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ナポリ ナポリNapoli

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナポリ
Napoli

イタリア南部,チレニア海のナポリ湾北岸に臨む都市。カンパーニア州の州都。ナポリ県の県都でもある。ギリシア人の植民都市ネアポリス (新しい都市の意) として建設され,ローマ時代には皇帝の保養地となった。ビザンチン帝国の支配を経て独立し,9~10世紀には,ナポリ艦隊がサラセン人との戦いに活躍。その後,ノルマンやフランス,スペイン,オーストリアなどの支配を受けたが,ナポリ王国あるいは両シチリア王国の首都が置かれ,イタリア南部の中心都市となった。イスキア,カプリなどの島に保護された良港をもつ,典型的な地中海性気候の都市で,オレンジ並木,サンタルチア海岸,カステル・ヌオーボ城 (13世紀) ,王宮 (1651) ,オペラの殿堂サンカルロ劇場 (1737) ,200以上の聖堂,大聖堂などを擁する旧市街は 1995年世界遺産の文化遺産に登録された。国立考古学博物館は,特にポンペイ遺物の収集で知られる。沖合いのカプリ島や東方ベズビオ火山などの観光地めぐりの基地でもある。港を中心にナポリ大都市圏が形成されており,製鉄,精油,化学,自動車,航空機,食品加工などの工業も盛ん。肥沃なカンパーニア平野を控えて,ムギ類,果実 (オリーブ,オレンジなど) を集散。イタリア第2の貿易港で,おもに食料品を輸出し,工業原料を輸入する。 1980年 11月 23日地震により大きな被害を受けた。人口 95万9574(2011推計)。

ナポリ
Napoli

ロマンチック・バレエの代表作の一つ。3幕。音楽は H.ポーリ,E.ヘルステッド,N.ガーデがそれぞれ1幕ずつ作曲,振付 A.ブールノンビル。 1842年デンマーク王立バレエ団によりコペンハーゲン王立劇場で初演。ナポリに住む漁師ジェンナロは花嫁テレシナを嵐の海で失うが,愛情と信仰により彼女を救う。ブールノンビルの代表作の一つで,今日まで同バレエ団の人気演目となっている。

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デジタル大辞泉の解説

ナポリ(Napoli)

イタリア南西部、ティレニア海に臨む港湾都市。近くにカプリ島ベズビオ火山があり、風光明媚な観光地として知られる。前600年ごろ、ギリシャの植民市として建設され、ネアポリス(新市)とよばれた。ローマ帝国の支配を経てナポリ王国の首都となり、ルネサンス文化の中心の一つとなった。1995年「ナポリ歴史地区」として世界遺産(文化遺産)に登録。英語名、ネープルズ。人口、行政区97万(2008)。

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百科事典マイペディアの解説

ナポリ

イタリア南部,カンパニア州の州都。ティレニア海に面するナポリ湾北岸に位置する港湾都市。ローマの南東約190km,東にベスビオ火山を望み,ジェノバに次ぐ第2位の商業港で,世界的な観光都市。
→関連項目カンパニア[州]

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世界遺産情報の解説

ナポリ

ナポリは、イタリア南部最大の港湾都市であり、カンパニア州の首府です。1995年、ナポリ歴史地区として世界文化遺産に登録されました。「ナポリを見て死ね」と言われるほど風光明媚な土地として知られています。観光スポットとなっている建築物は、殆どが13〜18世紀のフランスやスペインの文化の影響を受けており、特に17〜18世紀のバロック期のものは素晴らしく目を奪われます。ピザ(ピッツァ)の起源はアラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ナポリでピッツァと呼ぶようになったと言われています。

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デジタル大辞泉プラスの解説

ナポリ

ディアドラが販売するサッカー用スパイク。

ナポリ

デンマークの振付家オーギュスト・ブルノンヴィルによる全3幕のバレエ(1842)。初演はデンマーク王立バレエ団。原題《Napoli》。『ナポリ、あるいは漁師とその花嫁』、『漁師と花嫁』とも呼ばれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ナポリ【Napoli】

イタリア南部のカンパニア州の州都,ナポリ県の県都。ティレニア海に面するナポリ湾の北岸に位置した港湾都市で,背後に農業地帯のフレグレイ平原が広がり,東部にベスビオ火山がある。ジェノバに次ぐイタリア第2の商港で,観光船を含めた船舶の出入りと乗降客数では最大の港。市の人口は121万0503(1981)で,ローマ,ミラノに次いで第3位だが,ナポリ湾岸の小都市群とともに人口300万の巨大都市域を形成している。

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大辞林 第三版の解説

ナポリ【Nàpoli】

イタリア南部、チレニア海に面する港湾都市。風光明媚な天然の良港をもち、付近にベスビオ火山・ポンペイの遺跡などがあり観光地として有名。古代ギリシャ・ローマ以来の都市で一三世紀には両シチリア王国の首都となる。古名ネアポリス。 〔「那波里」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナポリ
なぽり
Napoli

イタリア南部、カンパニア州の州都で、工業・港湾都市、観光都市。英語名ネープルスNaples。面積117.27平方キロメートル。人口99万3386(2001国勢調査速報値)はローマ、ミラノに次いで同国第3位。人口密度は1平方キロメートル当り8470.9人で第5位である。東方のベスビオ火山および西方にある独特な火山地帯カンピ・フレグレイCampi Flegreiに挟まれ、ナポリ湾の北東隅に位置する。[堺 憲一]

