ジンバブエ

精選版 日本国語大辞典 「ジンバブエ」の意味・読み・例文・類語

ジンバブエ

(Zimbabwe)
[一] アフリカ大陸南部の内陸にある共和国。一九二三年イギリス連邦の自治植民地、五三年ローデシアニアサランド連邦の一部となり、連邦解体後、八〇年四月に独立。タバコトウモロコシ、クロム、ニッケルなどを産する。首都ハラーレ(旧称ソールスベリー)。旧称南ローデシア
[二] ジンバブエ共和国南部にある遺跡。一二~一五世紀ごろ、モノモタバ王国が建設した石造建築群。

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百科事典マイペディア 「ジンバブエ」の意味・わかりやすい解説

ジンバブエ

◎正式名称−ジンバブエ共和国Republic of Zimbabwe。◎面積−39万757km2。◎人口−1306万人(2012)。◎首都−ハラレHarare(149万人,2012)。◎住民−ショナ人70%,ヌデベレ人20%,ヨーロッパ人など。◎宗教−キリスト教,民族固有の宗教。◎言語−英語(公用語)のほか,ショナ語,ヌデベレ語などのバントゥー諸語。◎通貨−複数外貨制を導入(米ドル,南アフリカのランドなど)。◎元首−大統領,ムガベRobert Gabriel Mugabe(1924年生れ,1980年3月―1980年12月首相,1987年12月就任,2013年7月6選,任期5年)。◎憲法−1980年4月発効,1987年8月改正(白人特別議席を廃止)。◎国会−二院制。上院(定員93,うち民選60),下院(定員210),いずれも任期5年。最近の選挙は2013年7月。◎GDP−50億ドル(2006)。◎1人当りGNP−340ドル(2005)。◎農林・漁業就業者比率−60.9%(2003)。◎平均寿命−男58.8歳,女60.8歳(2013)。◎乳児死亡率−51‰(2010)。◎識字率−91.9%(2009)。    *    *アフリカ南部の内陸にある共和国。旧称ローデシア。南ア共和国,ボツワナザンビアモザンビークに囲まれる。国土の大部分が標高500〜1000mの高原で,東部にイニャンガニ山(2595m)がある。北部国境を流れるザンベジ川カリバ・ダムがあり,南部国境をリンポポ川が流れる。気候は熱帯性であるが高地ではしのぎやすい。金,アスベスト,石炭,クロム,銅などの鉱産に恵まれ,タバコ,食品加工,金属,繊維などの工業が発達する。農産物ではタバコが最も重要で,茶,トウモロコシ,ジャガイモ,綿花などの産も多い。牛・羊の畜産もある。 古くはジンバブエ遺跡が知られるが,19世紀後半に欧州人の侵略が始まり,1889年セシルローズがイギリス南アフリカ会社を創立,統治権を確立した。のちローズにちなんでローデシアと命名された。1911年北ローデシア(ザンビア)と分離,1923年英自治領南ローデシアとなった。1953年北ローデシア,ニヤサランドマラウイ)とともに連邦を形成したが,1963年に連邦は解体した。1965年少数白人のローデシア戦線が英国から一方的独立を宣言して以来,混乱と内戦が続いた。1979年〈黒人多数支配下の独立〉で合意が成立,1980年2月独立総選挙でムガベの率いるジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)が圧勝,4月独立した。1987年の憲法改正によって,国会での白人特別議席が廃止され,ムガベが実権のある大統領職についた。2003年12月イギリス連邦首脳会議が,白人農地を強制的に接収する土地改革に基づいた強権政治に対して,ジンバブエの加盟資格停止処分の継続を決定したため,ムガベ大統領はイギリス連邦からの脱退を通告した。
→関連項目アフリカカブウェグウェルショナズールーズールー語チムレンガヌデベレハギンズムタレモノモタパ王国レッシングローデシア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジンバブエ」の意味・わかりやすい解説

