イラク共和国のカルバラー州にある古都。人口3万。アラビア語で〈円い砂丘〉を意味するが,正しくはナバタイ語で〈赤い砂〉の意。バスラに次ぐイスラム第2の軍営都市(ミスル)で,639年ウマル1世の命でサード・ブン・アビー・ワッカースが現在のクーファに近いユーフラテス川西岸に建設。正統カリフ・ウマイヤ朝時代は,イラク北部やアゼルバイジャンなど北方地域の征服の基地として発展し,またイラクの政治・文化的中心としても,バスラとしのぎを削った。第4代カリフ,アリーの首都であったため,元来シーア派的傾向をもち,反ウマイヤ朝運動の牙城でもあった。アッバース朝の創建時,バグダードが建設されるまで,同朝の首都であったが,しだいに衰退した。しかし,バスラとともにアラビア語文法学,コーラン学,伝承学,法学,史学などの栄えた学問の町として,古典イスラム文化の形成に貢献した。アラビア文字のクーフィー体は当市に由来する。
執筆者:花田 宇秋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イラク中部、カルバラー州にある町。アラビア語で「円い砂丘」を意味する。639年、第2代カリフであるウマル1世の命によりイラク総督サード・ブン・アビー・ワッカースが、ユーフラテス川西岸、現在のクーファ近郊に建設し、イスラム第二の軍事都市であった。正統カリフ時代、ウマイヤ朝時代は、北東地域へのイスラムの拡大の軍事基地として、またバスラとともにイラクの政治、経済、文化的中心都市として栄えた。第4代カリフ、アリーの牙城(がじょう)であったため、シーア派の反ウマイヤ朝運動の根拠地でもあった。アッバース朝に入り、首都バグダードが建設されると、政治的、経済的重要性が失われたが、イスラム諸学の中心地としてバスラと覇を競った。
[花田宇秋]
イラクのバグダード南方,ナジャフ近郊の都市。バスラと並ぶ軍営都市であり,大征服に参加したアラブ戦士の駐屯地として638年頃建造された。アリーとその家系の支持者が多く,アリー死後はシーア派の中心地として数多くの反乱の舞台となった。バグダードからの巡礼の中継基地としても著名である。12世紀頃から荒廃を始めた。
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