ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュラフタ」の意味・わかりやすい解説
シュラフタ
szlachta
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ポーランドの貴族身分。なかでも,同国の歴史で圧倒的な役割を果たした,村の一部から十数カ村を領有する中流領主層をさす。身分としてのシュラフタは,13~15世紀に事実上の貴族や戦士(騎士),君主の上層奉公人などの雑多な階層を同一の権利と義務のもとに包含する形で成立した。元来門閥貴族と騎士の間には「騎士の権利」と呼ばれる共通の法が存在したが,13世紀半ば以降インムニテート特権が徐々に普及し,両階層ともに土地領主になりうる道が開けたことがその一因であった。貴族人口の多さ(16世紀で全人口の5~6%)も作用して,特権をさらに拡大し,16世紀には賦役農奴制にもとづく商品生産用の直営農場で経済基盤を強化,政治的には国王選挙制と強力な議会とに基礎を置くシュラフタ共和政を完成させ,また,リトアニアやウクライナの領主層のポーランド化を促した。19世紀の独立運動も主導した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
14世紀ごろポーランドで騎士階級から派生した特権的身分。シュラフタは国家の防衛義務を負ったが、ヤギェウォ朝時代に、納税免除、個人と財産の不可侵権、立法権、国王選挙権、リベルム・ベト、連盟結成権などを獲得。中央議会や地方議会を基盤にシュラフタ民主制を確立し、王権をしのぐ絶大な政治勢力となった。それぞれのシュラフタは、法的には平等であったが、16世紀以降、大領主化したマグナート(大貴族)、直営農場所有の中流シュラフタ、自営農地所有シュラフタ、無産シュラフタに階層分化を遂げた。ポーランド分割後、シュラフタは独立運動の主体となって活躍したが、同時に各分割領では特権が制限され、没落するものもあった。1921年の憲法でシュラフタ身分は完全に廃止された。
[安部一郎]
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…16世紀後半から18世紀前半にポーランド貴族(シュラフタ)のあいだで支配的であった伝統主義的な政治意識,社会意識,生活態度,文化的嗜好などの総称。18世紀後半に啓蒙主義者がシュラフタの伝統主義を批判してこの言葉を使った。…
…ハンガリー史ではラヨシュLajos大王。カジミエシュ大王の甥)とともにリトアニア遠征の途上にあったカジミエシュ3世がルブリン郊外の戦陣で病に倒れたとき,騎士動員をうけて従軍していたシュラフタは子どものないカジミエシュ3世のあとルドビクがポーランド王位に就くのを認める決議をしている。このときはカジミエシュ3世が病気から回復して決議は実行されなかったが,〈戦陣セイム〉の慣行はチェルビンスクの特権(1422)やニェシャワの特権(1454)獲得の際にも登場している。…
※「シュラフタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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