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ダイアー ダイアー Dyer, Sir Edward

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダイアー
ダイアー
Dyer, Sir Edward

[生]1543.10. サマセット
[没]1607.5. ロンドン
イギリスの詩人,作曲家。エリザベス1世の宮廷に仕え,1596年ナイトに叙せられた。 P.シドニーや E.スペンサーの友人。名作『わが心は王国に等しい』 My mind to me kingdom isで知られる。

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ダイアー
ダイアー
Dyer, George

[生]1755.3.15. ロンドン
[没]1841.3.2. ロンドン
イギリスの著述家。ラムの『エリア随筆』後集の一編「友人蘇生」にその風変わりな人柄が活写されている。著書『ケンブリッジ大学と学寮の歴史』 History of the University and Colleges of Cambridge (1814) など。

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ダイアー
ダイアー
Dyer, Sir James

[生]1512. ラウンドヒル
[没]1582.3.24. グレートストートン
イギリスの司法官オックスフォード大学卒業,1547年に上級法廷弁護士となり,52年にナイト爵を受けた。 56年より民事訴訟裁判官,59~82年同首席裁判長をつとめ,初めて判例主義を採用した。

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ダイアー
ダイアー
Dyer, John

[生]1699
[没]1758
イギリスの詩人。ウェールズに生れ,現実の風景を婉曲的な修辞法で描写し,哲学的瞑想に昇華させるウェルギリウス風の詩を得意とした。主作品『グロンガー丘陵』 Grongar Hill (1726) ,『ローマの廃虚』 The Ruins of Rome (40) ,『羊毛』 The Fleece (57) 。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ダイアー Dyer, Henry

1848-1918 イギリスの工学者。
1848年8月16日生まれ。明治6年(1873)工部省の教師としてまねかれ来日,工学寮(のち工部大学校)の初代都検(教頭)となる。土木や機械工学をおしえ,日本の工学教育の確立,工業指導者の養成につくした。明治15年帰国。1918年9月4日死去。70歳。スコットランド出身。グラスゴー大卒。著作に「大日本」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

ダイアー

没年:1918.9.4(1918.9.4)
生年:1848.8.16
明治期に来日したお雇い外国人。イギリス人工学者。日本の工業教育の創始に貢献した。スコットランドのグラスゴー郊外ボスウェルに職工の子として生まれ,ショッツ鉄工所付属学校に学んだのち,グラスゴーに出て徒弟奉公に入り,アンダーソンズ・カレッジの夜学に学んだ。さらにグラスゴー大学に進学し,近代工学の父と称されるランキン教授の愛弟子として優秀な成績をおさめ,ランキンの推薦により24歳の若さで工部省工学寮の都検(教頭)として,明治6(1873)年6月に来日した。 工部大学校(東大)においては,当時におけるヨーロッパ大陸の学理重視の学校制度とイギリスに伝統的な実地重視の教育方式を組み合わせた,世界にも類例のない工業教育の制度を創り,明治の工業界をになう実学人材を育てた。工部大学校は当時の在留外国人の間でDyer’s Collegeと通称され,イギリス本国にはlmperial College of Engineering,Tokeiとして紹介され,注目を集めた。また土木学,機械学の授業を担当し,田辺朔郎など多くの門弟を育てた。 15年にグラスゴー大学教授に応募するため帰国したが,2回の教授選考に失敗したため,その後はアンダーソンズ・カレッジなど在地の教育機関を集めてグラスゴー・西スコットランド技術カレッジ(ストラスクライド大学)の創設に寄与し,日本における教育実験の成果を還元させた。グラスゴー市教育委員会の委員長を務めるなどして教育改革に従事したほか,社会改革家としても活躍。晩年に著述した2冊の日本研究書《Dai Nippon》(1904)と《Japan in World Politics》(1909)は,ともに実証性の高い本格的な日本研究書であって,日本の国家進化を高く評価した。日本で翻訳された『産業進化論』など多数の著書や論説がある。<参考文献>三好信浩『ダイアーの日本』,北政巳『国際日本を拓いた人々』

(三好信浩)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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