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フランスの作曲家。パリに生まれる。フランクのもっとも傑出した弟子だが、85歳の長い人生のうち、作曲活動に専念したのは20歳から約15年間にすぎない。師フランク譲りの厳格な自己批判の精神により、多くの作品を破棄した。慢性神経衰弱のため、30代の後半以降、約半世紀にわたり悲劇的な闘病生活を送り、南フランスのモン・ド・マルサンに没した。彼の現存するわずか18曲の歌曲(メロディ)(ボードレール詩『旅へのいざない』、ルコント・ド・リール詩『フィディレ』を含む)は、いずれも珠玉の傑作として、フランス歌曲史上光を放っている。ほかに器楽曲が若干ある。なお、療養中にプーシキン原作のオペラ『ルサルカ』を10年間手がけたが、未完成のまま、楽譜は1895年に焼き捨てられた。
[船山信子]
フランスの作曲家。フランクにピアノと作曲を学ぶ。その音楽活動は,85年間の生涯のうち,最初の歌曲を書いた1868年から神経衰弱のため活動を放棄した85年までの十数年に限られている。ワーグナーに傾倒し,71年にはサン・サーンスを中心とした国民音楽協会の設立に参加。師フランクからは最も才能ある弟子と見なされていたが,数多くの作品を自ら破棄してしまったため,残された作品はきわめて少ない。高度な抒情性をそなえ,詩と音楽のまれな統一を実現しているその数少ない歌曲は,フォーレ,ドビュッシーへと受け継がれるフランス近代歌曲の歴史に確固とした足跡を残している。
執筆者:片山 千佳子
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…彼は自ら交響曲,協奏曲を書くとともに,声楽家R.ビュシーヌと語らって1871年〈国民音楽協会〉を設立,〈アルス・ガリカArs gallica(フランスの芸術)〉を旗印に掲げて多くの同志を集め,現存のフランス人作曲家による室内音楽と管弦楽曲の紹介に努めた。 国民音楽協会の主導権をサン・サーンスに代わってやがて握ったのが,フランクとその弟子たち(デュパルク,ショーソン,とりわけダンディ)である。フランクはJ.S.バッハと晩年のベートーベンから教訓を引き出した。…
※「デュパルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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