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チムー文化 チムーぶんかChimú culture

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チムー文化
チムーぶんか
Chimú culture

11~15世紀にペルー北部の海岸地帯を中心に成立したチムー王国の文化。アンデス文明の後古典期に属する。強力な中央集権的国家組織を反映して,巨大な神殿,宮殿を中心とした都市が各地に建設された。また金,銀,銅,青銅などの金属工芸品,特に黄金の杯や容器,儀礼用の飾刀,胸飾りなどが多量に生産された。その他織物の技術も著しい発達をみせ,浮織紗織も現れている。それに比べ土器モチーカ文化の伝統をくんではいるが,一般に単調な色彩と規格化された形態で,個性の乏しいものとなっている。

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百科事典マイペディアの解説

チムー文化【チムーぶんか】

南米,ペルー北部の太平洋沿岸に栄えた文化。広大な版図をもつチムー王国を形成していたとみられる。古いモチカ文化と直前に栄えたワリ文化を受け継いで独自の文化を形成。
→関連項目アンデス文明

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世界大百科事典 第2版の解説

チムーぶんか【チムー文化】

ペルー北部海岸の都市トルヒーヨの近郊にあるチャンチャンChan Chanを中心とする文化。インカ帝国に征服される(1400年代)直前には北はトゥンベスから,南は現在のリマの付近まで,約1200kmにおよぶ海岸地帯を支配し,ランバイェケ谷,パカスマヨ谷などに複数の地方政治センターをもち,南は文化の違うチャンカイをも含む広大な版図をもつチムーChimú王国を形成していたといわれる。その成立に関しては,王国を築いた人々が南からバルサ筏でやってきたという伝説などがわずかに伝えられるが,ほとんど何もわかっていないし,考古学的にも証明されてはいない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チムー文化
ちむーぶんか
Chim

ペルー北海岸の、モチェ、チカマ、ランバイェッケ、ヘケテペケの谷を中心に栄えた先(プレ)インカ期文化。伝説によれば、紀元12世紀ごろ、海から筏(いかだ)でやってきた征服者がランバイェッケの王朝を創設し、のちモチェにも新王朝が誕生した。そして14世紀に後者が前者を征服し、チャンチャンを首都として、北はチラ川から南はスペに至る広域を支配する王国を建設した、という。集落としては、チャンチャンのほか、エル・プルガトリオ、パカトナムーなど大規模なものが多く、またクンブレの大運河、砂漠を貫く道路などの土木工事の跡も残っている。土器は、還元炎で焼き、磨き上げられた黒色の象形壺(つぼ)によって代表されるが、赤色のものもある。器型は鐙型(あぶみがた)壺、双胴壺、人面象形壺、橋型注口壺などが主体であり、生活文化や動植物相が多彩に表現されている。型入れによる量産が行われ、前代のモチェ文化の土器に比して個性に乏しい。ただし、少数ではあるが、入念につくられ、王朝的な気品をたたえた作品もある。そのほか、木の儀仗(ぎじょう)、王族の木製の輿(こし)、容器、皿、儀礼用ナイフ(トゥミ)などの黄金製品、青銅の儀礼用具など注目すべき製品が多く残っている。チムー王国は、15世紀後半、クスコのインカ帝国によって征服されたが、その政治組織や技術は、インカ人に大きな刺激を与えたといわれている。[増田義郎]

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