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ナッシュ Nash, John

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナッシュ
Nash, John

[生]1752. ロンドン?
[没]1835.5.13. ワイト島,カウズ
イギリスの建築家。初めロバート・テーラーの事務所に入る。1795年頃~1802年に造園計画家ハンフリー・レプトンと協力して,ラスクーム(1800,デボン),クロンクヒル(1802,シュルーズベリー)などを設計,別荘建築家として高い評価を受け,皇太子時代のジョージ4世の庇護を受けるようになった。1811年からリージェント公園,リージェント街の都市計画を担当。パーク・クレセント(1812~22),パーク・スクエア(1823~25),カンバーランド・テラス(1826~28)などを設計。1813~15年建築総監を務めた。ロイヤル・パビリオンの改築(1815~22頃),1825年からはバッキンガム宮殿の改築を担当した。別荘建築では,中世風またはインド風の装飾を用いる一方,リージェント街では古典主義的な意匠を用い,ピクチャレスクを代表する建築家であるとともに,その思想を都市計画に導入することを試みたことでも重要。

ナッシュ
Nash, Ogden

[生]1902.8.19. ニューヨーク,ライ
[没]1971.5.19. メリーランド,ボルティモア
アメリカの詩人。一時ハーバード大学に在学したのち,編集,広告など種々の職業を経て 1935年頃から詩作に専念。慣習にとらわれない自由な詩型と押韻による奇想に満ちた軽妙,知的な詩を発表して人気を得た。雑誌『ニューヨーカー』に多くの詩を発表し,『見慣れた顔』 The Face Is Familiar (1940) など多数の詩集があるほか,ミュージカルも手がけている。

ナッシュ
Nash, Paul

[生]1889.5.11. ロンドン
[没]1946.7.11. ボスクーム
イギリスの画家,版画家,イラストレーター,写真家。ロンドンのスレード美術学校で絵を学び,D.ロセッティや W.ブレークの詩から得たイメージを文学的な情緒に満ちた風景画として描いた。 20代のときキュビスムを知り,画面は単純化されより堅固な構築性を示した。 1933年にグループ「ユニット・ワン」を結成。 1930年代の後半にはシュルレアリスムに近づき,巨大な石塊によって構成された風景を多く描く。第1,2次世界大戦中,従軍画家に指名され,戦場の幻想的な光景を描いた。代表作『冬の海』 (1925~37,ヨーク,市立美術館) ,『巨石の風景』 (37,バッファロー,アルブライト・ノックス美術館) など。

ナッシュ
Nash, Richard

[生]1674.10.18.
[没]1762.2.3.
イギリスの伊達男。「しゃれ者ナッシュ」 Beau Nashとして知られる。ウェールズの出身で,法学院を出たのち,賭博で身を立て,1705年サマセットの温泉地バスに招かれ,同地を娯楽と社交の中心地に仕立てた。

ナッシュ
Nashe(Nash), Thomas

[生]1567. サフォーク,ローストフト
[没]1601頃
イギリスの物語作家,詩人,劇作家。ケンブリッジ大学卒業。「大学出の才人」の一人。最初の著作は辛辣な文芸時評風の『愚行分析』 The Anatomie of Absurditie (1589) で,友人 R.グリーンの『メナーフォン』に寄せた序文を敷延したもの。いわゆる「マーティン・マープレリット論争」に巻込まれて清教主義反対の立場から論陣を張った。『文無しピアスの悪魔礼賛』 Pierce Penilesse his Supplication to the Divell (92) で世相を風刺,嘲笑し,写実的な悪者小説『不運な旅人』 The Unfortunate Traveller (94) はイギリス小説の先駆となった。政治の悪弊を攻撃した喜劇『犬の島』 The Isle of Dogs (97) を B.ジョンソンと合作,筆禍事件を起した。

ナッシュ
Nash, John

[生]1928.6.13. ウェストバージニア,ブルーフィールド
[没]2015.5.23. ニュージャージー,モンロータウンシップ近郊
アメリカ合衆国の数学者。フルネーム John Forbes Nash, Jr.。1948年カーネギー工科大学(のちカーネギーメロン大学に改称)で学士号と修士号を取得。1950年『数学紀要』に発表した学位論文「非協力的ゲーム」が大反響を呼び,プリンストン大学で博士号を取得。1951年マサチューセッツ工科大学の教授となったが,1950年代後半には健康を害して辞任し,プリンストン大学に客員研究員として戻る。ゲームの理論による数学的基礎,すなわち利害が交錯する競争者の間では勝つために競争相手について研究するという数学の一分野を確立した。ナッシュの解決法もしくはナッシュの均衡理論として知られるこの理論(→クールノ=ナッシュ均衡)は,競争者間の脅威や行動のダイナミズムを説明しようとするものであった。実践的には限界があるものの,ナッシュの理論はビジネス上の戦略に広く応用された。1994年,共同で研究を進めたジョン・C.ハルサヌイ,ラインハルト・ゼルテンとともにノーベル経済学賞を受賞した。アカデミー賞作品賞などを受賞した映画『ビューティフル・マインド』A Beautiful Mind(2001)はナッシュの伝記を元にした作品。2015年アーベル賞を受賞。

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デジタル大辞泉の解説

ナッシュ(Paul Nash)

[1889~1946]英国の画家。第一次大戦に従軍して、戦争のなかで荒廃した自然を描く。戦争後は英国のシュールレアリスム運動を推進、幻想的な風景画静物画を描いた。作「月下の柱」など。

ナッシュ(John Forbes Nash, Jr)

[1928~2015]米国の数学者。ゲームの理論に関する功績によりノーベル経済学賞受賞。「ナッシュ均衡」の概念で知られる。統合失調症を長く患いながら、数学者としての研究を続けた。

