イタリア中部,トスカナ地方のシエナを中心に,13世紀後半から16世紀にかけて展開した一画派。フィレンツェ派が遠近法や解剖学を駆使して造形的で現実感のある合理的な絵画を創始したのに対し,情緒性,装飾性を主体とする洗練された感性的な美を求めた。シエナ派絵画の淵源は,この地域のベネディクト会修道院で数多く作られたミニアチュールにあり,そこからこの派を特徴づける豊かで優美な色彩と,このうえなく洗練された技法への嗜好が生まれた。13世紀にはすでにグイード・ダ・シエナGuido da Sienaのような画家が現れるが,真にこの派の基礎を確立したのは,ジョットと同時代のドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャが登場してからである。彼は東方のビザンティン美術と北方のゴシック美術を摂取・融合して,繊細な形態を線のリズムが包む甘美で抒情的な画風をつくり上げ,さらに弟子のシモーネ・マルティーニが,よりソフトで優雅な装飾性の濃い絵画へと発展させた。この時期のシエナ派絵画は,フィレンツェ派と並んで,イタリア各地に強い影響を及ぼした。シモーネにつづいてメンミLippo Memmi(1317-46活動),ロレンツェッティ兄弟(ピエトロおよびアンブロージョ)が現れ,ピエトロはよりドラマティックな表現を得意とし,逆にアンブロージョの華やかな色彩と繊細な感覚とが,14世紀末から開花する国際ゴシック様式への道を準備する。15世紀のシエナ派は前世紀ほどの隆盛と影響力を見せなかったが,のちにフィレンツェで活躍するL.モナコは敬虔で魅力ある宗教画を描き,サセッタ,ジョバンニ・ディ・パオロ,サーノ・ディ・ピエトロSano di Pietro(1406-81)らは流行の国際ゴシック様式に,シュルレアリスムを想起させる幻想的な雰囲気を添えた。16世紀初頭には,ロンバルディア出身のソドマがシエナに定住し,レオナルド・ダ・ビンチ風の様式を紹介する一方,盛期ルネサンスからマニエリスムへの過渡期を示す作品を残した。ベッカフーミはシエナ派伝統の明るく鮮やかな色彩に,強い明暗効果を加味して,幻想的・瞑想的な非現実世界を創出し,マニエリスムの先駆者の一人としてシエナ派最後の光彩を放っている。
執筆者:生田 圓
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中部イタリア、トスカナ地方の町シエナに輩出した画家の一派。13世紀末から14世紀前半にかけてのイタリア絵画の揺籃(ようらん)期に、ジョットを中心とするフィレンツェ派とともに、イタリア絵画、ひいてはヨーロッパ絵画の形成に大きな役割を果たした。その基礎を築いたのはドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャである。彼はビザンティン風の絵画を洗練し、ジョットの現実感にあふれた力強い表現とは対照的な、優美さや装飾性と人間味がよく調和した繊細な画風を確立した。ドゥッチョの弟子であるシモーネ・マルティーニがこの画風を受け継ぎ、フランス・ゴシック美術の影響のもとに、さらにいっそう洗練の度を加えた。過敏なまでに繊細で、夢幻的な美しさをもったシモーネの芸術において、シエナ派絵画は頂点に達したといえる。彼はジョットとともに、真にイタリア的、ヨーロッパ的画家で、広範な影響を及ぼした。次に重要な画家は、ピエトロとアンブロジオのロレンツェッティ兄弟である。それぞれに個性的な2人は、フィレンツェ派の成果をもよく消化し、ジョットの死後、フィレンツェ派とシエナ派をつなぐ役割を果たすかに思われたが、1348年のペストがその望みを断ってしまった。14世紀には、これら4人の画家の影響のもとにシエナ派は黄金時代を現出し、多くの画家がシエナで活躍した。バルナ・ダ・シエナやバルトロ・ディ・フレディがその代表である。
15世紀に入ると、もはや先取的な役割を果たす画家は出なくなるが、サセッタやジョバンニ・ディ・パオロ、サーノ・ディ・ピエトロ、マッテオ・ディ・ジョバンニ、ネロッチョ・ディ・バルトロメオら独特の幻想性と宗教性をもった、魅力ある画家たちが活躍した。さらに16世紀になると、北イタリア生まれのソドマと、その影響を受けたドメニコ・ベッカフーミが出ている。
[石鍋真澄]
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… 国際的交流は,1320年代すでにジョットにはじまるイタリア絵画の革新の影響として,空間の存在を暗示する立体感や遠近感表現の画面への導入や,感情表現に示される人間解釈の深化がアルプス以北の作品に散見されることから立証されているが,14世紀中葉,教皇の都アビニョンと皇帝の都プラハでの造営事業を通じて本格化する。アビニョンに集まった工人の出身地は多彩であるが,S.マルティーニ,ジョバネッティMatteo Giovanetti(生没年不詳)などシエナ派の画家が招かれ教皇庁壁画,祭壇画,写本挿絵制作などに活躍し,アビニョンを中継地としてシエナ派の影響が国際的に波及した。プラハでもカール4世が,地元のみならずフランス,ドイツ,イタリアから工人を招き,大聖堂やカールシュタイン城を造営した。…
…ジョットはアッシジ,パドバ,フィレンツェ(サンタ・クローチェ教会)の壁画において,このような現実感のこもった劇的な宗教芸術を実現したのであった。フィレンツェのジョットとその門人たちの活動に対し,ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ,マルティーニおよびロレンツェッティ兄弟らのシエナ派の活動もめざましかった。ドゥッチョらはビザンティン絵画の伝統をおしすすめ,精巧な技巧をもって,現実感に裏づけられた中世宗教画の美を発揮する。…
…生没年不詳。S.マルティーニ,ロレンツェッティ兄弟ら14世紀のシエナ派の画家たちや,フィレンツェ派にも影響を及ぼしたシエナ派絵画の確立者。初期の大作《ルチェライの聖母》(1285委嘱)では,ビザンティン様式を基礎としながらも,ジョットほど革新的ではないが聖母子像に新しい生命力と人間性とを吹き込んでいる。…
…シエナ生れ。シエナ派の祖ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャに師事し,同派の最も重要な画家となった。師の流麗な線と華麗な色彩感をいっそう発展させ,純化された描線と洗練の極に達した色彩をその様式の特質とする。…
※「シエナ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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