ドルリュー(読み)どるりゅー(英語表記)Georges Delerue

日本大百科全書(ニッポニカ)「ドルリュー」の解説

ドルリュー
どるりゅー
Georges Delerue
(1925―1992)

フランスの映画音楽作曲家、指揮者、ピアニスト。ルーベー生まれ。とくに映画監督フランソワ・トリュフォーとのコンビで知られる、自称「映画に恋する作曲家」。労働者階級の両親をもち、幼いころからクラリネットをたしなむ。10歳の時にあった自動車事故がもとで脊柱側彎症(せきちゅうそくわんしょう)になるが、療養中に作曲家になることを決意。苦学の末、1945年にパリ音楽院に入学、ダリウス・ミヨーに作曲と指揮を師事。1947年ローマ大賞選外佳作、1949年同賞第2位を受賞。

 1949年にパリ音楽院を首席で卒業したが、舞台音楽の才能があることを見抜いたミヨーは劇作家ジャン・ビラールにドルリューを紹介、ドルリューはビラールと共同でアビニョン音楽祭のための舞台作品を手がけた。その後、1960年代なかばまでコメディ・フランセーズやシャンゼリゼ劇場を中心に舞台、バレエ音楽を数多く作曲、1957年には小説家ボリス・ビアンとオペラ『雪の騎士』を発表している。

 一方、1950年ころからテレビ、CM音楽の仕事も精力的にこなしはじめ、短編映画の作曲依頼も増していった。1959年、アラン・レネ監督『二十四時間の情事』のタイトル音楽としてワルツを作曲したが、このワルツが観客の関心をよび、たちまち長編映画の作曲依頼が殺到する。1960年、『ピアニストを撃て』でトリュフォー監督作を初めて手がけ、以後『突然炎のごとく』(1961)、『二十歳(はたち)の恋』(1962)、『柔らかい肌』(1964)、『恋のエチュード』(1971)、『私のように美しい娘』(1972)、『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973)、『逃げ去る恋』(1978)、『終電車』(1980)、『隣の女』(1981)、『日曜日が待ち遠しい!』(1983)などの作品の音楽を担当、映像と分かちがたい繊細な感情表現を確立することに成功した。

 このほか、フィリップ・ド・ブロカPhilippe de Broca(1933―2004)監督作品では『カトマンズの男』(1965)、『まぼろしの市街戦』(1966)など計19作を担当、トリュフォー同様に息のあったところをみせた。ジャン・リュック・ゴダール監督『軽蔑(けいべつ)』(1963)、ルイ・マル監督『ビバ! マリア』(1965)などのヌーベル・バーグ作品で得た名声も手伝い、1970年代以降はベルナルド・ベルトルッチ監督『暗殺の森』(1970)、マイク・ニコルズ監督『イルカの日』(1973)、フレッド・ジンネマン監督『ジュリア』(1977)など、しだいに国際的な活躍もみせるようになる。

 フランス映画界の凋落(ちょうらく)により自由な映画音楽制作が困難となってきた1970年代末、アメリカ映画『リトル・ロマンス』(1979)の音楽でアカデミー最優秀作曲賞を受賞。これを機にハリウッドに活動の場を移す決意をし、1980年、ロサンゼルスに移住。『サルバドル/遥(はる)かなる日々』および『プラトーン』(ともに1986)の音楽で、オリバー・ストーン監督の国際的評価確立に大きく貢献した。『マグノリアの花たち』(1989)などに持ち前の端正なロマンティシズムをみせた後、1992年の『Rich in Love』(日本ではビデオのみ発売。邦題『リッチ・イン・ラブ』)が最後の映画音楽作品となった。

 ミヨーに師事した経歴が物語るように、ドルリューは印象主義やフランス6人組(反印象主義を標榜(ひょうぼう)する、6人のフランス人作曲家グループ。ミヨー、アルチュール・オネゲル、フランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリック、ジェルメーヌ・タイユフェールGermaine Tilleferre (1892―1983)、ルイ・デュレLouis Durey (1888―1979)をさす)の遺産を受け継いだ最大の継承者である。映画をはじめとする劇音楽の分野で才能を開花させ、難解な前衛理論に走った第二次世界大戦後の現代音楽の潮流と一線を画すことになったドルリューの音楽には、独特の温かみ、気品、人なつこさ、叙情性、懐古趣味が聴かれるが、こうした要素は、20世紀前半のフランス音楽が開拓した色彩的な管弦楽法や多調性と切っても切り離せない関係にある。

 1970年代以降、彼の音楽が本国よりむしろアメリカで高く評価されたのも、戦前にパリ留学を果たした多くのアメリカ人作曲家によってフランス音楽の伝統がアメリカにもたらされたという音楽史的背景を鑑(かんが)みれば、十分納得がいくところである。加えて、豊かな映画的感性に裏打ちされた劇音楽作法も特徴である。『1000日のアン』(1969)で古楽器を用い、『ジャッカルの日』(1972)でごくわずかな音楽しか作曲しなかったのも、すべては本編全体のバランスを見据えての結果である。生涯貫いたドルリューの映画への愛が、後期ロマン派風に肥大化していったハリウッド音楽の傾向と折り合いがつかなくなり、その真価を発揮することなく亡くなってしまったのは、今後の映画音楽制作全般にとってもきわめて大きな損失である。

 200本におよぶ映画音楽作品に加え、膨大な数の舞台、バレエ音楽や演奏会用作品を作曲。1966年、『フレンチ・ドレッシング』(1964)や『恋する女たち』(1969)でも組んだケン・ラッセル監督が、ドルリューをテーマにした中編『作曲家を撃つな』Don't Shoot the Composer(1966、日本未公開)を制作した。

[前島秀国 2018年12月13日]

『Frédéric Gimello-MesplombGeorges Delerue; Une Vie (1998, Jean Curutchet, Hélette)』

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