ジンバブエ
Zimbabwe

正式名称 ジンバブエ共和国 Republic of Zimbabwe。
面積 39万757km2
人口 1398万2000(2021推計)。
首都 ハラレ

アフリカ南東部の内陸国。旧称ローデシア Rhodesia。北はザンビア,東はモザンビーク,南は南アフリカ共和国,西はボツワナと国境を接する。国土の大部分は標高 500~1500mのサバナの高原。北西部をザンベジ川,南部をリンポポ川で画され,その支流やサビ川が主要河川。ザンベジ川上流には,ザンビアにまたがる世界有数の人造湖カリバ湖やビクトリア瀑布がある。高地にあるため年平均気温は 15℃前後でしのぎやすい。古くから人類が住み,13~15世紀にジンバブエを首都とするアフリカ人の強国が栄え,金,象牙の貿易が行なわれていたが,15世紀後半に滅亡(→ジンバブエ遺跡)。1855年デービッド・リビングストンがビクトリア瀑布を発見,以後イギリス人が進出し,マタベレランドの王ロベングラとイギリスとの間に鉱業権を中心とした条約が結ばれ,1890年セシル・ローズのイギリス南アフリカ会社の支配下となった。イギリス保護領を経て 1923年南ローデシア自治植民地(ローズの名にちなんで命名)となり,1953年北ローデシア(のちのザンビア),ニアサランド(のちのマラウイ)とともにローデシア=ニアサランド連邦を結成。1964年のザンビアの独立に伴い翌 1965年に少数の白人政権が一方的に独立を宣言,国名をローデシアとした。さらに 1970年共和国移行を宣言したが,イギリスをはじめ国際的に承認されなかった。その後も人口の 5%に満たない白人が政治,経済を支配し,人種差別が著しかったが,黒人組織によるゲリラ戦の末,1980年4月に行なわれた総選挙で黒人組織の愛国戦線が圧勝,白人支配を排してジンバブエ共和国として独立した(→ローデシア問題)。鉱産資源が豊富で,金,ダイヤモンド,アスベスト,銅,石炭,クロム,ニッケルなどを産出。タバコ,トウモロコシ,サトウキビ,チャ(茶),ワタなどの栽培が盛んなほか,食品,繊維などの工業も発達。独立以来長期政権の座にあるロバート・ムガベ大統領は 1990年代から白人が所有する農地の接収を進め,経済の混乱を引き起こした。住民の約 9割がショナ族ンデベレ族などのバンツー語系(→バンツー語系諸族)で,宗教は民族固有の原始宗教,キリスト教など。公用語は英語のほか,諸部族の言語など 16言語が指定されている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ジンバブエ」の解説

ジンバブエ
Zimbabwe

中世の巨大石造建築遺跡で有名な,南部アフリカの内陸国。首都ハラーレ
【中世ジンバブエ】ジンバブエとはショナ語で「石の家」を意味する。ザンベジ・リンポポ川流域では700年ころから社会が形成され,のち集権的国家(900〜1250 (ごろ) )に発展。9世紀以後,高度の文明が存在し,インド産のガラス玉や中国製の陶器が出土して,インド洋交易の波及が確認されている。1075年ころからジンバブエ伝統の元祖とされる国家マプングブエが成立し,1250年ころから都市グレート−ジンバブエで巨大な石の壁建設が始まる。15世紀にその最盛期を迎えるが,商業ルートの変化や人口集中による環境破壊などが要因とされ,15世紀半ば,高原地帯北東部にモノモタパ(ムタパ)王国,高原地帯西部にトルワ国が生まれた。石壁建築の伝統を継承するこれらの国に繁栄を奪われ,グレート−ジンバブエは1500年ころ没落した。その後,草原地帯でトルワ国が繁栄するいっぽう,モノモタパ王国は新たに進出してきたポルトガルと抗争するなか,徐々に衰退して18世紀初めにはザンベジ川谷に遷都した。
【近代と独立】1850年代にイギリス人リヴィングストンの探検が行われ,のちにセシル=ローズによって開発が進められ,89年イギリス南アフリカ会社の支配下に置かれた。1923年南ローデシア自治政府が設立され自治植民地となった。1953年北ローデシア(現ザンビア),ニヤサランド(現マラウイ)とともに中央アフリカ連邦を結成(1963年解体)。1965年,南ローデシアの白人スミス政権がアパルトヘイト維持のため,イギリスの承認をへず一方的に独立を宣言。1972年ころからジンバブエ−アフリカ人民同盟(ZAPU)とジンバブエ−アフリカ民族同盟(ZANU)の両組織がゲリラ戦を開始。1976年両組織を中心にジンバブエ解放戦線が結成され,80年4月,アフリカ人主権国家ジンバブエとして独立。ZANUのムガベ議長が首相に選出され(1987年から大統領に就任),非同盟主義のもと社会主義路線を採択した。1988年にZAPUがZANUに吸収されて事実上1党支配が確立された。その後,南アフリカ共和国でのアパルトヘイトの終焉とマンデラ政権誕生で,1994年南アフリカ共和国と国交を樹立。また,国際的な冷戦体制の崩壊後,経済開発推進のため,欧米諸国との関係強化につとめている。1996年ムガベ大統領が3選された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジンバブエ」の解説

ジンバブエ
Zimbabwe

南部アフリカの共和国,旧南ローデシア(ローデシア)。首都ハラレ(旧ソールズベリー)。ショナ人,ンデベレ人などが住む。1889年発足したイギリス南アフリカ会社の植民活動の結果,南ア白人社会の北端として発展。だが1923年南アフリカ連邦と別個のイギリス自治領になる。63年ローデシア‐ニヤサランド連邦(53年発足)が解体すると,65年白人入植者は,黒人支配を嫌って本国からの独立を一方的に宣言,国際世論の非難を浴びた。アフリカ人民族運動が先鋭化し,ザンビアモザンビークを基地として武力闘争が展開された。79年イギリスの介入で停戦,妥協が成立,80年全人種参加の選挙をへて,独立と黒人多数派政権が実現された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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