キリスト教民主党[イタリア](読み)キリストきょうみんしゅとう[イタリア](英語表記)Partito Democrazia Cristiana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

キリスト教民主党[イタリア]
キリストきょうみんしゅとう[イタリア]
Partito Democrazia Cristiana

略称 DC。イタリアの政党。ファシスト政権崩壊後,A.デ・ガスペリを指導者として,反ファシスト的なブルジョアジー,大地主,中小商工業者,農民およびカトリックの労働者などを基盤に結成されたカトリック政党。全体としてはキリスト教によって結ばれているだけであって,党内は社会党左派より左寄りの派から右翼にいたる勢力の集合体であり,1政党としての結束は弱い。通常6派に分けられる。カトリックの政治的代弁者たることを目指して 1919年結成されたイタリア人民党が,26年のムッソリーニ政権による非合法化を経て,42年,再建改称したもので,第2次世界大戦中は「国民解放委員会」を共産党,社会党などとともに組織して戦ったが,戦後は,共産主義者の台頭を恐れるイタリア資本主義の政治的拠点となり,「反共」を強く打出すにいたった。 45年デ・ガスペリが内閣首班となって以降,常にイタリアの指導的政党の座を守り続けているが,圧倒的多数を獲得することはできず,連立内閣を組織せざるをえない状態が続いた。そのため共産党や左派社会党など左翼勢力との緊張関係から政治路線上のぶれが激しく,このような動揺は 60年のネオ・ファシスタとの連立内閣組閣とそれに対する左翼の大反撃,その反動としての 62年の中道左派路線の提起などに端的に現された。なお党内左派は傘下の労働者組織である CISL (イタリア労働者組合連盟) に依拠している。 76年の総選挙ではユーロコミュニズム歴史的妥協路線をとる共産党 (現左翼民主党 ) の勢力伸長と比べられ注目されたが,かろうじて 38.7%の勢力で第1党を守った。その後も党勢に変動こそあれ,連合政治の中心的勢力としてイタリアの政党政治を支えてきたが,92年の総選挙では上院下院ともに大後退した。特に下院での後退は著しく,得票率わずか 29%と戦後最低記録となった。 94年1月,汚職事件などで失墜したイメージ回復をねらい,党名を元のイタリア人民党に戻したが,右派の一部はキリスト教民主センターを結成,党は分裂した。 

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