(もしくは9月9日)ガマの船がリスボンに帰着した。そののちカリカットへの第2回航海(1502~03)を行った。1524年インド副王に任ぜられ、第3回航海にたち、同年12月24日コーチン(現、コーチ)で客死した。
[青木康征]
『野々山ミナコ訳、増田義郎注『ドン・ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海記』(『大航海時代叢書Ⅰ』所収・1965・岩波書店)』▽『生田滋著『ヴァスコ・ダ・ガマ 東洋の扉を開く』(1992・原書房)』
ガマ科(APG分類:ガマ科)の多年草。大形の湿生植物で、池や川の縁など淡水域の泥地に群生する。根茎は太く、泥中を横走し、草丈は1~2メートル、茎頂に1個の花穂ができる。葉は線形、茎より長く伸び、幅約2センチメートル、質は厚い。花穂は円柱形、雄花部と雌花部は連続し、雄花部は長さ7~12センチメートル、雌花部は長さ12~18センチメートルである。雄花には普通3本の雄しべと数本の剛毛状の花被片(かひへん)、雌花には1本の雌しべと20本ほどの剛毛状の花被片がある。花粉は4個ずつ合生する。他種との雑種をつくることがあり、コガマとの雑種はアイノコガマとよばれる。北半球およびオーストラリアの熱帯から温帯まで広く分布する。
果穂を集めたものを蒲綿(ほわた)といい、ふとんの綿としたり火打石の火口(ほくち)として使った。また葉や茎から簾(すだれ)や蓆(むしろ)をつくったので御簾草(みすぐさ)の古名がある。
[清水建美 2019年6月18日]
俗に「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」は、その傷ついた体をガマの花穂(果実の綿)でくるまって治したと思われているが、『古事記』によれば、大国主命(おおくにぬしのみこと)が兎に与えたのは蒲黄(ほおう)となっている。これはガマの花粉で、止血作用があり傷薬とされるため、『古事記』のほうが合理的な解釈である。漢方薬として中国の『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(6世紀)に載り、ギリシアのディオスコリデスの『薬物誌』(1世紀)にもやけどの薬として出ている。ケニアなどでは地下茎を食用にし、古来インドではその煎液(せんえき)を頭痛やリウマチの薬に使った。綿毛は枕(まくら)やマットレスの詰め物にされるほか、台湾のヤミ族では船板のパッキンに利用した。
[湯浅浩史 2019年6月18日]
ヒキガエルの俗称。〈びっき〉などの異名があり,日中物陰にいて夕方に現れ昆虫や蠕虫(ぜんちゆう)類を舌を出してとらえるが,すばやいため虫が自然に口中に引き込まれるように見え,〈ひき〉の名が出たらしい。日本の人家の庭でふつうに見られるニホンヒキガエルBufo bufo japonicusなどヒキガエル類は,一般にガマと呼ばれ親しまれる。〈ガマの油売〉で知られる筑波山の〈四六のガマ〉をはじめ,望みのものを引き寄せる縁起のよい動物として置物にされたり,芝居では児雷也の変身に利用されたりする。ヒキガエル類には眼の後方に耳腺が発達し,分泌される乳白色の液には毒成分があって,かみついた犬が苦しんだり,いたずらした人間の目に入って角膜炎を起こさせたりする。動作緩慢でありながら蛇,猫,イタチなどに襲われても撃退するため,不思議な能力をもつものとして〈がま仙人〉などの名も現れた。これらのことから,この動物を魔性ありとして近世ことに種々の怪異談が伝えられている。ガマ毒の成分は明治のころから研究され現在では化学構造も判明している。ブフォタリン,ブファギン,シノファギン,ガマブフォゲンなどを含むいわゆるブフォトキシンbufotoxinで,主として心筋や迷走神経中枢に作用する。この心筋収縮の作用からガマ毒は強心剤として用いられ,中国では古くから〈蟾酥(せんそ)〉と称して,漢方薬六神丸の材料とされ,蘇州の〈雷久上(レイチユウシヤン)〉が本舗とされてきた。現在,日本に輸入されている蟾酥はかなり高価なものである。
執筆者:松井 孝爾+千葉 徳爾
湿地の浅い水底から直立するガマ科の多年草で,高さ約2mになる。根茎は泥の中を横にはい,ここから直立茎を出す。葉は線形で長さ1~2m,幅1~2cmで無毛。6~8月に茎頂に穂状花序をつける。花序の上部は雄花群で,この部分は細い。各雄花は3本のおしべだけからなり,花柄基部に長い毛がある。花粉は4個が癒合している。花序の下部は雌花群で,上部よりも太く,直径1.5~2cmになる。雌花はただ1個の心皮からなり,花柄には長い毛がある。花柱は長く伸び,柱頭は茶色である。雌花群の表面にはこの柱頭が密集している。分布は広く,北半球の温帯~熱帯からオーストラリアまである。ガマの花粉を蒲黄(ほおう)といい,乾燥したものを止血剤として用いた。〈因幡の白兎〉の民話で,赤裸のウサギがガマの穂にくるまったのも,この止血作用を利用したものであろう。また葉や茎は敷物や籠,すだれを編むのに用い,若芽は食用にされた。その葉で編んだ円座(ほたん)やむしろから,それぞれ蒲団(ふとん),蒲簀(かます)(叺)などの名が起こり,またガマの穂綿(ほわた)に硫黄や硝石を混ぜて,火打の火をとるための〈ほくち〉が作られた。竹輪蒲鉾(ちくわかまぼこ)や蒲焼(昔はウナギの胴を開かず丸ごと串(くし)に刺して焼いた)の名はその穂の形による。
