ドイツの技術者。活版印刷術の創始者といわれる。この時代、活版印刷術に関しては、彼とその協力者をはじめ、ほかにも発明者といえる人がおり、その優先権は今日なお論議の種になっている。とはいえ、彼が発明者の栄誉を受けるに足る有力者の一人であることに間違いはない。
グーテンベルクは、マインツの富裕な家庭に生まれた。1434年ころシュトラスブルクに移住し、活字印刷機の作製を試み、ドリツェーンA. Dryzehn(?―1438)とともに活版印刷の企業化をもくろんだが、この協力者の死で頓挫(とんざ)した。1445年ころ、マインツに戻ったグーテンベルクは印刷技術を完成、この町の金細工師フストJohann Fust(?―1466)の出資を得て、フストの養子シェッファーPeter Schöffer(1430?―1502)とともに印刷所を設立した。シェッファーは、従来の木や金属でつくった活字のかわりに、パンチを打ち込んで母型をつくり、それから鋳型をつくって、これに金属を流し込んで活字を製作した、といわれている。こうしてつくられる活字をグーテンベルクとシェッファーは、もっとも有効に利用しようとした。そのために、活字が擦り切れるまで繰り返し使えること、個々の文字は最初に念入りに下図をつくれば補充が容易で安価ですむこと、各活字の大きさと型とを厳密に標準化して自由に差し替えられるようにすること、を重視した。なお、活字の材料となった合金は、少量の蒼鉛(そうえん)(ビスマス)を含むスズ(錫)を基礎にしたものであったと考えられる。また印刷用インキは、当時すでに油煙または木炭粉末を沸騰したあまに油といっしょに練ってつくられていた。
グーテンベルクが印刷したものとしては『四十二行聖書』(1452年から1456年に印刷されたと考えられる)、『三十六行聖書』(印刷時期不詳)などがあり、免罪符などの印刷も行った。ところで、1455年にフストが印刷事業から手を引いたため印刷所は破産し、グーテンベルクは負債の代償に印刷所をフストに譲り渡した。その後フンマーK. Hummerの財政援助を受けて機械の改良に努めた。1460年以後は盲目のために仕事を放棄した。しかし、マインツの大司教から恩給を与えられ、安定した晩年を送った。マインツにあるグーテンベルク博物館(1900年開館)には、グーテンベルクが印刷した活版印刷本や印刷機、世界各国の印刷物が展示されている。
[平田 寛]
『C・シンガー他編、田中実訳編『技術の歴史6』(1978・筑摩書房)』▽『マリー・ゲクラー著、浅田清節訳『印刷の父ヨハン・グーテンベルク』(1994・印刷学会出版部)』▽『マイケル・ポラード著、松村佐知子訳『伝記世界を変えた人々15 グーテンベルク』(1994・偕成社)』▽『戸叶勝也著『グーテンベルク』(1997・清水書院)』▽『高宮利行著『グーテンベルクの謎 活字メディアの誕生とその後』(1998・岩波書店)』
ドイツの経営経済学者。1921年ハレ大学で博士号を、28年ミュンスター大学で教授資格をそれぞれ取得。経営監査士として実業界で活躍したのち、38年からクラウスタール鉱山大学、40年からイエナ大学、47年からフランクフルト大学の各教授を歴任。51年、ドイツ経営経済学の重鎮シュマーレンバハの後任としてケルン大学教授となり、66年定年退職した。59年(昭和34)訪日。彼は主著『経営経済学原理』(第1巻「生産編」1951、第2巻「販売編」1955、第3巻「財務編」1969)によって経営経済学に近代経済学の成果を大幅に導入し、第二次世界大戦後のドイツ経営学に新風を吹き込んだ。また理論学派を復興して、当時優勢であった技術論派との間に3次にわたる大論争を展開し、第一人者としての地位を不動のものとした。その学風は、理論学派としての性格を保ちつつも、経営管理の問題を十分に取り入れ、実践理論としてもドイツでは類をみない高水準のものとなっている。日本の学界へも大きな影響を与えた。
[森本三男]
『溝口一雄他訳『経営経済学原理』全3巻(1957~77・千倉書房)』▽『万仲脩一著『グーテンベルク学派の経営経済学』(1983・千倉書房)』
アメリカの地震学者、地球物理学者。ドイツのダルムシュタットの生まれ。ゲッティンゲン大学のウィーヘルトのもとで学び学位を得る。地球の核の大きさの正確な決定(1913)、マントル低速度層の推定(1926)など、地震学的手法による地球内部構造の研究を行った。1929年アメリカへ移り、翌年カリフォルニア工科大学の地球物理学教授。1936年に帰化。リヒターCharles Francis Richter(1900―1985)の定義した地震のマグニチュードの拡張とその地震学における意義の確立に努力し、1949年には彼との共著になる名著『地球の地震活動』を発表した。ほかに主著として『地球内部の物理学』(1959)がある。