工業・港湾活動

同市が近代的工業都市として本格的に発展する契機となったのは1904年のナポリ工業振興特別法である。これによってナポリ西郊5キロメートルのバニョーリにイルバ社の製鉄所が建設された。港はすでに1890年代以降、南部イタリアからアメリカに移民する人々の出発港となっていたが、ファシズム期にはイタリアの海外植民地との交易が市の経済発展を大きく助長した。1950年代後半から60年代前半にかけては、南部開発政策と関連した大規模投資もあって、ポミリアーノ・ダルコ、カステッラマーレ・ディ・スタビア、ポッツォーリ、カゾーリアなど近郊の諸都市を含めて工業化が著しく進展し、ナポリを中心とする広大な臨海工業地帯が形成された。とくに製鉄、機械、自動車、造船、精油、食品などの工業活動が盛んである。
 ナポリ港の海外との交易量は、かつてはジェノバに次いで全国第2位を占めていたが、現在ではその地位を後退させた。カプリ島やイスキア島などナポリ湾岸の観光地を近くに擁しているため、沿岸航路の旅客数は全国第3位(1997)である。[堺 憲一]

観光

「ナポリを見て死ね」という諺(ことわざ)があるように、ナポリは風光明媚(めいび)な観光都市で、ベスビオ火山を背景としたその風景はあまねく知られている。とくにボーメロの丘やポジリポの丘から眺める市街やナポリ湾の見晴らしはすばらしい。市内には、1279~84年に建てられたアンジュー家の城で15世紀にアラゴン家のアルフォンソ1世時代に再建されたカステル・ヌオーボ、サンタ・ルチア地区にある卵城(カステル・デッローボ、12世紀)、ボーメロの丘の上に位置し現在では国立博物館となっているサン・マルティーノ修道院(14世紀。16~17世紀に再建)、1602年に建てられたブルボン家の王宮(パラッツォ・レアーレ)、ミラノのスカラ座やローマのオペラ座と並ぶオペラの殿堂サン・カルロ歌劇場(1737)、13世紀末~14世紀初めに建設されたサン・ジェンナーロ大聖堂などの歴史的建造物が多い。また、ポンペイやエルコラノなどで発見された美術品の所蔵などで国際的に有名な国立考古博物館(16世紀)や1224年創設のナポリ大学などの文化施設があり、市街中心部のスパッカ・ナポリ地区は下町情緒に満ちあふれている。さらに近郊にもベスビオ火山、ポンペイやエルコラノの遺跡、カプリ島、イスキア島、ソレントなど多くの名所が存在する。『オ・ソレ・ミオ』や『サンタ・ルチア』に代表されるナポリ民謡は世界中に知られている。なお、1995年にナポリの歴史地区は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[堺 憲一]

歴史

紀元前5世紀前半、ギリシア植民市キュメにより建設され、「新しい都市」を意味するネアポリスNeapolisとよばれた。前326~前90年の間は、ローマの同盟市としての地位を保持するが、その後は事実上の従属状態に置かれた。しかし、ギリシア的伝統や風光のよさゆえに、ローマの富裕階級によって安らぎと楽しみの場として親しまれるようになった。
 西ローマ帝国滅亡後、ビザンティン帝国の支配下で形成されたナポリ公国は、ステーファノ2世治世下(755~766)にビザンティン帝国から独立した小公国となり、1139年ノルマン人に征服されるまで存続した。ノルマン人およびドイツのホーエンシュタウフェン家に支配されるシチリア王国時代には、当時教皇の強い影響下にあったボローニャ大学に対抗して、フリードリヒ2世によってナポリ大学がつくられた。彼の死後、シチリア王の座はシャルル・ダンジューの手中に入るが、1282年の「シチリアの晩鐘」の乱を契機にして、シチリアからの後退を余儀なくされる。かくしてシチリア王国から分離してナポリ王国が成立、ナポリはその首都となり、南イタリアの政治、経済、文化の中心となった。
 しかし、中世を通じていえることであるが、ナポリは良港をもっているにもかかわらず、アマルフィ、ピサ、ジェノバのように海に向けて商業的進出を図るよりは、それまでと同様に周辺の農村に経済的基盤を求めるという方向を重視した点は注目に値しよう。1442年までのアンジュー家、さらに1501年までのアラゴン家、1503~1707年のスペインのハプスブルク家(総督)による統治を経て、1734年にスペインのブルボン家の支配が開始される。カルロス3世(ナポリ王としてはカルロ7世、在位1735~59)はタヌッチを首相にして一連の改革を行ったが、結局は不徹底に終わり、経済的沈滞、劣悪な衛生事情、ラッズァローニとよばれる大勢の貧民の存在、といった諸問題は未解決のまま残された。
 1806~15年のナポレオン時代が終わると、ナポリ王国とシチリア王国が合併して両シチリア王国が成立し、ブルボン家がナポリに復位した。1860年ガリバルディ軍とサルデーニャ王国軍に制圧され、イタリア王国に編入された。[堺 憲一]

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世界大百科事典内のナポリの言及

【イタリア】より

… 南イタリア(メッツォジョルノ)はカンパニア,アブルッツィ,モリーゼ,プーリア,バジリカータ,カラブリア,シチリア,およびサルデーニャの8州から成っている。歴史的に見れば,サルデーニャを別にすれば,常にナポリを中心とする王国を成していた地域であり,その歴史は北イタリアおよび中部イタリアと非常に違っている。このような歴史的事情と民族的・文化的要素の違い,そして両シチリア王国がピエモンテに軍事的に征服されるという形でイタリアの統一が達成されたという事情のために,イタリア王国のもとにおいて,南部の工業化と農業開発とは非常に遅れ,南北の格差はイタリア統一後大きな問題になってきた。…

【カンパニア[州]】より

…面積1万3594km2,人口571万(1994)。州都はナポリ。アベリーノ,ベネベント,カゼルタ,ナポリ,サレルノの5県からなり,イスキア,プロチーダ,カプリの島々が属する。…

※「ナポリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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