ヒメガマT.angustifolia L.はガマに似て,雄花群と雌花群の間に花のつかない裸出した軸の部分がある。
執筆者:山下 貴司+深津 正
ポルトガルの航海者。下級貴族の子としてポルトガル南部のシネスで生まれた。前半生のことはほとんどわからない。1497年インドに向かうポルトガル船隊の司令官となり,喜望峰を経由して翌年カリカットに到達した。1502年にもふたたび司令官となってインドに赴いた。その後24年になって歴代総督の失政を改革するためにインドに派遣されたが,その直後に病死した。したがって彼はもっぱらインド航路の開拓者として記憶されている。
執筆者:生田 滋
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…岩石や鉱脈の中に生成している空洞をいい,鉱山などでは俗称で〈がま〉ともいわれる。岩石の生成後に別の地質作用による特定の成分の分別によって空洞を生ずる場合もあるが,この場合は異質晶洞と呼ぶ。…
…ポルトガルに希望を与える岬という意味である。V.daガマが国王のその期待にこたえた。彼は97年7月8日にリスボンを出港し,喜望峰をまわってインド洋をわたり,98年5月20日インドのカリカットに着いた。…
…これらの著書は,いわばインド洋を舞台として数千年にわたって活躍してきたアラブ・ペルシア系航海民のもつ航海知識を精練し集大成したものであって,その高度な航海技術と精緻で詳細な地理的知識には驚くべきものがある。彼は1498年,バスコ・ダ・ガマの率いるポルトガル艦隊を東アフリカのマリンディからインドのカリカットまで案内したといわれるが,その事実は不明である。【家島 彦一】。…
…8世紀以来アラブ商人の進出によりインド洋交易が活発となるとともに,インド西海岸の重要港市として栄えた。1487年にはポルトガル人ペロ・デ・コビリャンPero de Covihamが来航し,98年には喜望峰回りでバスコ・ダ・ガマが東アフリカから乗せたヒンドゥー教徒を水先案内人として来航した。彼の上陸地点は北方約25kmのカッパードで,記念碑が建てられている。…
…それによってベルデ岬の西370レグア(約2040km)の線を境界とし,その西側で発見された土地はスペインの,その東側で発見された土地はポルトガルの領土とすることとされた。ポルトガルでは97年マヌエル王の指揮下にバスコ・ダ・ガマの船隊が編成され,インドに派遣された。ガマの船隊は98年にインドのカリカットに到着し,99年にコショウを積んで帰国した。…
…南からの風波を避けるのに好適な港として,また幾つかの美しい海水浴場のある保養地として知られる。1488年にバルトロメウ・ディアスが初めて立ち寄り,97年にはバスコ・ダ・ガマが寄港,1500年にはペドロ・ダタイデが嵐を避けて上陸した。このように南部アフリカにおいてポルトガル人航海者が最初に上陸した港として,歴史的に重要な町である。…
…ガマの油を原料とする軟膏を大道で売る香具師(やし)の一種。この軟膏は,外傷やひび,あかぎれ,やけどなどの治療に効果があるといわれ,軍中膏として用いられた。…
…上記の主要植物以外では,スズラン,セイヨウキョウチクトウ,フクジュソウ,オモトなどにも含まれる。配糖体ではないが,ガマの皮膚腺分泌物から得られるブホタリン,ブホトキシンなども強心ステロイドである。現在では数多くの強心配糖体の化学構造が明らかにされているが,共通した構造はアグリコンまたはゲニンと呼ばれるステロイド構造部分に糖が結合した形である。…
…またこれらの糖がとれた形のゲニンも強心作用を示す。ガマ皮膚腺分泌物にもブホタリン,ブホトキシンなどの強心ステロイドが含まれる。そのほか,カテコールアミン類(アドレナリンやノルアドレナリン)やキサンチン誘導体(カフェインやテオフィリン)なども強心作用を有する。…
…ヒキガエル科の大型ガエル(イラスト)。通称ガマ(蝦蟇)。北海道,本州,四国,九州に分布し,近畿地方以北の個体群は,亜種のアズマヒキガエルB.j.formosusに区別される。…
…そして,危険に出会うと四肢を突っ張り頭を下にして,耳腺を敵の鼻先に突き出す。耳腺から分泌される毒液は一般にガマ毒あるいはブフォトキシンと呼ばれ,ブフォタリンなど数種の成分が含まれる。動物の口腔,粘膜に付着すると,炎症を起こし心筋や神経中枢に作用して敵を弱らせる。…
※「ガマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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