オランダの画家。ズウォレ生まれ。初め画家であった同名の父(1584―1662)に学んだといわれ、1633~1635年ハーレムで風景画家モーレインPieter de Molijn(1595―1661)の弟子となる。イタリア、スペイン、フランドル、フランスを旅行後、アムステルダムで肖像画家として活躍。1646~1648年ミュンスターに滞在し、ウェストファリア条約会議の模様を『1648年ミュンスターでのスペインとオランダ間の平和条約の締結』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)に描いた。1654年デーフェンテルで結婚し市民権を得、12月8日同地に没。1660年以後は小形式の肖像画が多い。彼の絵は室内をモチーフにした風俗画が多く、人物の繊細な心理描写と材質感(とくに絹や繻子(しゅす))を強調する光の処理に特色がある。代表作に『父親の訓戒』(アムステルダム国立美術館、ベルリン絵画館に重作)、『手紙を書く女』(ハーグ、マウリツホイス美術館)がある。
[野村太郎]
オランダの画家。ズウォレに生まれ,すぐれた素描家であった父に学んだ後ハールレムでデ・モレインPieter de Molijnに師事。1630年代半ばから40年代にかけてイギリス,イタリア,スペイン,ドイツ等を遍歴。この間に独特の小画面の全身肖像を創始して名声を築き,スペイン王の肖像やミュンスターの和約を締結する代表国の集団肖像画等を描く。その後デルフトやライデンの画家たちに先んじて50年ころから上品で親密な室内風俗画に着手し,それまで粗野な農民や兵隊の生活を主たる題材としていた風俗画に新局面を開いて,17世紀後半のオランダを代表する風俗画家の一人となった。しかし54年の結婚以後没するまで故郷近くの地方都市デーフェンテルDeventerにとどまったため他の画家への直接的影響は多くない。繊細で洗練された趣をもつ彼の絵画は18世紀に非常な人気を博した。
執筆者:高橋 達史
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