精選版 日本国語大辞典 「スーラ」の意味・読み・例文・類語
スーラ
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新印象主義を代表するフランスの画家。12月2日パリの富裕な家庭に生まれる。1875年に彫刻家ジュスタン・ルキアンについて素描を学ぶ。3年後エコール・デ・ボザールに入学、アングルの弟子アンリ・レーマンの指導を受けるが、翌79年に退学。1年間兵役としてブレストで過ごしたのち、パリに戻って素描に励み、ミレーを思わせる人物像や風景などを、滑らかな画肌をもった薄明のなかに描き出す。同時に、学生時代から関心を抱いていた色彩学の研究に熱中し、シュブルール、シャルル・ブラン、オグデン・ルードなどの光と色彩に関する科学的著作を熟読、また、ドラクロワの日記や作品を研究し、その色彩の対比や補色の使用を解明するノートを作成する。こうした色彩分析の成果は最初の大作『アニエールの水浴』において示された。この絵は84年に設立されたアンデパンダン展に出品され、これを機にシニャックと親交を結んだ。シニャックの示唆によりあらゆる土色の色調をパレットから排除し、さらにシステマティックな点描法を発展させて、これまで追求してきた光学的処方の全面的な実践である大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を86年の最後の印象派展に出品した。これはシニャックやピサロらの作品とともに新印象主義の誕生を宣言するものであった。さらに彼は色彩理論に加えて構図に対しても科学的なアプローチを試みた。『サーカスの客寄せ』や『シャユ踊り』などの作品のなかには、色彩のみならず線や運動の表現的可能性を探究したシャルル・アンリの実験心理学や生理学の理論の反映が認められる。急性のジフテリアにより91年3月29日、大作『サーカス』を未完のまま31歳でパリに没した。
[大森達次]
『ピエール・クルティヨン著、池上忠治訳『スーラ』(1969・美術出版社)』▽『乾由明著『新潮美術文庫32 スーラ』(1974・新潮社)』▽『ルイ・オートクール著、黒江光彦訳『印象派の巨匠たち10 スーラ』(1976・小学館)』
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…日本では,〈後期印象派〉という訳語はすでに大正期にみられたが,適切とは言えず,〈印象派以後〉と理解すべきものである。展覧会の出品作家は,マネを特例として,ゴーギャン,セザンヌ,ゴッホ,ルドン,ナビ派(ドニ,セリュジエ),新印象主義の画家たち(スーラ,シニャック,クロスHenri‐Edmond Cross),フォービスムの画家たち(マティス,マルケ,ブラマンク,ドランら)といった,印象主義から出発し,それをこえようとした雑多な画家たちであり,そこには表現主義的な傾向が顕著とはいうものの,格別の枠組みがあるわけでもなく,〈Post‐Impressionists〉は,フライ自身も言うとおり,あくまでも便宜的な呼称にすぎなかった。この呼称が主として英語圏でしか用いられないのはこのためである。…
…フランスで19世紀末,1880年代前半から90年代にかけて,まずスーラ,ついでシニャックを中心に展開された絵画運動。〈新印象主義〉という呼称は,象徴主義的美術批評家フェネオンFélix Fénéonによる。…
※「スーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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