翻訳|cyclohexane
6員環の炭化水素。常温で無色の可燃性液体。融点6.47℃,沸点80.74℃。エチルアルコール,エーテルに可溶,水に不溶。石油のナフサ留分に数%程度含まれる。ふつうはベンゼンの水素添加によって合成する。最大の用途はナイロンの原料であるが,溶剤としての用途も広い。
シクロヘキサンの6個の炭素原子は同一平面上にはなく,結合角はすべて正四面体角(109.5度)にほぼ等しい。最も安定な配座はいす形配座であり,常温ではシクロヘキサン分子のほとんどがこの配座として存在している。いす形のいくつかのC-C結合を同時に回転すると,アキシアル結合(環の面から上下に出ている結合。軸結合)とエカトリアル結合(環の面から横向きに出ている結合。赤道結合)がそれぞれエカトリアル結合,アキシアル結合に変わった第2のいす形に変化する。この変化は環の反転とよばれ,舟形配座を経由する(図)。舟形配座はいす形配座よりも約6kcal/mol不安定である。環の反転の遷移状態は,いす形から舟形へ変化する途中にあり,そのエネルギーはいす形よりも約10.5kcal/mol高い。
執筆者:小川 桂一郎
当初シクロヘキサンは平面構造をとると考えられていた。これは広く認められたJ.F.W.A.vonバイヤーの張力説の基本的前提でもあった。もし平面構造でなければ,シクロヘキサンの一置換体,たとえばシクロヘキサンカルボン酸にはいくつかの立体異性体が考えられた。しかし,実際にはただ一つしか見いだされなかったので,平面構造を認めざるをえなかった。だが同じころザックスUlrich Sachse(1854-1911)は各炭素原子の正四正面体構造を保ちながら,ひずみのない非平面構造が可能であることを提案していた。彼が提案した構造は,今日のいす形および舟形シクロヘキサンに対応する。置換体の異性体数の問題は,異性体間の速い平衡で説明できるとザックスは考えた。その後もシクロヘキサンの非平面構造はモールE.W.M.Mohr(1879-1926)によって主張されたが,当時の実験技術では速い平衡にある異性体を独立に観測することができず,そのため張力説をくつがえすことはできなかった。モールはシクロヘキサン2分子が融合したデカリンでは,環の平面構造を仮定すれば1種,非平面構造を仮定すれば2種の異性体があると考えた。この予測は1925年ヒュッケルWalter Karl Friedrich Hückel(1895-1973)によるデカリン異性体の合成によって確かめられた。モールの予想した2種のデカリンの構造はヒュッケルが実際に合成したものとは異なっていたが,平面構造説をくつがえすには十分であった。シクロヘキサン自身の構造に関する証明は,主として分光学的手法によってなされた。ハッセルOdd Hassell(1897-1981)は電子線回折によってシクロヘキサンのいす形構造を証明した。同じころピッツァーKenneth Sanborn Pitzer(1914- )も熱的測定によって同一の結論を得た。置換シクロヘキサンの異性体数の問題も環の速い反転平衡によって説明された。反転によって環はいす形からもう一つのいす形に変化するが,エカトリアルの異性体が著しく安定であるため,室温では一種の異性体しか観測できないが,低温では確かに2種の異性体が観測できることも確認された。同じころバートンDerek Harold Richard Barton(1918- )はステロイド異性体の示す反応の速度や立体化学の相違は,シクロヘキサンのいす形構造を導入すれば説明できることを明らかにした。シクロヘキサンの理論および実験化学の発展によって配座解析は化学の重要な一分野となった。その功により1969年ハッセルとバートンにノーベル化学賞が与えられた。
執筆者:竹内 敬人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
もっとも代表的なシクロアルカンの一つ。ヘキサメチレン、ヘキサヒドロベンゼンともよばれる。無色可燃性の液体。ベンジンのにおいをもつ。ナフサ中のメチルペンタンを異性化させると生成する。高純度のシクロヘキサンはニッケルを触媒として高温・加圧下、ベンゼンを水素添加して製造する。シクロヘキサンの構造は平面正六角形でなく、炭素間の結合角のひずみ、ねじれのひずみ、水素間のファン・デル・ワールス力によるひずみの総計が最小である椅子(いす)形配座をとる。シクロヘキサンを液相空気酸化すると、シクロヘキサノールとシクロヘキサノンが生成する。またシクロヘキサン中で塩化ニトロシルを光照射すると、シクロヘキサノンのオキシムが生ずる。これからカプロラクタムを導きナイロンが製造される。シクロヘキサンの工業的用途の9割までがナイロンの製造にあてられる。ほかに油脂抽出、樹脂、塗料など溶媒としての用途がある。
[向井利夫]
シクロヘキサン
分子式 C6H12
分子量 84.2
融点 6.47℃
沸点 80.74℃
比重 0.7791(測定温度20℃)
屈折率 (n)1.42623
hexamethylene.C6H12(84.16).脂環式炭化水素の代表的なもので,ガソリン中に少量含まれている.ベンゼン,シクロヘキサジエン,シクロヘキセンなどを還元すると得られる.ベンゼンのような臭気をもつ液体.融点6.5 ℃,沸点81 ℃.0.7791.1.4290.燃焼熱4163 kJ mol-1.結合角にひずみのない形としていす形と舟形が考えられるが,非結合原子間相互作用により,二つの形には約29 kJ mol-1 の自由エネルギー差がある.このほかに舟形よりも6.7 kJ mol-1 安定なねじれ舟形が存在するが,室温ではほとんどすべていす形で存在する.金属触媒存在下で空気酸化すると,シクロヘキサノンとシクロヘキサノールを生成する.ナイロンの製造原料,溶剤として使われる.[CAS 110-82-7]
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ファント・ホフが予想できなかった単結合のまわりの束縛回転の結果生じる立体異性(アトロプ異性)は,1920年代の初めにケナーらによって見いだされた。単結合のまわりの自由回転の問題は,その後水島三一郎(1899‐1983),ピッツァーKenneth Sanborn Pitzer(1919‐ )らによって物理化学的な側面からも追求され,エタン誘導体だけではなくシクロヘキサン環の立体化学に深いかかわりがあることがわかってきた。J.F.W.A.vonバイヤーは張力説(1885)をたて,シクロヘキサンを平面分子と考えていた。…
※「シクロヘキサン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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