日本大百科全書(ニッポニカ) 「オランダ美術」の意味・わかりやすい解説
オランダ美術
おらんだびじゅつ
現在のオランダの地域は、中世は9世紀以来種々の絵画が始まり、15~16世紀になるとヨーロッパ近世絵画の一大中心地を形づくるに至っていた。しかし、一般にオランダ独立以前はフランドル美術の名で総括しているので、ここでは17世紀初頭の独立以降の動きに限って述べる。
[嘉門安雄]
17~19世紀
1609年、事実上の独立を達成したオランダは、17世紀中期には商業・貿易の面で世界に君臨するに至った。そして、これと同時に美術の面でも独自の展開が始まった。建築では、前代のイタリア、スペインから移入されたルネサンス様式を一変させて古典主義になり、1630年以降にはオランダの古典主義様式が確立されて、ヤーコプ・ファン・カンペンJacob van Kampen(Campen)(1595―1657)設計のハーグのマウリッツ公邸宅マウリッツハイスMauritshuis(現在は同名の美術館)やアムステルダム市庁舎(現在の王宮)をはじめ多くの市庁舎が次々につくられている。
しかし、もっとも注目すべきは絵画の世界で、15世紀のファン・アイク兄弟による北方ルネサンスの開花以来、独自の素朴清新な写実絵画を生み出し、その伝統は絶えず受け継がれて、それが17世紀の国家的発展に際して、他の西欧諸国にはみられない風俗画、風景画を生み出す基になった。元来、人間中心主義であり、またモニュメンタルな意義を強調してきたヨーロッパ絵画では、市民の日常生活をありのままに描いた純粋な風俗画、あるいは自然そのものを描く純粋な風景画の発展する余地はほとんどなかった。しかし、活動的な市民階級の発生と商業力の発展による市民社会の充実は、写実主義の伝統をもつオランダに、日常生活や実際の風景を写した親しみやすい絵画を生み出した。風俗画にフランス・ハルス、ヤン・フェルメール、ヤン・ステーン、アドリエン・ブロウエル、ヘラルト・テルボルフ、ペーテル・ド・ホーホ、風景画にヤーコプ・ファン・ロイスダール、マインデルト・ホッベマ、パウルス・ポッター、ヤン・ファン・ホーイイエンらの名手が輩出したが、これらを超えてオランダ絵画史にそびえるのはレンブラントである。彼は光の画家、魂の画家として、ヨーロッパ絵画史上最大の巨匠の一人である。
こうして、17世紀のオランダ絵画は以後のヨーロッパ絵画に大きな影響を与え、19世紀フランスの自然主義、印象主義(印象派)の土台を形づくった。しかし、当のオランダの絵画自体は17世紀末から職人的技巧に堕して生気を失い、19世紀後半まで、逆にフランス絵画の亜流を呈していた。それがふたたび生気を取り戻すのは、初期印象派のヨーハン・バルトルト・ヨンキントやヨセフ・イスラエルスの出現によってであり、さらに炎の画家ゴッホ(フィンセント・ファン・ホッホ)の登場によって、近代オランダ絵画は世界的に大きな脚光を浴びた。
[嘉門安雄]
20世紀
第二次世界大戦まで
20世紀初頭、フランスに移住したキース・バン・ドンゲンや、表現主義的画家のヤン・スリューテルJan Sluijters(1881―1957)が祖国に紹介した同時代フランス美術は、若い作家に熱狂的に迎えられた。1910年前後には、スリューテルやレオ・ゲシュテルLeo Gestel(1881―1941)、ピエト・モンドリアンらがキュビスムや点描主義など同時代の芸術動向を吸収しながら「ルミニズムluminism」とよばれる光を重視した作品を制作していた。一方、ドイツ表現主義を広めたグループ「デ・プローグDe Ploeg」(鋤(すき))のフローニンゲンを本拠地とした活動もあった。しかしオランダの20世紀芸術が国際的な重要性を獲得するのは、普遍性と総合性を求める芸術運動の先駆的、代表的な存在であるデ・ステイルの登場を待たなければならない。1917年の春ライデンで発刊された「様式」を意味する雑誌『デ・ステイル』は、同名をもってよばれるグループの機関誌的役割を担っていた(1932終刊)。発足時のメンバーには、テオ・ファン・ドースブルフ、バルト・ファン・デル・レックBart van der Leck(1876―1958)、ジョルジュ・ファントンゲルローGeorges Vantongerloo(1886―1965)、そしてモンドリアンなどがいた。基本的にモンドリアンが唱える「新造形主義」を原理としていたデ・ステイルは、幾何学的抽象絵画のその後のあり方を決定づけたといえる。またデザインの領域においても、1920年ごろから1930年代までのオランダにおいて支配的傾向であった新即物主義やハーグ派を準備する役割を担った。しかし、やがて新造形主義を教条的だとする批判も生じ、1925年、モンドリアンはこの運動から身を引き、一方翌1926年、批判者ドースブルフは「エレメンタリズム」を提唱することになる。