[吉井敏尅]
活字鋳造・活版印刷術の発明者。ドイツ,マインツの生れ。父は同地の高級官吏フリーレ・ゲンスフライシュFriele Gensfleischで,本名はJohannes Gensfleisch zur Laden。グーテンベルクは母方の姓による通称。その生涯は今日なお不明の点が多く,生年には1394-1402年の幅で諸説がある。ここではマインツ市グーテンベルク博物館(1900創建,62再建)の説を採る。一般に印刷術と火薬と羅針盤は世界の秩序を変えたルネサンス期の三大発明とされるが,ライン川とマイン川の合流点に近い中世以来の文化都市・商業都市マインツは,ヨーロッパにおける印刷術発祥地であり,この地で書物の機械的製作という新技術の先頭に立ったのが,グーテンベルクである。当時の手引き印刷機を復元した博物館蔵木製プレスは,再度日本に搬送され,実演もされた。1434年から44年までストラスブールで文字の機械的再生について考案を重ね,再びマインツに戻ったグーテンベルクは,書物をたやすく安くつくる,つまり1冊の本をつくるのと同じ時間で数百の本をつくるという着想を,印刷機のかたちで実現させた。可動式の金属活字として,鉛,スズ,アンチモン,少量のビスマスの合金を溶かしたものが,鋼鉄製の字母に鋳込んでつくられ,これを良質の印刷インキと紙と羊皮紙など(パーチメントあるいはベラム)と,たくみに組み合わせ,55年に四十二行聖書と呼ばれる美しいラテン語聖書の機械的印刷が完成した。当初に出版されたのは200冊ほどでグーテンベルク聖書とも呼ばれる。それはゴシック書体の傑作であるうえ,いずれの点からみても非のうちどころのない活版印刷最初の本であり,人はその語間から発する精神に,読む以前すでに打たれたという。しかし各種の実験に財産全部を使いはたし,マインツの資産家フストJohannes Fust(?-1466)から借入した資本金を返済できず,グーテンベルクは訴訟でその提携を解消された。55年11月以後,事業はフストの手に移り,グーテンベルクの弟子シェファーPeter Schöffer(?-1503)とフストの共同で聖書の出版はつづけられた。貧困と人々の忘却のなかで亡くなったが,彼の発明した技術は急速に全ヨーロッパに広まり,宗教改革や科学革命を促した。なお,西洋式活版印刷の発明については,1423年オランダのL.J.コステルとする説,イタリア説,チェコ説などがある。
執筆者:飯田 賢一
ドイツの経営経済学者。ウェストファーレン州ヘルフォルトに生まれる。フランクフルト大学卒業後,実業界生活を経て学問の世界に入り,イェーナ大学,ゲーテ大学などを経て,1951年シュマーレンバハの後継者としてケルン大学に迎えられた。代表的著作の《経営経済学原理》全3巻(1951-69)は,生産過程の把握に重点を置き,経営過程を基本的要素(労働給付,経営手段,材料)と派生的要素(営業指導と経営指導)の最終過程に分け,要素投入と要素収益との生産性関係が,狭義には生産理論と原価理論の基礎をなし,広義には企業活動すべてに中心的意義をもつとした。また本書は数式展開が多く,1950年代に大方法論争の引金にもなった。とくに経営経済学における没価値性,数学的方法の利用,国民経済学に対する経営経済学の関係などがその論争の的となった。メレロビッツとの間の激しい費用論争,方法論争は有名である。本書出版後,彼の理論を出発点として多くの研究論文が発表され,生産・投資計画などの研究へと拡大されていった。
執筆者:辻村 宏和
アメリカの地震学者。ドイツのダルムシュタットに生まれ,ゲッティンゲン大学に学び,J.E.ウィーヒェルトの創立にかかるゲッティンゲン大学地球物理学教室へ入った。1914年地球の中心部にある核の大きさを半径3500kmと決定した。そのころストラスブールの大学へ就職したが,第1次大戦後はフランクフルト・アム・マインの大学の教授となった。30年アメリカのカリフォルニア州パサデナへ移り,カリフォルニア工科大学教授となる。36年アメリカに帰化。パサデナの地震研究所で研究を進め,47年所長。1930年代にはC.F.リヒターとともに地震のマグニチュードを定義し地震学に大きな進歩をもたらした。45年には《地球の地震活動度Seismicity of the Earth》という本を著し,この中で有名なマグニチュード別の地震の頻度の式を与えた。59年《地球内部の物理学Physics of the Earth's Interior》を出版し,永年にわたる地球内部構造の研究をまとめた。
執筆者:藤井 陽一郎
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1400頃~68
