改訂新版 世界大百科事典 「クシュ王国」の意味・わかりやすい解説
クシュ王国 (クシュおうこく)
ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。こうしてエジプトの第25王朝,いわゆるエチオピア王朝(前751-前656)が始まる。ピアンキは北は地中海岸から南は現在のウガンダ国境まで,東はエチオピア国境まで支配したが,それはアフリカ大陸の4分の1に及ぶ広さであった。前7世紀前半のタハルカ王,タヌトアメン王の時代に,2度にわたりアッシリアの攻撃を受けてナパタに退き,本来の領土を守った。王や王妃はナパタの近くに葬られ,対岸のジェベル・バルカルには多くの神殿がつくられて,宗教の中心として栄えた。
前6世紀の中ごろ,クシュKushは首都をアトバラ川とナイル川の合流点近くのメロエに移し,非常に繁栄した。この遷都の理由としては,メロエが雨に恵まれていたこと,アトバラ川による隊商ルートに沿っていたこと,鉄鉱石や燃料の樹木があって鉄の溶鉱と鉄器製作を行うことができたこと,などがあげられる。メロエ王朝時代の遺跡には,王宮のあった首都の跡,ピラミッド,神殿,浴場,貯水池などがあるが,一部を除き未発掘でまだ200以上もの遺跡が埋もれている。おもな遺跡はナカ,ムサワラット・エス・スフラ,ワド・ベン・ナカ,ウンム・ウスダ,バサなどで,多くはエジプト様式の建造物に浮彫や絵画で種々の神や,クシュとその敵との戦いなどが表されている。メロエ独自の神としてアペデマク神がいるが,これはエジプトでもナパタでも知られていないライオン神で,インド由来の神である。ナカにはキオスクと名づけられる小神殿があるが,この神殿は,アフリカ大陸で最も南にあるローマ様式の建築として注目される。また,クシュ人は初めエジプトのヒエログリフを用いたが,後にそれを少しずつ変えて,彼ら自身の言葉に適応させるようになり,やがて自らの文字を発明した。それは草書体のメロエ文字であるが,解読されていない。
クシュは4世紀中ごろ,エチオピアのアクスム王国に滅ぼされた。クシュ王家の人たちはスーダン中部のコルドファンや西部のダルフールに逃げのびた。
執筆者:木村 重信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報