デ・ステイルのメンバーでもあったヘリット・トーマス・リートフェルトによるユトレヒトのシュレーダー邸(1924)は、空間の自由で豊かな相互関与が新造形主義的なディテールの可動性によって可能となっており、20世紀住宅建築の代表作と目されている。建築ではほかに、ロマネスク建築の重量感とれんがの素材感を近代的合理主義によって翻案した、近代建築の先駆者ヘンドリック・ペトルス・ベルラーヘや、国際様式、機能主義の泰斗であると同時にベルラーヘの信奉者でもあったヤコブス・ヨハネス・ピーテル・アウトの存在が近代建築史を語るうえで欠かせない。またオランダ国内に多くの模倣者を生み出したビレム・マリナス・デュドックWillem Marinus Dudok(1884―1974)や、ベルラーヘを批判し表現主義的建築をつくったアムステルダム派、伝統主義的なデルフト派など見るべきものは多い。
[保坂健二朗]
第二次世界大戦以降
二度にわたる世界大戦の間は魔術的リアリズムやネオ・リアリズムが大勢であったが、第二次世界大戦後すぐにピエト・アウボルフPiet Ouborg(1893―1956)をメンバーの一人とするグループ「自由なイメージVrij Beelden」などが、実験性の強い芸術運動の流れを再興した。こうした動向のなかで1948年結成されたのが、デ・ステイルとは対極的な、感情を無媒介的に表出する芸術家のグループ「コブラ」である。結成自体はパリであるこのグループの名は、カレル・アペルやコルネイユCorneille(1922―2010)など、参加した各作家の生国の首都であるコペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字(Co、Br、A)から名づけられている。活動は約3年間と短命であったものの、第二次世界大戦後の抽象的かつ表現主義的な絵画や彫刻の先駆的役割を担った。
1960年代以降、ポップ・アート、コンセプチュアル・アート、ネオ・エクスプレッショニズム(新表現主義)など多様化をきわめる芸術の動向がみられたが、オランダもまたその例外ではなかった。そのなかで、第二次世界大戦の記憶を風景表現に表出するアルマンドArmando(1929―2018)や、身体のジェンダー性を描き問うマルレーネ・デュマスMarlene Dumas(1953― )の絵画が注目される。また写真では、ドキュメンタリー的なエド・ファン・エルスケン、巧みな配置で錯視をおこさせるヤン・ディベッツJan Dibbets(1941― )、身体・家族の社会性を顕示させるリネケ・ダイクストラRineke Dijkstra(1959― )など、立体表現ではカレル・フィッサーCarel Visser(1928―2015)やヘンク・フィッシュHenk Visch(1950― )などの評価が高い。またOMA(Office for Metropolitan Architecture)を主宰する建築家・都市計画家のレム・コールハースによるさまざまな提案、発言、実践は、建築の再定義を促し、国内外に多くの追随者を生み出した。
[保坂健二朗]
公的機関によるサポート
こうした創意的な芸術活動を支えているのが、人口約1500万人のこの国の各都市に存在する、けっして大規模ではない展示施設である。たとえばセントラル美術館(ユトレヒト)は、ウサギのキャラクター、ミッフィーのデザイナーであるディック・ブルーナDick Bruna(1927―2017)や、1990年代後半、ノーデザインを提唱し注目を集めたデザイナー組織「ドローク・デザインDroog Design」といった同時代のデザイン作品を積極的に収蔵している。また、1975年に設立された「デ・アペルDe Appel」(アムステルダム)のような組織などは、コレクションをもたず、展覧会を同時代作家の芸術活動のサポートの一環として行っている。オランダ建築研究所(NAi)があるロッテルダムや、視覚芸術センター「シュトゥルームStroom」があるハーグでは、現代建築や現代音楽、あるいはメディア・アートなど、最先端の動向を打ち出す展覧会が数多く行われている。公的機関が自由と創意を認め、それをサポートするこのような姿勢を、いかにもオランダ的だといったとしても間違いではないだろう。
[保坂健二朗]
『『原色世界の美術7 ベルギー・オランダ』(1983・小学館)』▽『『世界美術の旅7 ベルギー・オランダ物語』(1988・世界文化社)』▽『田島恭子・上田雅子・星和彦著『ヨーロッパの建築・インテリアガイド――歴史的建築物から美術館、ショップまで 上』(1991・ニューハウス出版)』▽『ウジェーヌ・フロマンタン著、鈴木祥史訳『昔日の巨匠たち ベルギーとオランダの絵画』(1993・法政大学出版局)』▽『J・J・P・アウト著、貞包博幸訳『オランダ建築』(1994・中央公論美術出版)』▽『『美術画報21 特集オランダ美術の400年』(1999・朝日アートコミュニケーション)』