グエルチーノ

百科事典マイペディアの解説

グエルチーノ

イタリアの画家。本名ジョバンニ・フランチェスコ・バルビエリGiovanni Francesco Barbieri。1610年ボローニャに出てカラッチを知りその影響を受けたが,のちカラバッジョ風の明暗の強い,量感に満ちた作風に変わり,《アウロラ》を含むカジノ・ルドビシの壁画(1621年―1623年)などすぐれた作品を描いた。のちグイド・レーニの影響を受けて色彩,形体とも温和な作風に移る。

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世界大百科事典 第2版の解説

グエルチーノ【Guercino】

1591‐1666
イタリアの画家。本名バルビエリGiovanni Francesco Barbieri。ボローニャ北方のチェントCento出身。ルドビコ・カラッチの影響下に激しい動感と劇的明暗対比,豊かな色彩表現を特色とする大胆な様式を発展させる。1621‐23年にはローマで盛期バロック様式の形成に寄与するが,帰郷後はより抑制された作風に向かう。レーニの没後(1642),ボローニャに移って指導的存在となった。【高橋 裕子】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

グエルチーノ
ぐえるちーの
Guercino
(1591―1666)

イタリアの画家。本名ジョバンニ・フランチェスコ・バルビエリGiovanni Francesco Barbieri。通称グエルチーノは「やぶにらみ」の意。フェッラーラ近郊チェントの生まれ。最初同地の師に学ぶが、初期の作品には北イタリアおよびベネチアの影響がみられ、ロドビコ・カラッチの作品に感化を受ける。1616年生地の聖アゴスティーノ聖堂の祭壇画『聖母子と四聖人』を制作して以後、イタリア各地で祭壇画制作に携わる。21年ボローニャ出身の教皇グレゴリウス15世就任を機にローマに赴き、その庇護(ひご)のもと『聖女ペトロニッラ』(ローマ、カピトリーノ美術館)、ルドビージ家別荘の天井画『アウローラ』を制作したが、23年教皇死去に伴い帰郷。42年ボローニャ派の指導者グイド・レーニ亡きあとのボローニャに移り住み同派を率いる。晩年はレーニの作風の影響を受け、古典主義的な枠内にとどまった。[三好 徹]

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世界大百科事典内のグエルチーノの言及

【ボローニャ派】より

…彼らの様式は,盛期ルネサンスの規範と自然観察の融合によるマニエリスムの超克をめざしたカラッチ一族の方向を継ぐものであるが,カラッチ一族のそれぞれに認められる個性の差は,これに師事した画家たちの資質の差により増幅され,ドメニキーノの厳格な古典主義とランフランコの動的でイリュージョニスティックなバロック様式を両極とする多様な傾向に分化した。古典的調和,抒情性,繊細な色彩性を特色とするレーニは,1614年以後郷里で支配的存在となり,アカデミアの弟子ではないがルドビコ・カラッチの影響下に様式を形成したグエルチーノは,大胆な仰視遠近法による天井画をローマに導入した。このようにボローニャ派はバロックと古典主義の双方への展開をはらんでいたが,後世においては肯定するにせよ否定するにせよ,アカデミックな古典主義の側面のみが強調されたきらいがある。…

※「グエルチーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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