イタリアの物理学者、数学者。ボローニャの南にあるファエンツァに、織物職人の長男として生まれる。1625年から1年間、ファエンツァのイエズス会の学校で数学および哲学を学び、その後はローマでガリレイの弟子のカステリBenedetto Castelli(1577―1643)に師事し、彼の助手となった。1638年、ガリレイが『新科学対話』を出版すると、トリチェリも投射体の運動の問題についての研究を発表した。この著述がガリレイの目にとまり、1641年にフィレンツェへ招かれることになった。念願のガリレイとの共同研究は1642年のガリレイの死により数か月で終わった。以後、トリチェリはトスカナ大公付き数学者となり、39歳で没したが、フィレンツェでの6年間は彼にとってもっとも創造的な時期であった。
トリチェリの研究テーマは数学とりわけ幾何学(放物線やサイクロイドなど)に関するものが多く、これらは1644年『幾何学集』Opera geometrica(3巻)として出版された。
一方、トリチェリをもっとも有名にしたのは、彼の真空実験(トリチェリの実験)であった。1643年に同僚のビビアーニVincenzo Viviani(1622―1703)と共同で、水銀を満たしたガラス管(管の一端は閉じられている)を水銀容器中に立てることによって、閉管上部に真空をつくりだし、真空を認めないアリストテレス派の人々の見解を否定し、また「真空の怖(おそ)れ」説も修正した。さらに水銀が一定の高さで止まる理由を空気の重さのためであると予想し、「われわれはその成分が空気である海の底に沈んで生活している」と述べた。これらの説明はリッチMichelangelo Ricci(1619―1682)あての手紙を経由してフランスのパスカルに伝えられ、真空の存在や原因についての論争の出発点となった。もう一つの業績に「トリチェリの定理」の発見がある。これは流体動力学に関するもので、流速と加圧の高さに関する法則である。
[河村 豊]
イタリアの数学者,物理学者。ファエンツァの生れ。同地のイエズス会の学校で数学と哲学を学んだのちローマに出て,G.ガリレイの弟子であった数学者でかつ水力学の技術者であるカステリBenedetto Castelli(1578-1643)の書記になった。この間,ギリシアの古典幾何学と天文学を学び,コペルニクス説を支持すると同時に,ガリレイの《天文対話》のローマで最初の研究者となった。1641年10月からは,ガリレイの死ぬ42年1月まで,彼といっしょに研究に従事し,その後,フィレンツェのトスカナ大公フェルディナント2世に招かれて,数学者兼哲学者となって死ぬまでそこにいた。44年には,生存中に出されたたった一つの著書《幾何学的著作集》が出版されている。幾何学のほかにも,投射物体や流体の研究があるが,とくに有名なのは真空についての実験である。吸上げポンプ中でなぜ水が約9m以上昇らないのかという疑問に対し,ガリレイは,真空自身が物体の分離に抵抗する力をもつものとして,そのポンプ中の水柱の重さがちょうどその真空の抵抗力と等しいとし,それ以上高い水柱は自分の過分の重さのために切断してしまうのだと説明していた。一方,トリチェリは,水より重い液体,とくに水銀を使用して実験を行い,その現象が管外の空気の重さによって生ずるものだと確証し,逆さまに立てた水銀柱の上端に真空(トリチェリの真空という)ができることを明らかにした。この実験結果は,M.メルセンヌによってフランスにもたらされて,以後,パスカルらの真空実験を活発にするのだが,一般にはアリストテレス流の真空嫌悪説の流布のために認められなかった。水銀気圧計もトリチェリの発明とされる。なお,圧力の単位トル(Torr)は彼の名にちなむ。
→真空
執筆者:日野川 静枝
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…圧力を測ることは,歴史的には大気圧の科学的認識から始まった。1643年に行われたトリチェリE.Torricelliの真空実験である。この実験により,ガラス管内の水銀柱の重量とつり合っているのは大気の圧力であることが立証されたのであるが,当時すでにトリチェリやB.パスカルによって,大気圧が変動することや山の頂上では気圧が低くなることが観測された。…
…もともと,1世紀に活躍したアレクサンドリアのヘロンは,さまざまな気体機械装置を考案して,実際上真空(もしくは真空嫌悪という自然の習性)を利用していたが,17世紀に入ってまずガリレイは,自然がほんとうに真空を嫌悪するならば,なぜポンプの水は約10m以上は上がらないのかという疑問を立てた。ガリレイの晩年彼の秘書として働き,そのアイデアを受け継いだE.トリチェリは,ガリレイの死の翌年の1643年に,一方をふさいだガラス管に水銀を入れ,水銀槽の中に倒立させると,ほぼ76cmの高さに水銀柱が保たれること,また,ガラス管の上部には,何も存在しない部分ができること,さらに水銀柱の高さは日々かすかではあるが変化することなどを発見した。ガラス管の上部にできた空虚な部分を,真の〈真空〉とは認めず,そこには何らかの物質が存在し,あるいは何ものかが水銀柱をつり上げているという批判的解釈も多かったが,現在からみると,この部分こそ,人間が意図的に確認した最初の真空だったといえよう。…
…液体を入れた容器の壁に,容器の水平横断面に比べて小さな穴をあけたとき,その穴から流出する液体の速度を支配する法則。1644年E.トリチェリが提出したもので,液面と穴の高さの差をh,重力の加速度をgとすれば,流出速度vはで与えられる。これは質点がhの高さを降下するときに重力によって加速されて得る速度に等しい。…
※「トリチェリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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