コハク(英語表記)amber

翻訳|amber

改訂新版 世界大百科事典 「コハク」の意味・わかりやすい解説

コハク (琥珀)
amber

新生代の第三紀の松柏科植物(マツ,スギ,ヒノキなど)の樹脂が,地中で化石化したもの。成分はC40H64O4コハク酸などの樹脂酸を含む非晶質の有機化合物である。色は黄色ないし褐色で,ときに白あるいは赤みを帯びるものもある。透明ないし半透明で,樹脂光沢を帯びる。摩擦すると静電気を帯びる性質がある。樹脂が固まる前に封じ込められた昆虫や植物が見られることもあり,珍重される。硬度は2~2.5で,耐久性は低いが,美しさと希少性のために古くから宝石として愛好されてきた。比重は1.03~1.10のため,濃い塩水には浮く。主要産地は旧ソ連のバルト海沿岸地区で,産地の鉱山で採掘されたものはピット・アンバーと呼ばれる。バルト海沿岸海底から流出し海水で運ばれてデンマークユトランド半島,スウェーデン,ノルウェーやイギリスの海岸にまで打ち上げられたものはシー・アンバーと呼ばれる。その他ミャンマー,インド,ルーマニアドミニカなどでも産する。熱すると150℃で軟化し,250~300℃で溶解するので,小片材料を加熱圧縮成形した再生コハク(アンブロイドambroid)が代用品として普及している。
執筆者: ヨーロッパでは,コハクは新石器時代以来,〈琥珀の道〉と呼ばれる交易路を通じて全ヨーロッパに広がった。その一つはドイツ中部を縦断し,ブレンナー峠を越えてアドリア海北部に達し,さらにギリシア,クレタへ至る道であり,もう一つはドイツからブルターニュ,イギリスへ向かう道である。その結果,イギリス,ドイツ,ミュケナイで発見されるコハクのペンダントなどには非常に似通ったものがある。

 日本では,石川・長野・岐阜・福島・茨城・千葉県から産出する。漢代の中国では中心的な軟玉に対し脇役的な小玉として使用され,後代にもほぼ同じ傾向をたどる。日本では縄文時代から用いられたが,古墳時代には棗(なつめ)玉や勾玉に加工され,とくに後期に発達した。7世紀の奈良県御坊山古墳からは重さ約420gに復元される枕形のコハク製品が発見されており,当時の倭国から中国の隋朝へ大型コハクを貢納したという記録とよく一致している。
執筆者:

前600年ごろ,コハクの電気を帯びやすい特性を発見したのはタレスであった。コハクをギリシア語でエレクトロンēlektronというが,これが電気の語源であることはいうまでもない。古代の中国人は,虎が死ぬと精魄が地に入り,化してコハクになると考えた。大プリニウスの意見(《博物誌》第37巻)では,排出されたオオヤマネコの尿が凝固し結晶して,リュンクリウムlyncuriumあるいは黄コハクと呼ばれる石になるという。もっとも,このリュンクリウムは黄コハクとは関係がなく,青や緑や赤の燃えるような色を呈するケイ酸塩鉱物の一種,トルマリン(電気石)だという説もある。

 ギリシア神話では,太陽の黄金の二輪車を走らせているうち,誤って軌道を踏みはずし,転落して死んだファエトンの姉妹たち(太陽神ヘリオスの娘たち)が,ファエトンの死を嘆き悲しんでポプラの樹と化し,彼女たちの涙が太陽の光で乾かされ,河底に沈んでコハクになったという。ギリシア人がコハクをエレクトロン(〈太陽の石〉の意)と呼んだのは,この神話と関係があるかもしれない。同じような神話には,メレアグロスの死を嘆いて,アルテミスにホロホロチョウに変えられた彼の姉妹たちの涙が,やはりコハクになったというのがある。また別の伝承では,アポロンがオリュンポス山を追放されてヒュペルボレオイの地へ行ったとき,コハクの涙をこぼしたともいう。さらに北欧神話を見ると,女神フレイヤが英雄スウィプダグを探しているとき,女神の涙がコハクに変わったというエピソードがある。

 いずれにせよコハクが涙として表現されているところを見ると,古代人はこれが樹脂だということを早くから知っていたにちがいあるまい。その点では中国人も同様で,〈樹脂土中に千年を経てコハクとなる〉などといわれているくらいである。大プリニウスによれば,〈黄コハクが最初は液体状の浸出物だったことは明らかだ。というのは,それが透き通っていて,その中にある種の生きもの,たとえばアリとかハムシとかトカゲとかいった生きものの見えることがあるからだ。これらの生きものが,ねばねばした物質にとらえられ,物質が凝固するとともに,その内部に閉じこめられたのであることは申すまでもない〉といっている。また,木内石亭の《雲根志》には,〈蟻,蜂多し。蛙等の大虫のものまれなり〉などとある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコハクの言及

【交易】より

…特定の個人あるいは集団の間で価値あるものを互恵的に交換する体系のこと。交易は大別して,貿易など経済上の生活必需物資の交換(この場合には市場の形成に関連する)と儀礼的に交換する場合とに類別できようが,前者は貨幣を媒介とする商業的レベルで,また,後者は直接的な物々交換に重点を置いて行われることが多い。したがって,経済的交易は貨幣経済の発展を前提とした交易であるのに対し,儀礼的交易は物品に対する等価意識や呪術的認識が前提となる。…

【ヒュペルボレオイ】より

…ギリシア伝説で,篤(あつ)くアポロンを崇拝する〈極北人〉。北風(ボレアスBoreas)のかなた(ヒュペルhyper)の四時光明に輝く国で至福の生を送っていると考えられた。前5世紀の歴史家ヘロドトスがアポロン誕生の聖地デロス島の住民の話として伝えるところによれば,かつてヒュペルボレオイは2人の乙女にアポロンへの供物を持たせてデロス島へ送り出したが,乙女たちが帰国しなかったため,以後は麦わらに包んだ供物を国境まで運んで隣国人に渡し,それをまた次の隣国人に転送してくれるようにと頼んだ。…

【ファエトン】より

…ギリシア神話で,太陽神ヘリオスの子。その名は〈輝く者〉の意。成人してはじめて会った父神に,どんな願いもかなえてやるといわれた彼は,1日だけの約束で父の馬車を借りて大空に乗り出したが,荒馬を御すすべを知らなかったため,軌道を踏み外した火炎の車があやうく地を焼き払いそうになったとき,ゼウスの雷霆によってエリダノス川へ撃ち落とされた。このとき河畔に集まった彼の姉妹たちのヘリアデスHēliades(太陽神の娘たち)は,その死を悼んで嘆き続けるうちにポプラの木と化し,彼女たちの涙は凝固して琥珀(こはく)になったという。…

【道】より

…主として経済上の目的と軍事上の目的のために建設され,名誉ある者ならだれでも自由に通行できた。すでにローマ時代にゲルマニアの森や湿地帯を貫いてバルト海や北海と北イタリアを結んでいた〈琥珀の道〉には,コハク(琥珀)の産地であるプロイセンのザムラントから船でワイクセル(ビスワ)河口に運ばれたコハクを南のブレスラウを経て,メーレンを通り,ドナウ川を下ってウィーンの近くまで運び,そこからさらに北イタリアに運ぶ街道と並んでいくつかのルートがあった。塩や銅やワインを運ぶ道も遠く離れた各地域をつないでいたし,ローマ時代にすでにバーゼル~シュトラスブール~ケルン~ライデンへとライン川沿いの道がつくられていた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」