デジタル大辞泉
「サンスーシ宮殿」の意味・読み・例文・類語
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サンスーシ‐きゅうでん【サンスーシ宮殿】
- ( サンスーシは Sanssouci フランス語で「憂いなし」の意 ) ドイツ、ポツダム市にある宮殿。フリードリヒ大王の原案で一七四五~四七年に建築。南面して東西に長い一階建てで、庭園は次々に低くなる六段のテラスに続く。ドイツのロココ建築の代表的作品とされる。無憂宮。
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百科事典マイペディア
「サンスーシ宮殿」の意味・わかりやすい解説
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サンスーシ宮殿 (サンスーシきゅうでん)
Sanssouci
ポツダムにあるドイツの代表的なロココ宮殿。〈サンスーシ〉はフランス語で〈気苦労なし〉の意で,フリードリヒ2世(大王)が命名した。大王自らの構想に基づき,クノーベルスドルフが設計した別荘建築である。1745-47年建設。楕円形の広間を中心に左右対称に翼を伸ばした平屋建てのこの宮殿外観は,男女の人像柱で飾られ,内部はロココ装飾で満ちている。ブドウ園の丘陵上に設けられていて,広大な庭園をもち,自然と融合する珠玉の建築となった。大王はここに学者や芸術家を招き,宮殿内には〈ボルテールの間〉もある。
執筆者:杉本 俊多
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サンスーシきゅうでん【サンスーシ宮殿】
ドイツ北東部の首都ベルリン(Berlin)の南西約30km、ブランデンブルク州の州都ポツダム(Potsdam)市街の西に広がる、広大なサンスーシ公園の北東部に建つロココ様式の宮殿。大王と形容されるプロイセンのフリードリヒ2世(1712~1786年)が夏の離宮として自ら設計し、クノーバルスドルフがその設計をもとに1745年に建設に着手し、わずか2年後の1747年に完成させた。1階建てで、部屋数も12室という小さな宮殿であるが、フリードリヒ2世はここを離宮ではなく居城として利用した。中央に「楕円の間」、両端に「円形の間」があるほか、西に大きな風車小屋がある庭園がある。◇「サンスーシ」は「憂いがない」という意味のフランス語。このため、日本では「無憂宮」と翻訳された。
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サンスーシ宮殿
サンスーシきゅうでん
Schloss Sanssouci
ドイツ,ベルリン南西郊外,ポツダムの丘上にあるプロシアのフリードリヒ2世の夏の離宮。フランス語で「無憂」を意味するサンスーシは王みずからの命名で,王自身のスケッチに基づき,宮廷建築家 G.クノーベルスドルフが 1745~47年に設計,死後 (1753) J.ボウマンが完成させた。1階建て室数 12で居住性を重視した趣豊かな小宮殿で,フランス・ロココの優雅さとドイツ・ロココの奔放さをみごとに調和させたいわゆるプロイセン・ロココ建築の傑作。 1990年周辺の宮殿,庭園とともに世界遺産の文化遺産に登録。
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世界遺産情報
「サンスーシ宮殿」の解説
サンスーシ宮殿
ポツダムにあるサンスーシ宮殿は、プロイセン国王のフリードリヒ2世が1745〜47年に建てたロココ様式の宮殿です。当初は夏の離宮として建てられたものの結果的にはここが居城となりました。フリードリヒ2世の好みを反映した平屋建てのこじんまりとした建物ですが、音楽室だけは不釣合いなほど豪華に造られています。文化や芸術を愛したフリードリヒ2世はここで音楽会などを催しました。サンスーシとはフランス語で「憂いなし」の意味で、静養に訪れたフリードリヒ2世の心境が表現されているかのようです。
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サンスーシ宮殿(サンスーシきゅうでん)
Sanssouci
ベルリン郊外のポツダムに1745~47年,フリードリヒ2世の命により建造されたロココ風の華麗な宮殿。王は好んでここに滞在し,政務のかたわら学者や芸術家との交遊を楽しんだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
サンスーシ宮殿
サンスーシきゅうでん
Sans-Souci
プロイセンのフリードリヒ2世が1745〜47年に造営したロココ様式の宮殿
学者や文人が多く招かれ,18世紀の文化の一つの中心となった。七年戦争で破壊され,1763〜69年に再建。ベルリン西郊のポツダムにある。
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世界大百科事典(旧版)内のサンスーシ宮殿の言及
【宮殿】より
…ベルサイユ宮殿はたちまちにしてヨーロッパ各国の宮殿のモデルとなり,ウィーン郊外のシェーンブルン宮殿(1696‐1713)やペテルブルグ郊外のペテルゴーフ宮殿(現,ペトロドボレツ宮殿。1745‐53),ポツダムのサンスーシ宮殿(1745‐47)などが相次いで造営される。広大な庭園をもち,国政の支配階級,官僚,外交団を集めたこれらの宮殿は,まさに世界の中心をなす小宇宙的存在であった。…
【フリードリヒ[2世]】より
…戦勝により豊かなシュレジエン地方を併合した王は,重商主義政策で国力の充実を図る一方,信教の自由の容認や学校教育の改善などに啓蒙君主としての面目を発揮した。ベルリン近郊ポツダムにロココ風の[サンスーシ宮殿]を築かせてここに住み,早朝から政務室に入って国務の万般をみずから決定・指導したこの独裁的君主も,夜は著名な文人や芸術家を集めて,機知に富む社交のひとときを楽しむ〈哲人王〉となった。1750年からおよそ3年間,フランスの啓蒙思想家[ボルテール]が,王の賓客としてこの宮殿に滞在している。…
※「サンスーシ宮殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」