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ハッタ ハッタ Hatta, Mohammad

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハッタ
ハッタ
Hatta, Mohammad

[生]1902.8.12. スマトラ,ブキチンギ
[没]1980.3.14. ジャカルタ
インドネシアの政治家,経済学者。 1922~32年オランダ留学中に,留学生の進歩的政治組織インドネシア協会の会長として活躍した。帰国後対オランダ非協力運動を展開,逮捕され,34年西イリアンに流刑。

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デジタル大辞泉の解説

ハッタ(Hatta)

アラブ首長国連邦ドバイの南東約120キロメートルにある飛び地。オマーンおよびラスアルハイマ領に囲まれる。伝統的な建造物を移築した野外博物館があるほか、周囲には多くのオアシスが点在する。

ハッタ(Mohammad Hatta)

[1902~1980]インドネシアの政治家。オランダ留学中から独立運動に加わり、1945年共和国成立とともに副大統領に就任。56年スカルノ大統領と衝突して辞任。

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百科事典マイペディアの解説

ハッタ

インドネシアの政治家。オランダ留学中から独立運動を始め,スカルノと並ぶ最高指導者となった。第2次大戦後副大統領となったが,西欧民主主義的な政治理念を主張してスカルノと対立,1956年辞任。

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世界大百科事典 第2版の解説

ハッタ【Mohammad Hatta】

1902‐80
インドネシアの政治家。元副大統領。スマトラ島西部のミナンカバウ族の出身で,ブキ・ティンギに生まれたが,1920年代のほとんどをオランダですごした。留学中から民族主義運動に加わり,インドネシア協会の指導者として頭角を現した。26年末にインドネシア共産党の指導者であったセマウンとの間に〈反植民地運動の主導権を共産主義者から民族主義者へ委譲する〉旨のハッタ=セマウン協定を結んだ。32年に帰国し,シャフリルとともにインドネシア民族教育協会を指導して,当時インドネシア党を率いていたスカルノとの間で,現状認識,組織論,運動論をめぐって激しい論争を展開した。

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大辞林 第三版の解説

ハッタ【Haji Mohammad Hatta】

1902~1980) インドネシアの政治家。民族独立運動を指導。第二次大戦中は日本軍に協力し、1945年の独立宣言に際して共和国副大統領。56年スカルノ大統領の政策に反対し辞任。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハッタ
はった
Mohammad Hatta
(1902―1980)

インドネシアの政治家。スマトラ西部ブキティンギ生まれ。1922~1932年のオランダ留学中に留学生独立運動「インドネシア協会(プルヒンプナン・インドネシア)」を指導した。1934年オランダ植民地政府に逮捕・流刑されたが、1942年彼の協力を求める日本軍によって釈放された。1945年スカルノと連名でインドネシアの独立を宣言。初代副大統領としてスカルノ大統領とともに「二者一体」と称された。1948~1950年には首相・外相・国防相を兼任、軍・行政の合理化と経済建設に心血を注いだ。しかし、カリスマ的指導者たるスカルノが権威主義的な「指導民主主義」に傾斜し、急進民族主義外交を展開し始めたことに失望して、1956年副大統領職を辞し、一知識人としてスカルノ体制を批判し続けた。彼の著『我等が民主主義(デモクラシ・キタ)』(1960)は「九月三〇日事件」後のスハルト新体制の一指針とされたが、同体制の軍政色が濃厚になるにつれ、しだいに体制批判を強めた。[黒柳米司]
『ハッタ著、大谷正彦訳『ハッタ回想録』(1993・めこん)』

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世界大百科事典内のハッタの言及

【パルティンド】より

…その後,釈放されたスカルノを党首に迎えて勢力を伸ばしたが,再び政庁の弾圧を受け,36年に解散した。なお,国民党の解散に反対した少数派は,教育によって人民の政治意識の成熟をはかることが独立への課題であるとして,オランダ留学帰りのシャフリル,ハッタを中心にインドネシア国民教育協会を結成したが,このときの亀裂が,45年の独立革命以降も,共和国内のいわば土着派と親西欧派の対立に尾を引いた。【押川 典昭】。…

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