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百科事典マイペディアの解説

ナッシュ

米国の詩人。第一詩集《自由な回転》(1931年)以来,皮肉とユーモアを効かせた大量の作品を書き,喜劇詩人としての地位を確立した。作曲家K.ワイルと組んだミュージカル《ビーナスの一触》(1943年)も有名。

ナッシュ

英国の画家。ロンドン生れ。第1次大戦に従軍して描いた戦争画名声を博し,1933年前衛美術家・建築家の団体〈ユニット・ワンUnit One〉の結成に参加。幻想的で無気味な詩的雰囲気を漂わせる風景画,静物画を描き,英国におけるシュルレアリスム運動の推進者となった。

ナッシュ

英国の作家。ケンブリッジ大卒。風刺を好み論争も多くした。小説《不幸な旅人,ジャック・ウィルトンの生涯》(1594年)はデフォーに先行する英国最初の悪者小説ピカレスク小説)の例として有名。

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世界大百科事典 第2版の解説

ナッシュ【John Nash】

1752‐1835
19世紀のロンドン都市計画に貢献したイギリスの建築家。ロンドンに生まれ,建築家R.テーラーのもとで修業。住宅の投機事業に乗り出し失敗する。その後ウェールズに退き活動中,R.P.ナイトらの,不規則性や意外さを美的価値とするピクチュアレスク理論に触発されて新しい設計手法を開拓。風景式庭園を完成させたL.ブラウンの後継者レプトンHumphry Repton(1752‐1818)と協同で,ラスクーム(デボンシャー,1804)などの別荘建築を設計し好評を博す。

ナッシュ【Ogden Nash】

1902‐71
アメリカの詩人。とくに,軽くユーモラスで皮肉な詩では第一人者。ニューヨーク州に生まれ,ハーバード大学などに学んだのち,しばらく実業界に入るが,30代で《ニューヨーカー》誌の常任寄稿者となり,以後巧みな掛けことばと脚韻による機知で,多くの読者を引きつけた。詩集には《ぼくもここでは見知らぬ人》(1938),《老犬は後ろ向きにほえる》(1972)などがある。【金関 寿夫】

ナッシュ【Paul Nash】

1889‐1946
イギリスの画家。ロンドンに生まれ,スレード・スクールに学ぶ。1912年〈新イギリス美術クラブ〉に加わり,第1次大戦に際し従軍画家に任命され,破壊された自然を抽象化して描き注目される。33年前衛美術家・建築家の集団〈ユニット・ワンUnit One〉を結成し,36年国際シュルレアリスム展にも出品したが,彼の本質はケルト美術にもつながる幻想的象徴主義にある。第2次大戦中はふたたび空軍の従軍画家として,月下の北海に漂う撃墜機の破片などを描いた。

ナッシュ【Thomas Nashe】

1567‐1601
イギリスの物語作家,劇作家,雑文家。ケンブリッジ大学を卒業し,1588年ごろからロンドンに住んで文筆生活に入る。風刺家的資質の持主で,《愚行の解剖》(1589)を皮切りに,同時代の作家の作品の欠点をあげつらったり,世の愚かしい風習や悪弊を揶揄(やゆ)したりするパンフレットを数多く書いた。なかでも匿名でピューリタンを攻撃した一連のパンフレットと,G.ハーベーとの激しい論争にまつわるものが有名であるが,とくに後者に属するものの一つ《文なしピアースの悪魔への嘆願》(1592)は,当時の拝金思想とその風俗を徹底的に風刺するものとして人気を博した。

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大辞林 第三版の解説

ナッシュ【Paul Nash】

1889~1946) イギリスの画家。第一次大戦に従軍して戦争画を描き、のち独創的な風景画や静物画を描いて超現実主義運動を推進。

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世界大百科事典内のナッシュの言及

【住居】より

…これは3~4階の住戸を横に連続させたもので,各戸はそれぞれ街路に向かって入口をもつ。アパルトマンやテラス・ハウスは,建物全体としてまとまりある意匠とされる例が多く,ウッド(子)がバースに建設したローヤル・クレセント(1754‐75),J.ナッシュがロンドン北部のリージェンツ・パークに建てたカンバーランド・テラス(1826‐27)は,共同住宅を全体として宮殿のような意匠にまとめ上げている。同時にこれらの住宅は,共同住宅のレイアウトを都市計画的視野に立って計画した例として知られる。…

【スタッコ】より

…とくに18世紀のドイツ,オーストリアのバロック建築ではスタッコ技法の活用が目だち,一村のほとんどがスタッコ職を業とするという村さえあった。19世紀のイギリスでは,J.ナッシュが,煉瓦造スタッコ仕上げの外壁にさらにペイントを塗った建築を普及させ,〈リージェンシー・スタッコregency stucco〉という名で知られている。また,いわゆるコロニアル・スタイルの建築では,木造建築をスタッコ仕上げによって煉瓦造や石造に見せかけることもしばしば行われた。…

【リージェンシー様式】より

…年代的にはジョージアンの最終的局面と重なるが,様式的にはその直前のクラシック・リバイバルの第2段階をなすものであり,フランスのディレクトアール様式からアンピール様式に至る様式変遷と並行する。すでにギリシア,ローマ,エジプト,中近東,中国などの文化・風俗への関心は高まっていたが,自由奔放な皇太子として知られたジョージ4世は,独創的な建築家J.ナッシュを起用し,この異国趣味を推進した。ナッシュはブライトンの離宮の改築(1815‐23)にあたって前代未聞の構想を実現した。…

※「ナッシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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