日常的な普通の生活や状況を指すケ(褻(け))に対して,あらたまった特別な状態,公的なあるいはめでたい状況を指す言葉。日本の伝統的生活の中には,ハレ着,ハレの日,ハレの門出,ハレの場など,このような特別な状態を表現する様式が発達している。ハレ着は通常の生活で着る衣服とは異なる形や色,柄,素材をもって作られ,食事は餅や赤飯,酒などが,定められた方法や形式で料理され供される。神社など公的な場や個人の家屋も竹や常緑樹,注連(しめ)縄,幟,幕などを一定の方法で飾ることによって,その空間が〈ハレの場〉であることを表示する。挨拶や会話でさえ,一定の言葉や言いまわしが決められていることもある。このようにだれもが承知している様式が生活のさまざまの場や側面で形式化していることは,ハレという状況が日常的なケの状態と明確に区別されなければならないという観念の表れだといえよう。
具体的には,通過儀礼と呼ばれる,人間の一生のうちでたどる重要な折り目,たとえば誕生,成人,結婚,厄年などのおりにはその当人や近い関係の人々はハレの状況にあるといえるし,正月や神社の例祭などの年中行事に際しては,その社会全体がハレの状態にあるといえる。また,私的で個人的な事柄を日常的な普通の事柄とみなし,公的で社会的状況をハレとする認識もあり,それらがあいまって,ハレはめでたい状況を指すという認識も出てくる。しかし,解釈のしかたによっては初盆や葬式,年忌供養もハレの行事といえるわけで,必ずしもめでたい状況のみを指すとはいえない。つまり,ハレを日常性を示すケと対立させた場合には,特別な状況は祝儀も不祝儀も含むことになる。
一方,ハレは神聖性を意味することもあり,その場合はケガレ(穢)あるいは不浄性と対立する。宗教的なものに対する人間の認識にはおおまかにいって2方向あり,一つは神聖性,清浄性を尊び,そこに人間の存在を超えた力の源があるとする考え方であり,もう一つは不浄なもの,穢れたものも人間に対して強い力をもちうるという認識である。日本における信仰にも神ごとをハレとし,死にかかわる事柄や神ごとから排除される事柄をケガレとして対立させ,双方ともに日本人の信仰の中では重要な対象となっている。この認識からすれば上記の葬式や初盆の状況はハレとは呼びがたい。したがって,ハレの観念をケと対立させるかケガレと対立させるかによってその具体的内容や状況が異なることになる。いずれにしろ,ハレは,人間の生活や時の流れは同質一様ではなく,異質な部分が交互に混じり合って形成されているという認識の一つの表現だといえる。
→忌(いみ)
執筆者:波平 恵美子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本民俗学の基礎概念として、ケ(褻、毛、気)に対比する内容を示す語である。一般にはハレとケは民俗文化を分析する用語として使われている。ケが日常的側面を説明しているのに対して、ハレは非日常的側面を説明する。ハレは晴、公の漢語に置き替えられる例が多い。晴は天候の晴天に通じ、公は公的な儀式に表現されている。したがってハレ着という場合には、普段着ではなく公的な儀式に参加する際に着用する盛装や礼装に当てはまる。人が誕生してから死に至るまでに何度もハレの儀礼に出会う。宮参り、七五三、成年式、結婚式、年祝いなど冠婚葬祭が基本にある。また1年間の行事においても、正月、盆、神祭りなどもハレの機会である。
ハレは衣食住に顕著に表現されており、ハレ着のほかにも、食事が普段と異なり特別の作り方をする例に示される。神祭りに使われる神饌(しんせん)や、供物を人々が食べ合う直会(なおらい)などの食事、餅(もち)や赤飯、赤い色をつけた食物をカワリモノとしてハレの食物にしている。
ハレはケを基本にして成り立っている。ケである普段の生活、日常生活が維持できなくなると、それとは別のリズムをもった生活が必要になる。非日常的な側面が強調されるのであり、それは精神が高揚した晴れやかな気分に満ちた時間と空間をさすことになる。私的な部分よりも公的な部分が顕著なのであり、ケに対するハレが公式の儀礼に表現されてくることになる。
[宮田 登]
ドイツ中東部、ザクセン・アンハルト州の都市。1949~90年は旧東ドイツに属し、52~90年は同名県の県都であった。ザーレ川の右岸、標高110メートルの地にある。人口24万7700(2000)。ハレの語源は「製塩所」で、岩塩の採掘では古い歴史をもち、塩の加工精製業のほかに化学、金属、繊維、車両などの工業が発達し、ドイツ有数の工業都市である。ザーレ川左岸には、同市南方16キロメートルにあり旧東ドイツ最大であったシュコパウ・ロイナ化学工場などの労働者が多く住む、住宅都市ハレ・ノイシュタットHalle-Neustadtが1964年に建設された。ハレは9世紀から知られる古都で、981年都市権を得、当時から塩の採掘で知られた。13~15世紀にはハンザ同盟に加盟、中央ドイツの商業・交通の中心地として発展した。第二次世界大戦中も戦災を受けず、古い建築物が残っている。ハレ・ウィッテンベルク(マルチン・ルター)大学、教育大学、工業造形大学がある。作曲家ヘンデル誕生の地であり、毎年ヘンデル記念音楽祭が開かれる。歴史的建築物としては、10世紀のギービヘンシュタイン城、15世紀のモーリッツブルク城、16世紀のマルクト教会などがある。