活版印刷術の発明者。ドイツのマインツに生まれ,シュトラスブルク(ストラスブール)で印刷術を研究,1440年頃一応完成。48年マインツに帰って印刷業開業。『42行聖書』(『グーテンベルク聖書』55年頃)などを印刷したが,事業は困難続きで生活も困窮,晩年マインツ大司教の保護を受けた。
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… こうした論争を通じて,(1)理論学派,(2)技術論学派,(3)規範論学派がそれぞれその時々の経営経済学の主流を形成してきた動きこそ,1920年代の産業合理化期,30~40年代のナチス期,第2次大戦後の西ドイツの〈経済の奇跡〉といわれる時期,70年代のオイル・ショック,公害,エコロジー運動の時期にあっても,企業の在り方をめぐりつねに問われてきた問題点であった。(1)理論学派はM.R.ワイヤーマン,H.シェーニッツ,W.リーガー,E.グーテンベルク,H.アルバハらにその系譜をみるが,彼らに共通の主張は,経営経済学が資本主義的企業の本質とその因果法則の解明に主眼をおき,現実の企業との間に一定の距離を保ちながら,理論科学であることに力点をおいたことである。(2)技術論学派は簿記,会計学にたけた初期の研究者,さらにE.シュマーレンバハ,F.ライトナー,K.メレロビッツ,E.ハイネンらにその流れを求めることができるが,この学派は経営経済学が経営者に企業の健全性,存続のための処方箋を示すことにあるとシュマーレンバハが指摘したように,実践的・応用的側面を強調するものであった。…
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[活版印刷の誕生]
ヨーロッパに活字印刷(活版印刷)が始まったのは15世紀半ばであるが,その最初の考案者が誰であったかについては異説がある。その中で有力なのはオランダ人コステルJ.Costerとドイツ人グーテンベルクJ.Gutenbergをあげる説である。主としてオランダ人学者の説によると,コステルはすでに1423年ごろ活字印刷術を発明しており,グーテンベルクはその技術を盗んだというが,明確な点はまだ確かめられていない。…
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[活版印刷の誕生]
ヨーロッパに活字印刷(活版印刷)が始まったのは15世紀半ばであるが,その最初の考案者が誰であったかについては異説がある。その中で有力なのはオランダ人コステルJ.Costerとドイツ人グーテンベルクJ.Gutenbergをあげる説である。主としてオランダ人学者の説によると,コステルはすでに1423年ごろ活字印刷術を発明しており,グーテンベルクはその技術を盗んだというが,明確な点はまだ確かめられていない。…
…このほかのまったく新しい考えによるものにインキジェットプリンター(インキジェット印刷)などのノンインパクトプリンターがある。
[印刷機の歴史]
ドイツのJ.グーテンベルクが活版印刷術を発明したとき(15世紀中ごろ)使用した印刷機は,ブドウをしぼるために用いた圧搾器を利用したものであった。機械というにはあまりに簡単な装置であるが,現在の印刷機の原点として評価される。…
… やがて活版印刷術が開発され,新しい時代を迎える。15世紀,ドイツのマインツでヨハン・グーテンベルクの発明した活版印刷術が急速にヨーロッパの各地に広まるにつれ,著作物に関して財産的な権利を認める思想が芽生えてくる。もっとも,当初は,聖書や古典の印刷がふつうであったから,著作物または著作者ではなくて,むしろ出版者を保護するものであった。…
…メディウムの類語には〈記号のりものsign‐vehicle〉がある。 メディウムの大量生産は,15世紀半ばグーテンベルクによる(異説もある)印刷術の発明で可能になった。すなわち雑誌や新聞,パンフレットなどの印刷物が,最初のマス・メディアである。…
…しかし,これらの施設はあくまでも一部のエリートのための〈ラテン語教育〉の機関であって,民衆レベルでの読み書きそろばんの普及に貢献するものではなかった。また,15世紀中葉J.グーテンベルクによって金属活字印刷術が発明され,ヨーロッパの各地に続々と印刷工房が生まれたが,手写本と比較してはるかに安価に製作された印刷本にしても,当初は教会や学者・学生を対象にしたもので,その大半は民衆の日常生活とは無縁のラテン語書で占められていた。ラテン語教育
[16~18世紀]
民衆の読み書きそろばんの歴史において著しく貢献したのは,宗教改革以後のプロテスタント教会とカトリック教会である。…
※「グーテンベルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新