ハレ県は3市20郡からなり、面積8771平方キロメートル、人口179万5600(1985当時)で、カール・マルクス・シュタット県に次いで人口の多い工業県であった。工業の基盤は西エルベ褐炭田とカリ塩であり、化学工業が中核をなした。また肥沃(ひよく)なレス(風化土壌)地帯にあって農業も発達し、小麦、サトウダイコンの栽培や肉牛の飼育が盛んであった。
[佐々木博]
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晴とも。ハレは,晴れあるいは公の意味を表現する。ケに対比される語であり,ハレとケに対しては,聖と俗,公と私の対語をあてはめて説明する立場がある。祭や年中行事,冠婚葬祭のような特別な行為をともない,ふだんの生活とは異なる状態をさす。まず晴れ着つまり「よそゆき」の着物を着る,餅や赤飯など特別の食物を食べる,注連縄(しめなわ)をはったり,特別に装置した場所が選ばれるなど,衣食住の生活に「ふだん」との変化がみられる。ケの状態が永続せず衰えてケガレの状況になると,人間は「ふだん」のケを維持するような試みを企てる。行事の基底には並々ならぬエネルギーが働く。それがハレの文化の基本をなす。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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… 半島全体の重要性は失われたとはいえ,二聖都メッカとメディナはイスラムの信仰および学問の中心地として特別の地位を占め,歴代のアッバース朝カリフは食料の確保,衛生の維持などに細心の注意を払った。ハールーン・アッラシードは23年間のカリフ在位中,9回メッカ巡礼を行い,そのたびごとに莫大な金品を市民に贈ったことで有名である。だが,ヒジャーズ地方を除いてアッバース朝の統治の実はあがらず,やがて9世紀の半ばごろイエメンのサーダにザイド派のラッシー朝が自立し,その後サヌアに移り,断続を繰り返しながら1962年のクーデタまで続いた。…
…ただし,すでに名声のあるもの若干名は試験を免除された。病院bīmāristānはウマイヤ朝のカリフ,ワリード1世(在位705‐715)に始まるとの説があるが,癩患者を隔離し,看護人をつけた程度であり,本格的なものはアッバース朝のハールーン・アッラシード(在位786‐809)がジュンディーシャープールの病院にならってバグダードに建設させたのが初めで,地方都市にも相ついで設けられた。11世紀末以後十字軍士が見たイスラム諸都市の病院は世界一流のものであった。…
…しかしかなり以前からバグダードにも製紙工場ができていた。アッバース朝カリフ,ハールーン・アッラシードは8世紀末にサマルカンドから中国人紙漉工を呼びよせて紙を造らせたというが,サマルカンドの紙に匹敵するものはできなかったらしい。やがてまたシリアのダマスクスに製紙工場が設けられたが,ここは数世紀にわたりヨーロッパに紙を輸出し,ヨーロッパでは〈ダマスクス紙〉は有名であった。…
…その主たる目的はギリシア語による哲学・自然科学の書物の収集と,それのアラビア語への翻訳であった。ササン朝時代のジュンディーシャープールの学院の伝統を受け継いだもので,カリフ,ハールーン・アッラシード時代の〈知恵の宝庫Khizāna al‐Ḥikma〉という図書館が直接の前身となっている。翻訳官の大部分はネストリウス派のキリスト教徒であった。…
…ギリシア文化の継承者であったが,ネストリウス派に属していたため,ビザンティン皇帝ゼノンやユスティニアヌス1世に迫害されたシリアの学者たちはペルシアにのがれ,最後のペルシア王朝でギリシア語の書物をペルシア語に翻訳する仕事に従い,やがてアラビア人の主権が確立すると,さらにこれをアラビア語に翻訳した。すでに中国の製紙法が伝来していた8世紀から9世紀にかけて,アッバース朝の第5代のカリフとなり,学芸を熱愛したハールーン・アッラシードの治世にはバグダードに100以上の書店が数えられ,そのなかには書写本工場をもつ出版所も少なからず含まれていた。ハールーン・アッラシードの子で,アッバース朝第7代のカリフとなったマームーンは,もともとイラン文化の心酔者であったが,父王の志をついで芸文の興隆に意を注ぎ,多数の翻訳官や写字生を宮廷に集め,とくにギリシア文献の出版を奨励し,アッバース朝文運の全盛期を将来した。…
…アッバース朝第2代カリフ,マンスールが772年に円形の都城アル・ラフィカAl Rafiqaを建設。カリフ,ハールーン・アッラシードの〈夏の宮〉の所在地として,またビザンティン帝国への前哨基地として知られたが,13世紀のモンゴル侵寇によって廃墟と化す。おもな遺構は,城壁,バグダード城門,ダマスクスのウマイヤ・モスクをモデルとしたマンスールのモスク(12世紀に再建)のファサードとミナレット,ハールーン・アッラシードの〈平和宮〉のイーワーンなど。…
※「ハレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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